(隣県 名勝高田の松原 防潮堤から海を背にした眺望 奥はかさ上げされた市中心部 左手前は震災遺構・旧道の駅 このあたりはきれいさっぱり・・・)
ユーチューブを見ていて中高年の自分なら”ご視聴ください”といいそうなところ、若年層の主は”ご視聴していただけれるならと思います・ご視聴いただければと思います”と、今はだいぶ長文になったことを知る、へき地県境民です。
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
6月29日(日)
フランスから越境しスイス滞在10日目。
(地図と写真はグーグルマップより)
この日は湖岸の観光地ルツェルン(地図下↓↓)からユースホステルのある湖岸の町ツークまで。
駅に荷物を預け(2スイスフラン・190円)3枚の絵葉書を郵便局で出せば、受付のお姉さまはよく見ないで「(*ヨーロッパ外宛ての)3.3フラン」と言うので「本当?」と聞いたら0.9フラン戻してくれました(*3枚すべてヨーロッパ内宛て)。
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
この調子で結構いい加減だったのは、
・ブリーク駅でも正規運賃を取られ、違うと言って返してもらう
・オバーバルト駅では半額パスを見せたにもかかわらず正規運賃を取られるも、時間なく乗ってから気づき半額分860円多く払う
現在はスイス国鉄のスマホアプリがありすぐ調べられますが、当時は運賃表もなく”勘”で判断するしかありませんでしたが、「ハーフフェア(半額)??」と確認すればよかったのでしょうか・・・。
ここまでもほとんどの列車が数分遅れなのも”共通点”かもしれませんでした。
よくある”間違い”は人のせいにせず”間違いを正す”ことを学びましたが、気を付けていても”失敗”や”後の祭り”はこの後も続きました。
(ルツェルン湖にかかる 回廊のようなカペル橋)
ルツェルンはジュネーブと町並みをちょっと変えたくらいで観光客の多さは一緒でした。
湖畔を歩くこと30分。
交通博物館(10フラン・950円⇒現在は3081円)はSWISSAIR(スイス航空)のジェット機が外にあり立派でした。
(交通博物館)
6月も終わろうとする高所の国で、
(便せんメモより)「湖畔のいたる所に水着姿の人々」がいて日光浴。
「湖岸のプールはいもの山」
湖岸一帯は広い敷地でバレーボールやらなにやら楽しむ人々がつどい、反対に街中はいたって静かで人々はウィンドウショッピングにいそしんでいました(*日曜日・店は閉店)。
(メモより)「幸運にも1軒開いていたパン屋さんでパンを買う」
ルツェルン15時42分発ツーク(地図↑↑・ルツェルンの右上)行鈍行が各駅に停まる中、湖は変われどそこにもまた人・人・人。
(途中の町)
(途中の町)
16時15分、終点ツークもまた湖岸の町。
わかっていても夕刻は”祭りのあと(終わった~)”でした。
それでも幸い駅に民族衣装でヨーデルを合唱する数人がいて、スイス民謡を聞くことができました。
ユースホステルは”山小屋風(ぼろ屋とも言う)”で、食堂(キッチン)は外に面し屋根があるだけ・・・。
そのせいか、一泊6フラン+キッチン使用料1フラン・665円(*ルツェルンは朝食付15フラン)で連泊することにしましたが、なぜか宿泊者はほとんど英国人。
声をかけてもほとんどの人が無視・・たまにいい人はいましたが・・・。
まあ、東洋人に興味のある方はそう多くないのかもしれません・・・。
(メモより)「そのおごり高ぶり?は井の中の蛙ならぬ”欧”の中の蛙か」
・”愉快だったこと”:ルツェルン湖ですずめにパンをやれば鳩も来て、鴨は上がって来るは、白鳥・カモメ・カラスまで寄ってくる~
・”マナーについて”:若い女性はよく列車で足を延ばし靴を座席に乗せる(*4人掛けの座席)
・”恐ろしいこと”:スイスフランの価値が上がり、1ドルは1.83フランから1.76へ下がり、他国通貨も下がるも”円”は変わらず
円の強さは、
1ドイツマルクは81.5円から80.5円へ
1フランスフランは25.25円から24.9円へ
つづく