(隣県の広い砂浜に隣接する漁港 険しいリアス式海岸にあって平坦で広い敷地 昨日は隣市の高校の卒業式でした)
1月、病院嫌いは2年半前からの体調不良が週の間再発、半島の開業医で検査と薬をもらえば、”健康寿命”より10年以上速い”不健康の訪れ”に”弱肉”を自覚する、へき地県境民です。
なので、今月15日の小学校卒業式の撮影(卒業アルバム用)アルバイト依頼が写真館さんからありましたが、、、。
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
6月25日(水)
フランスから越境しスイス滞在6日目。
(地図と写真/小文字の文はグーグルマップより)
この日は西部無名の町、バレー州の州都シオン(地図下↓↓中央左)から東方、無名の村フィエッシュ(地図下↓↓右19付近)へ。
バレー州内でもフランス語圏からドイツ語圏へ。
一昨日と違い、同じ”団体”でも引率の先生が??なのと、”物心ついた生徒”のためか、昨夜は遅くに枕投げやらプロレスショーを相部屋で”披露”され、寝不足のまま7時起床・・・。
(便せんメモより)「8時過ぎ、団体さんがチェックアウト後、奥さん(管理者・ペアレントは夫婦のことがある)は部屋の片づけのみならず”廊下のテーブルに人がいても空いたイスを上げている」
この国では通常10時チェックアウトがここでは9時ですが・・・。
(*ユースホステルは国によりイン/アウト時間はバラバラです)
”30分もつはずの電気コンロは20分”でしたが、管理がいいだけに残念でした。
10時1分発の鈍行(列車)に乗り、両側にブドウ畑広がる谷を行けば、いつの間に標高が上がり、海抜500mのシオンから分岐点ブリーク(地図上↑↑中央”フィスプ”の右隣)に着くころには650mに。
走行中、駅の表示やアナウンスが突如”フランス語からドイツ語に変身!”したのは驚きでした(★同じバレー州です)。
(沿線 ブドウ畑がたくさん)
この街もたくさんのでお客さんで観光一色。
なぜならブリーク駅は
・マッターホルン観光の起点ツェルマット方面
・(これから乗る)アンダーマット方面
・首都ベルン方面
・イタリアミラノ方面
の”5差路”にあたるからです。
・イタリアミラノ方面では、全長約19㎞にも及ぶ”シンプロントンネル”の起点ですが、鉄道ファンが乗ってしまえば行き着く先はイタリア・・・(断念)。
駅で会った香港人によれば「ツェルマットで多くの日本人に会った」。
多くの日本人が来ていたこの国もコロナ前の33年後(2019年)にはC国人にとって代わられ、日本人はめっきり少なくなるとは当時知るよしもなく・・・・・。
(下記ブログはシオンの先からブリークまで写真入りで記載しています)
13時7分、私鉄で”線路幅が1067㎜・ナローゲージ”の登山鉄道は、かわいい電気機関車が3両の客車を引っ張ります。
列車はまるで日本の山岳ローカル線のようにくねくね道を少しづつ登って行きます。
向かい合った座席の窓際テーブルに地図(路線図)があり、途中ロープウェイの起点となる駅をいくつか見かけました。
(沿線 狭い谷)
やがて、いっそう狭い谷をあえぎながら登り、なんと”ループ”を描きながら進むに至っては”登山鉄道”を実感するばかり。
山肌が左右に迫る景色を堪能すること1時間、14時に着いたフィエッシュ。
冬場はスキー客でにぎわう村も今はギンギンの太陽を受け、肌もあらわな観光客たちがくつろいでいました。
(下記ブログはブリークからフィエッシュまで写真入りで記載しています)
(フィエッシュ駅から坂を下ること3分で川に出ます)
ユースホステルは徒歩8分の”ケーブルカー駅から一駅”。
と言っても、標高1040mから2020mへ一気に登ります。
そして翌日目指すは氷河が見える終点2980mまで。
6月下旬はまだシーズン前なのか、大小のゴンドラが動いていました。
(下記ブログはフィエッシュのケーブルカー駅を写真(↓↓)入りで記載しています)
翌日の2000mのユースホステル話につづく