(昨年12月 福島県 浜通り 一帯は更地 震災前このあたりにあった集落の記念碑 遠くに震災遺構の小学校 車1台 人1人)
先日、昨秋車を売った高齢の父親がレンタカーを借りに行き断られていたことが判明。不用品を"軽"に積んで売りに行くと言っても「自己完結/既に往復のタクシー代7000円」にあきらめの、へき地県境民です。
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
6月11日(水)
イギリス海峡を渡りフランス滞在8日目。
(地図と写真と説明文/小、はグーグルマップより)
西部、海沿いの要塞都市サン・マロ(地図左上↓↓)で荒天の一日。
(便せんメモより)「晴れから曇り、そして雨と日一日と悪くなる天気は面白い」
”サイクリングで近郊の村巡り”の希望は”雨混じりの突風”で露と消え・・・。
ならば船(フェリー)で対岸のディナール(地図下↓↓左)へと”当たり”をつけて行ったターミナル(↓↓中央)。
そこで知ったのは、対岸イギリスのポーツマス(*条約締結の地)や滞在したプリマス、フランス沿岸なのにイギリスの島二つ(ガーンジー島・ジャージー島 地図上↑↑)行のみで対岸へは行かないということでした。
(フェリーターミナル 遠くは旧市街)
雨から薄霧に変わっても地形上風が吹く街。
それなのに、旧市街は相変わらず観光客でごった返していることに本日を休養日にすれば、空にごう音鳴り響くヘリコプターの群れ(5機)・・・・・。
どうも演習にこの程度の荒天は関係ない空模様でした。
さしづめ”北方領土”のような?フランス沿岸なのにイギリスの島二つ(ガーンジー島・ジャージー島(地図上↑↑)を間近に抱えていれば、”備えあればなんとやら”なのでしょうか?
(*2島を含むチャネル諸島はイギリスとフランスの文化が混ざり合う、自治権をもつイギリス王室属領 ジャージー島は第二次世界大戦でドイツに5年間占領された その遺産数々・・)
昨日今日で見慣れた海を見、”気まぐれレンズを絞り”帳面に一枚書けば、霧でにじんでサインペンも色変化(へんげ)。
(夕陽の見える海岸)
スーパーでの”仕入れ”は、エビ(小)100g 3.6フラン(=100円)、ティモテシャンプー8.5フラン(=230円)、トマト2個 2.6フラン(=70円)、ピーナツ200g 4フラン(=110円)等々。
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
夕方、一日中開いている?ユースホステルに戻り夕食作りも”競争”なのは、大収容人数の割に狭い炊事スペースが原因でした。
コンロ3つに調理器具や食器少々・・・・・されど冷蔵庫は強力な助っ人。
食後思い立ち、4月のキリスト教生誕祭休みにドイツに遊びに来て行動を共にしたフランス人宅へ電話をしたら、番号違い?でかからず・・・・・(*仏語は無理なので英語で)。
その際その地名(Laval)から思わず古い歌(♪さ~ら~ばラバウルよ~)を連想してしまいましたが、よく見ると”ラバル”。
歌の続きように、”また来る”ことはおそらくない、一筆書きの駆け足旅でした。
”落陽(日の入り)”は午後10時半(*高緯度)。
落ちた太陽はたいそう感動的だったようで、(メモより)「まっ晴れに真紅、言うことなし」
なのに「ああ!寒風にシャワー上がりは身に染みる~」
(サン・マロの海岸にて)
つづく