三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

1986 昭和の東西ヨーロッパ行 6 若輩者の短期見聞録 仏独VS日  欧州 西ドイツ フランス No.495

(8月上旬 山形新幹線終点 新庄駅前無料大駐車場)

防災無線が、1945年8月9日11時2分に長崎に投下された原爆犠牲者の慰霊を呼びかけ、黙祷するへき地県境民です。

 

今から37年前の1986(昭和61)年、転職直後にやめたおかげで幸運にも実現した長旅。

「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。 

 

4月6日(西ドイツ レートゲン/ロェトゲン 地図2枚目右下の町)

(レートゲン/ロェトゲンは右下)

ここでは、連日夜のパーティーで2時ごろ寝てもあたりまえのようでした。

4月上旬はまだ町を歩いても”耳が痛い(低温)/まだ雪降るよ”。

(便せんメモの記載では)「男が料理するのも普通で”スパイスの効いた中国料理(ピクルスとみかん入り)”でフランス女性4人をもてなした昼食」

「食後はのんびり散歩と”Kafee Break(コーヒーブレイク)”で話の好きな人たち

ああ、言葉が欲しい・・(独・仏語)」

今なら翻訳機(機能)を使い容易に・・でしょうか。

 

夕食は「豆・にんじんをゆでたものと豚肉焼き」と質素(に感じます)で調理法はいたって簡単です。

(午後)9時に”お別れの宴(うたげ)”があるとかで、彼らの”別荘”に赴(おもむ)いても”(独語仏語が話せる)彼らと違いほとんど会話ができない人はお呼びでない・・。

こりゃまた失礼しました・・・で早々に退散。

やっと早目に床に就くことができました。

 

○○○ 若輩者の短期見聞録 仏独VS日 フランス人・ドイツ人・日本人 ○○○

(注:訪欧1週間で感じた印象を修正なしで記載しました

   不適当な表現や異なるご意見がある場合はなにとぞご了承ください)

 

1.仏独人はたばこを最後まで吸う(現在地元のゴミ拾いでそこかしこに捨てられた短い吸い殻を見れば、値段が高くなったたばこを日本人は最後まで吸っている・・と同じか他に違う理由があるのかもしれません) 

マルボロ」は4DM(ドイツマルク=320円・この年「セブンスター」は200円から220円へ)

 

 

 国税庁が発表した民間給与実態統計調査の結果によると、昭和61年(1986年)の平均年収は386万円でした。

35年後、2021年(令和3年)の平均年収443万円(14.7%上昇)と比べると、約13%低いです。

 

2.独人は紙巻きたばこ4DM(自分で巻く)が多い 女性まで巻いている

3.「ケチ」(訳:おそらく倹約家の意)・・人を招いてもごちそうは出さない

招くのは日常的に数多く行われる習慣なので

 外に行っても食事は持参/金をかけない(外食代が割高なことも)

4. トフィー(チューイングキャンディー)が出回っている/おいしい!

5.交際術を会得している⇒人の家に行ったり、パーティーをしたり、コーヒー一杯で話し込んだり、それはもう仙人

6.ほとんどステディー(深いお付き合い)関係のある彼(彼女)がいる⇒意外にひんやりしている

7. 飲み食いよりも話すること これ第一の掟(おきて) 

 

 1週間のカルチャー体験は、たび重なる失敗を糧(かて)にしてこのあと続いていきました。

  

 つづく

 

追伸

お盆(移動)で休みます。

皆様よいお盆休みをお過ごし下さい。

前後休みの方も。