(昨年12月 福島県 常磐線 駅前の桜並木で有名な夜ノ森/よのもり駅 改札口 空間線量計の数値は異常なし)
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
6月14日(土)
イギリス海峡を渡りフランス滞在11日目。
(地図と写真はグーグルマップより)
パリ南西部、ロワール河畔の街トゥール(地図下↓↓)を起点に日帰りで六つの古城を訪れてみました。
午前9時。
3日続きの快晴に心おどらせながらユースホステルに予約していたVELO/ベロ(モペット・乗り物)を取りに行くと、目の前にあったのは電動ではない普通の自転車・・・(40フラン=1120円)。
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
(便せんメモより)「鍵付きでも差し込む鍵がない(*鍵を差し込まなくても最初から開いているのでそのまま乗れるけどロックはできない)自転車」
鍵が壊れているとも言いますが、そんなことは気にせず思いっきり走り出しました。
「右側通行にはすぐに慣れたけど、車は60~80km/h制限の道を無視して飛ばす」
「平地を風切る走りはそう快!」
やがて見えた一つ目の城、モンバゾン(地図上右↑↑)は、小高い丘の上にありましたが、写真と違い当時は”放置状態”で柵があり入れない・・・・・。
さようなら~。
(現在のモンバゾン城)
主要道から脇道に入れば車の数もぐっと減り、のどかな景色が続きます。
道の両側に広がる丘と畑。
点在する家家。
さくらんぼの木はこのあたりも決して暖かい地ではないことをうかがわせます。
お昼前に2つ目の城、サシェ(地図上↑↑中央下)に着けば、有名らしく入口に人人人。
広場にも人人人。
そして「12~14時は昼休み」
(メモより)「道ばたより垣間見て終わる」
(サシェ城 川の流れは街中で仕切られ、おだやかに)
(メモより)「サドルの高さからか”けつ”が痛くなってきた」(⇒調整ス)
地図/サシェの左隣、三つ目の城アゼ・ル・リドーは当時”読み方知らず”でしたが、訪れた時はちょうど、「結婚式の真っ最中~!!(*土曜日です)」
「いいな~」
「お城での披露宴」に感動するバックパッカーでした。
(アゼ・ル・リドー城)
ここから有名なシノン城までは20㎞・・・はあきらめて距離半分のユッセ城(地図上↑↑リヴァレンヌ左あたり)へ主要道を横切り、混まない道をのんびり~のんびり~。
四つ目の城に午後1時に着いて”握り飯(昼食)”でしばし1時間。
入場料12フラン(=335円)のサシェ城に対しこちらは28フラン(=780円)と知り、全城中まで見なくてもいい気持ちになったのは、道中たくさんの教会や大聖堂を見てきたのと同じ心境からでした。
(ユッセ城)
いつの間にか接近する”低気圧”にともない、曇り空に向かい風は強く、”一番軽いギア”ではたいして進まず、まるで”行軍”のようになってしまいました。
(メモより)「川沿いの道は風をまともに受けて、虫や綿が舞い時に目に飛び込みパニックになる」
やけに長くかかって着いた五つ目の城ランジェ(地図上↑↑左)は街中でしたが、こちらもまた”川沿い”でした。
「古くて城なのか長屋なのか」
(ランジェ城)
「地獄の走りは川走り」
にごり水のロワール川を左に右に、やっとの思いで村々を通り過ぎる自転車。
強風に”でへでへ”になりながら、最後の六つ目の城ヴィランドリー(地図上↑↑中央)に着いたのは午後5時のことでした。
大勢の人に混じり15フラン(=420円)を払って入場すれば、見慣れた同じような城とは裏腹に、庭が広い!すごい!!(下↓↓)
(15世紀に造られた ヴィランドリー城 絵葉書)
野菜と花畑のなんときれいなこと!
(メモより)「緑にすみれの紫だけの色も上から見れば迷路もどきの幾何学模様」
2・3時間はいたいところを我慢して、午後6時は最後の走り。
”どへどへ”だった走りも残り15㎞を残すのみになりました。
しばらく飛ばさず(*強風で飛ばせず)に来たせいか疲れもだいぶ取れ、午後7時半、無事車にもはねられず帰還し、90㎞・10時間の旅は終わりました。
長時間のアウトドア体験で、いままで経験したことのない”日焼け”が中間色(白系でもない黒系でもない)の邦人バックパッカーを襲いましたが、幸いヒリヒリにはならず・・。
その晩ぐっすり眠れたことは言うまでもありません。
つづく