(X.旧ツイッター Kyle Bassさんより)
ニューヨークのホテルで朝食を摂れば、ついに100ドル!(14500円、チップ込の一例)到達に驚く、へき地県境民です。
さすがに本人「二度と利用しない」 ですが、もしこの方が日本に来たら、、、
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
7月12日(土)
フランス⇒スイスから小国リヒテンシュタインを抜けてオーストリア滞在10日目。
(地図と写真はグーグルマップより)
昨夜東部の首都ウィーンから乗った夜行列車で6時半に着いた西部インスブルック。
以前利用し”勝手がわかる”バッタ屋さん(*格安スーパー)で食料を仕入れ、初めての”長距離列車”で東部の都市グラーツ(地図↑↑・右下)方面へ。
9時42発の山岳急行は週末にバカンスシーズンが重なり混み方半端なく・・。
(沿線の町)
列車は山国の山岳地帯を一時間に60㎞くらいのスピードでゆっくり進んでいきます。
(沿線の山岳地帯)
眠る気がなくても、その単調なスピードと車窓にやがて睡魔がやってきて・・。
(沿線の小さな村 家々はスイスに比べて地味な色合いも落ち着いた感じ)
目が覚めては寝落ちして、を何度か繰り返しつつも目的地はまだまだ先に、(メモより)「覚悟してても長いものは長く、遠いものは遠い」
(沿線ののどかな景色)
やっと暗い雲から日が差してきた頃の16時。
6時間を超える長旅がやっと終わりました。
ブルック・アン・デア・ムーア(地図↑↑・右・グラーツの左あたり)はウィーン南西123㎞・標高450mの町で、来た目的はそこにユースホステルがあるから。
(ウィーン南西123㎞の町 ブルック・アン・デア・ムーア)
幸運にも町の地図にユースホステルを見つけ歩くこと25分、無事泊まることができました。
(一番下/ブルック・アン・デア・ムーア ユースホステル宿泊スタンプ)
その日のメンバー(宿泊者)は英国人学生5人、カナダ人1人、アジア人1人の計7人。
大型のユースホステルと違いこじんまりとしたところでした。
ところがところが、
(メモより)「通常あいさつを交わす習慣のある彼らはなぜか口を開かず」
なんで~???(差別かな?)のアジア人。
「加えて(彼らは)2口しかない電気コンロを2時間占有」
このことを個人主義と呼ぶのか、はてまた利己主義と呼ぶのか・・・。
”言わなければわからない・気がつかない”はあたりまえで、日本人でもない人たちに日本人のような気配りを期待するほうが間違いでした。
こんな時は黙っていないでいつ終わるのか?聞くに限る/自分も使う/待っていると主張すると思うのは今(経験を積んだ中高年)だからかもしれません。
加えて、再確認や時に催促も・・。
それでもこのあたりは”ど山の中”。
自然がいっぱい、は言うまでもありません。
時間があればのんびり滞在するにはとてもいい所のように思える、アジア人バックパッカーでした。
### 気づき ###
|窓口|
・オーストリア人の駅窓口での並び方は ③ ① ② ←横から割り込んでも平気
④
・列車の遅れはオーストリア人の性格か? 99%は遅れるがのん気?で遅れを取り戻す気がない
なので、乗り継ぎに注意
・休耕地が多い このことが大きい野菜に関連ある?
・個人主義? 人が少なくても”避けない” 重量物(リュック)を背負うこちらばかり
が避けるので、試しにそのまま歩いたらリュックにモロに当たる人がいた
ベンチに座って足を伸ばしていたら避けずにまたいで行った・・
二人で並んで歩けば対面から人が来ても避けないで対面の人が避ける
・カートレインが多い 小型車からトレーラーまで運んでしまう(*日本は過去失敗)
つづく
(沿線)