昭和の東西ヨーロッパ行 260 同じ南仏でも マルセイユ フランス

高齢親が通う県央の街中眼科
予約はなんと4カ月前から、、、
他に有力な眼科なく、当日診察終了まで時に2時間、離れた場所で車待機のへき地県境移住者です
予約結果は"8月予約⇒1月診察"、、、
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今から39年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
西ヨーロッパ(フランス)から右回りでくるっと1周。
地図・写真・小文字はグーグルマップより
長靴(イタリア)の足元(南)から上(北)へ。
ローマ、フィレンツェ、ベネチア、ミラノ経由で地中海沿岸を横移動、南仏ニースまでまでやってきました。

1986年12月10日(水)
夏ならさしづめ「007(映画)」の舞台になりそうな有名リゾート地も、冬の訪れを前にボンドガールは出てきそうもありません。
バックパッカーの若者が10何キロかのリュックを背負い、山の上のユースホステルから駅までくねくね坂を下ること55分。
10時38分発、西方の港町マルセイユ行き急行は季節外れが功を奏し?やけに空いていました。
イタリアから続く地中海沿岸の似たような景色の中、途中国際映画祭で有名なカンヌを通過・・・。


2時間近く経過したころ、内陸部の眺めに退屈したわけではないけれど、マルセイユ手間のトゥーロンという大きめの街で途中下車し普通列車に乗り換えてみました。
1時間半後に乗り換えた普通列車は電気機関車が予想外の速度/時速120キロで客車をけん引、その間客車のドアは開きっぱなし・・・(手動です)。

今では考えられないその”鉄道風景”も、バックパッカーが高校の冬の通学時一駅だけ乗った青森行長距離鈍行列車(*客車は手動ドア/最後尾車両の後ろから線路が丸見え)を思い出させるには十分でした。
午後3時前に着いたマルセイユ駅で見つけたのは、パリから地中海まで直行するTGV(フランス国鉄の高速車両)でここが終点。
(49枚目のメモより)「素直に”かっこいい!”」
ひときわ目立つ長い車列にあこがれを抱きつつも、翌年パリから帰国する日までに車上の人となることはかないませんでした。

マルセイユは同じ南仏の港町でも長い砂浜の海岸に多くの観光客を集めるニースと違い、それほど大きくはない?港にたくさんの船が・・(*当時のイメージです)。
本日のお宿(ユースホステル)はこれまた海岸から遠く、再びバス(6F・フラン・156円)で。
”ユースホステルは決して便利ではない場所にあることが少なくない”のは日本も同じ。
格安の宿に”駅チカ”は望むべくもありませんでした。
国税庁の統計では1986年(昭和61年)日本人の平均年収は386万円

当時1000円台の料金(素泊り)は現在4500円台/2名5800円台から
”大きな洋館(*ユースホステル)”は、小さな敷地に建つ小さな家に慣れ親しんだ身には維持するのが大変そう~と思いつつ、泊まる分にはなんとも気分のがいいもの。
当日は12月中旬の平日にもかかわらず”子供の団体さん(フランス人)”がいましたが、にぎやかなキッチンで仲良く自炊(*と言っても耳に入る言葉はほとんどわからない)、腹いっぱい食べて満足満足・・・。
食後、鍵のかかる個室が並ぶシャワー室は男女共有で、順番待ちの子供たちの声でこれまたにぎやか〜・・・。
フランス語が公用語のベルギー南部もそうでしたが、”男女同部屋の寝室(*2段ベットがいくつもある大部屋)”が珍しくないのがフランス語圏の特徴?なのかもしれません。
最初は戸惑った”男女一緒の習慣”もこのころには慣れ、その”ゆるさ”に心地よささえ感じていました。
子供たちを除けば部屋(大部屋)には空きがあり、そのことに”季節外れ”を実感すれば、居心地の良さ+栄養補給ができるキッチン付も重なり”連泊”をしたくなるもの。
10何キロかある重量物(リュック)から解放されることもあり、連泊を決めました。

入場料はモバイルチケットで1042円から
邦人の口コミ
つづく