三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

昭和の東西ヨーロッパ行 69 西海岸へ 変更 変更 ル・マン レンヌ フランス 欧州 No.560

昨年11月、三陸沿岸部の葬儀のお返し。

中身は(自分にとっては)従来の食べものと違い各種洗剤他で、そのいずれも長年の中古業で古い在庫(*昭和/平成)が複数/多数あるので他の方に活用いただいた、へき地県境民です。

箱のふたにある”JK-20”のシールはかつて不用品買取時に確認した”数字=定価”で、目についたのは自分ばかりでしょうか・・・。

 

今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。

「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。 

 

6月8日(日)

イギリス海峡を渡りフランス滞在5日目。

(地図と写真はグーグルマップより)

この日はフランス郊外の街シャルトル(地図下↓↓パリ~ル・マンの間)から西海岸の有名地モンサンミッシェル(地図下↓↓サン・マロの右)近くまで列車で移動です。

昨日泊まった”飲み屋+ホテル”は「チェックアウトは好きにしてくれ」で階下のバーは閉まり誰もいない・・・・・。

 

日曜で少ない列車本数の中、9時44分、西海岸の小さな港町クロワジックcloisic(地図上左↑↑サンナセール左)行に乗れば乗車率は50~75%・表定速度は120㎞/hを超え、駅の通過でも落とさない速度に驚きを隠せませんでした。

ちょうど1時間で120㎞を進み、10時44分に着いた”24時間耐久レースで有名なル・マンで乗換え/街歩きをしたかったのですが、11時台の次は16時、朝夜以外は3時間~に1本・・・。

(便せんメモより)「なので市内のバス地図(系統図)を見ておしまい)

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipOEEIuoTtOBU_t_02Ic9CED8NbbaPflhJ1Izv8j=w408-h306-k-no

(24時間耐久レースで有名なル・マン サルト・サーキット

 

11時38分発、同じ西海岸Quimperカンペール行も12・13両くらいで(メモより)「なぜか1両目に貨車がついていた」。

パリからたいしてかわり映えのしなかった”平らな風景”は、このあたりまで来て赤や黄色の花を咲かせていました。

「家畜の数もイギリスほど多くなく、羊はいない」

先ほどの列車に続き”ぶっ飛ばし”が続き、13時13分、90分ちょっとでブルターニュ地方の中心都市レンヌ(地図左上↑↑)まで来ました。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipNUfbOb9BDcJTKyYOLVC8PV4xH8CNCa__QT-0js=w408-h272-k-no

(レンヌ 平らな街が続きます)

 

モンサンミッシェル観光の起点”の街で一泊と思いユースホステルに電話をしたら話が通じず、女性の「!”#$%&’()=~|‘{+*}<>?_!(フランス語)」で切れてしまいました。

(メモより)「数字を言っていたので”番地が変わった”らしい・・・(*なぜ番地と予想したのか・・・)」

スコットランドの14時受付・電気オーブン付の恵まれたユースホステルと違い、フランスは18時以降に受付のところがほとんどでしたが、とりあえず行ってみましょう・・。

 

暖かな日差しの中、1.5キロほど歩いた先にあったのは”ユースホステル、ではなくユースホステル張り紙”でした。

内容は「5月7日(★1か月前)から駅の反対側に移動した」

「駅より3㎞(★こちらは1.5㎞反対側です)」

 

地図を見てもちんぷんかんぷんで、それなら一気に目的地サン・マロまで行こう!にも駅に着けば列車は(平日も11時の次は)16時19分までない・・・”。

思いっ切りローカル線の洗礼を浴びつつ、(メモより)「待合室もベンチもイスもないホームの端に停めてあった”荷物運搬用の大型カート”で一休み」

その間、日記なんぞをしたためていたようです。

その行為に”目くじらを立てる人はいない”、ゆるい時代・・・だったのかもしれません。

 

夕刻、待ちに待った列車はディーゼル機関車2両が客車6両を引っ張り、古いコンパートメント(個室)に座ると壁には城の写真が掲げてありました。

予想通り、2両のディーゼル機関車は力強く走り出し、目いっぱいの時速140㎞/h・表定速度(1時間)100㎞弱は日本(*当時は国鉄で翌1987年分割民営化)の特急より断然早い!

https://streetviewpixels-pa.googleapis.com/v1/thumbnail?panoid=RBL3MuIjHsGzHybUs1_8KA&cb_client=search.gws-prod.gps&w=408&h=240&yaw=255.99611&pitch=0&thumbfov=100

(途中駅 線路幅は日本が狭軌1067㎜・新幹線とフランスが標準軌1435㎜・例外あり)

 

https://streetviewpixels-pa.googleapis.com/v1/thumbnail?panoid=-hCxZJjwQ4-O1AEl7Dz6Mw&cb_client=search.gws-prod.gps&w=408&h=240&yaw=39.066307&pitch=0&thumbfov=100

(どこまでも平らな沿線 いかにも大規模農業に適していそう)

 

三度の乗換駅でふと浮かんだ、”レンヌで止まらなかった分、有名地モンサンミッシェル(サン・マロ方面とは反対へ行く”というアイデア

「切符は車掌から買えばいい」

 

そしてその17分後に降り立った、ポントルソンは9㎞先のモンサンミッシェルへの起点駅。

結局この日は車掌さんに会わず(=検札なし)、乗車変更した乗換駅からポントルソンまでの切符を買うことなく済んでしまいました。

 

ポントルソンの町で見かけたドイツ人団体さん。

列車にもバックパッカー多数、で次第に有名地に来た実感が湧いてきました。

 

それなのに、ガイドブック「地球の歩き方」には”バスは8時半の1本”。

駅前に宿を求めれば英語は通じず、「フランス語は必須」でした。

地球の歩き方編集部」の方が泊まったところによれば、

「気のいいチャキチャキしたおばさんが、翌日夕方まで荷物を預かってくれた。部屋は清潔。ダブル+シングルベットで二人で60フラン(=1700円)」とのことでしたが、この日は”値段表:42~64.5フラン”の64.5フラン(=1800円)で朝食は11.5フラン(=330円)。

 

通貨単位はフラン(現在はユーロ)で1フラン=約28円

国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 

35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)

 

(メモより)「他の部屋は満員と言われたが、人の音は聞こえない

観光地であればそんなもの、かもしれません。

それでも、パン屋さんの”プチ・バタール(一回り大きなバケットを半分にした)が、2.25フラン(=60円)、甘いクリームケーキ3.45フラン(=90円)と、決して高くないようでしたが、皆、フランス語」。

恰好が東洋人でもフランス語”だったのは、後に知った”ベトナム人移民”の存在でした。

彼らにはベトナム人も日本人も同じように見えていたのかもしれません。

 

つい、”観光地なら観光客に合わせて英語くらいは話せた方がいいのでは?”と思ってしまいそうですが、この国を訪問するということは・・・うんぬんと、のちにフランス人の方からレクチャー(講義)を受けることになるのです。

 

もし日本で見た目が”外人さん”に会えば、”まず日本語で、通じなければ英語等の外国語で”とならずに、”英語で話をしなければ(通じないかも?)”と反射的に思ってしまう自分。

それとは対照的に、宿も含め”有名観光地でもフランス語”に、現地の方々の言葉への誇りや愛国心を感じるバックパッカーでした。

それは、帰国時利用したパリ・シャルルドゴール空港でも。

つたなくても、”コーヒー2つください”とフランス語で言えば、店員さんに元気な声で「ウィ!ムッシュー~!」返答されうれしくなりました。

 

 つづく