三陸 海 旅 つれづれなるまま

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昭和の鉄道旅 北海道 1970年代・80年代 国鉄 周遊券 No.416

今から4,50年前の1970年代後半から80年代前半(昭和50年代)。

JRに分割民営化される前の国鉄日本国有鉄道)。

新幹線は東海道と山陽(東北は82年開業)のみで、昼夜を問わず特急・急行が全国を網羅していました。

そんな国鉄が発行していた「周遊券」を利用した旅ができたことはとても幸せなことでした。

 

1979(昭和54)年、春休みを利用して訪れた北海道の旅は18泊19日。

「北海道ワイド周遊券20日間有効」は「エリア」までの往復を含め急行まで乗り放題・途中下車OK。

今はJR各社がエリア内乗り放題の切符を発売することもあるようですが、それは新幹線を含めた金額です。

「往復乗車券よりも安い周遊券」は鉄道ファンには思う存分乗れる、ありがたい存在でした。

(降りた駅は主要駅と黒字で、乗ったところは赤い丸で示しています)

(全区間乗っているようで、実は一駅区間だけ逃しています・右のほう)

18泊のうち、ユースホステル泊まりは3分の二。

三分の一は「夜行列車」や「青函連絡船(青森~函館)」で移動するという鉄道天国でした。

「旅のお供」は日本交通公社発行の大きく厚い「時刻表」、駅で押す「スタンプ帳(小さなメモ帳)」「携帯ラジオ」「切手(文通相手に出す手紙に貼る)」「ナイフ・缶切り」「海水パンツ(温水プールで泳ぐ?)」「スケッチブック」。

 

北の急行(一部特急)列車名は★鳥「白鳥」★イメージ「つばさ」★地名・地方・峠・山「あさひ」「津軽」「えさし」「松前」「せたな」「北斗」「ちとせ」「いぶり」「ノサップ」「しれとこ」「えりも」「天北」「利尻」「礼文」「宗谷」「かむい」「らいでん」「狩勝」「大雪」「天都」★花き「すずらん」「からまつ」など

今は亡きローカル線には多くの急行がありました。

(本線を除き、写真のような”枝線”はほぼ消えました 現在、本線の一部にも廃止論議が・・・)

北は春まだ遠く(3月)。

北海道に渡る前から「雪の影響」を受け、列車は1時間超えの遅延。

秋田牛めし500円・お茶50円。

札幌発網走行き夜行列車を終点で降りたら「豪雪」の影響で、その先はどこも運休(通行止め)で、仕方なく「そのまま引き返した」ことも。

 

函館本線室蘭本線から出ている枝線は「炭鉱線」で最初に(廃線)。

襟裳岬に帯広や苫小牧から向かう線はその後と「災害」があればその時に。

幸福駅広尾線)」はレールがなくなった今も営業中のようです。

札幌近郊の札沼(さっしょう)線は途中の「通勤区間」までが残り、しっぽ切り。

見事なほどに「ほぼ本線」を除いて消えました。

毎冬画面に登場する極寒地「陸別」や松山千春さんの家がある「足寄(あしょろ)」を通る池北(ちほく)線は第三セクター化もむなしく廃線

終点に付ける適当な駅名がなく、願いを込めて「北進」にすれど、1964年の開業時すでに廃止へのカウントダウンが始まっていた白糠(しらぬか)線(こちらにも炭鉱がありました)。

「人より牛の方が多い」別海町があった標津線はだだっ広い平原を走っていました。

調べてみると「人より牛(が多い)」の自治体はあるはあるは・・・。

十勝地方(帯広あたり)が多くベスト10で7つ、根釧地方(標津線あたり)は3つ。

人口は減り、牛は(規模拡大で)増え、差は開くばかりも、このところの餌代高騰で心配です。

 

帯広の隣、池田町ではワイン工場を見学し、町を一望できるレストランでユースホステル代が1800円の当日、奮発して「駅弁の5~6倍」の値段でサーロインステーキ定食をいただいたと(記録・今思えば貧乏学生さんがよくもまあ)。

初めて前菜(スモークサーモン・魚・レタス)・スープ・パン・サラダ・ステーキ・コーヒーの「コース料理」でスプーン・フォークが長短複数出てきて戸惑ったのもこの時でした(正解は”外側”から使う)。

食の「楽しみ」と言えば「特急の食堂車」(こういう時だけ奮発したようです)。

「石狩定食(鍋)」、満員・売り切れで「カレーライス(400円)」。

計画段階で何をどう間違ったのか、一日3本の湧別支線(中湧別~湧別)のみ乗らずじまいでした。

流氷で有名な網走と並ぶ紋別あたりも、名寄本線とたくさんのローカル線がありましたが全滅。

全通を目指した興浜南線・北線はかなわず。

同じように、岐阜・福井直結を目指した、越美(えつみ)北線・越美南線は南線が第三セクター長良川(ながらがわ)鉄道」となり断念。

「日本一の赤字線」で一時話題になった美幸線も延伸予定でした。

 

旭川から稚内までは途中の音威子府(おといねっぷ)から二股に分かれていました。

廃止対象となったのは「利用者数が宗谷本線を上回る天北(てんぽく)線」。

○○本線というだけで廃止をまぬがれる仕組みでした。

その後、急行も走っていた天北線の中心、浜頓別(はまとんべつ)町の人口は大きく減少、4000人を割り込むまでになり、今ではバスの運行継続の可否論議が出ているようです。

長距離(高速)バスばやりの今、ローカル線は「(割増料金をもらえる)特急の需要」がなくなったら、継続するのは厳しい感じがします。

その特急も札幌~稚内が1本・旭川稚内が2本の計3本とは・・・(風前の・・・)。

乗車率の記録では、朝晩の通勤通学時や週末・祝日を除き50%どころか10%かそれ以下、まれに「貸し切り」な区間も・・・。

まれに100%越えや、混んでいたのはやはり札幌近郊区間でした。

雪が降っても大丈夫=札幌中心部の広い地下街「オーロラタウンポールタウン」。

ラーメンや弁当が300円・400・500円(森駅の「いかめし」は300円)で食べられた時代、すすきのの「ラーメン横丁」は値段も味も別格でした。

 

1979年(昭和54年)の平均年収は273万円(★2019年は1.6倍)。

2019年(令和元年)の平均年収436万円の約63%でした。

「19日間の旅」でかかった費用は、周遊券13360円、切符代、(カメラの)フィルム代、宿泊代(12泊)24000円、飲食代15000円、いけない遊興費、いけない飲み物代、お土産代を含めて60000円で令和なら95000円。

 

安いと感じるか、その金額があったら他に回すかはひとそれぞれです。