(隣県 名勝高田の松原 長い長い防潮堤兼、人の少ないウォーキングロード)
1月、病院嫌いが2年半前からの体調不良再発で半島の開業医へ行けば、調剤薬局なし/医院窓口での会計&薬の受け渡しに、長らく忘れていた”楽さ”思い出すへき地県境民です。
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
6月28日(土)
フランスから越境しスイス滞在9日目。
(地図と写真はグーグルマップより)
この日は山の谷間の村ゲシェネン(地図下↓↓・アンダーマットの上付近)を下り、平地と湖をかすめ観光地ルツェルンへ。
9時44分。
日当たり制限のある谷間の村ゲシェネン(アンダーマットの上)発、湖畔の観光地ルツェルン行”鈍行”で山を下ります。
(狭い谷のゲシェネン)
列車は左右に大きくカーブする降り方で下に~下に~。
(便せんメモより)「週末を過ごす各地からの車で山上り線は渋滞している」
「なにせ、この国は金持ち国にして、高級車や大型バイクがばんばん走っている」
「隣国フランスの”足かけ自転車”や小型車(主流)はなんなんだ?」
(途中の村 下って来た山を見る)
山が開けて平地に下りる頃、次第に何本もの列車とすれ違い”○○○Seeとか○○○○○○See”などの名前がつく湖が左右に見えてきました。
列車が平地区間を快調に駆け抜けていく間、どこかのんびりとする場所はないだろうか?と探し、終点ルツェルンの一駅手前、メッゲン(地図↑↑・ルツェルンの右隣)という小さな駅に一人降りてみたのは乗車90分後の11時16分。
坂を下るとすぐに湖が見え、近寄って見ると波打ち際でちゃぷちゃぷする波は湖そのものでした。
(メッゲン 遠くにメッゲンホルン・山)
ほとんどの岸が金持ち所有で入れない中、やっと見つけた岸部でノーブラの母親が幼子と戯れていたがこちらを見て帰っていきました(邪魔しちゃった・・・)。
(メモより)「次にやってきたカップルは他の人に見えないようにノーブラで泳いだりしているけれど、この光景にも食傷気味(慣れ気味)なのでした(*それほど老若女問わず少なくない」
「解放感・・・自然に考えれば当然のことなのか・・」
(メッゲン 遊泳可能な湖)
晴れてもそれほど強くはない日差しを気にせず、湖に入れば”やはり冷たい!”
他の方が”遠出”をする中、やはり自分には日光浴がよさそうでした。
のんびり5時間近く滞在した後、16時9分発の列車で一駅、終点ルツェルンは”行き止り駅”で目の前の湖に人・人・人!。
(メモより)「橋の上から湖岸から街中から、観光客の波」
”i”インフォメーション(観光案内所)は午前中のみで役に立たず、なんとか手製の地図でユースホステルまで歩くこと約30分。
”郊外立地”のユースホステルは朝食付き15スイスフラン・1500円で”キッチン封鎖”に会い”火の気のない夕食”になってしまいました。
自販機で300mlの瓶コーラが1.5フラン・150円(ジュネーブは330ml缶が1フラン)。
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
ここまでスイス国内3軒のユースホステルが居心地よかったせいか、”グループと一緒の6人部屋”で”本来のやかましさ”が復活しましたがまあそんなものです。
6月も間もなく終わりの標高408mは、この時期かなり気温が上がり、山から下りたことも手伝い、(メモより)「平地は暑い!」
つづく