三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

昭和の鉄道旅 秋田県 1970年代・80年代 国鉄 周遊券 No.415

今から4,50年前の1970年代後半から80年代前半(昭和50年代)。

JRに分割民営化される前の国鉄日本国有鉄道)。

新幹線は東海道と山陽(東北は82年開業)のみで、昼夜を問わず特急・急行が全国を網羅していました。

そんな国鉄が発行していた「周遊券」を利用し旅したことはとても幸せなことでした。

 

1978年(昭和53年)、冬休みに訪れた秋田県の旅は・・・。

「秋田男鹿ミニ周遊券・7日間有効」は「周遊エリア」までの往復を含め急行まで乗り放題・途中下車OK。

今はJR各社がエリア内乗り放題の切符を発売することもあるようですが、それは新幹線を含めた金額です。

「往復乗車券よりも安い周遊券」は鉄道ファンには思う存分乗れる、ありがたい存在でした。

(降りた駅は主要駅と黒字で、乗ったところは赤い丸で示しています)

12月も残り1週間の年の暮れ。

「旅」にはまった学生は、夏は南へ冬は北へ。

途中の駅駅には多くの種類の駅弁があり、今思えば全盛期。

「かにめし」「あわび釜めし」「山菜なべ弁当」「すきやき弁当」などが500円。

「かにめし」を買い求めたら「午前一時製造にびっくり・あわびふた切れ・ほっき貝・笹かまも入っていたけど肝心のかには薄く少ない」。

ミニ周遊券の狭いエリア(秋田県)内にも「かしわ弁当(比内地鶏の県)」「仙北おばこめし」「かまくら弁当」などが500円でした。

 

鉄道ファンは乗る事が目的。

ローカル線のすみずみまで走っていた急行は「津軽(地名)」「きたかみ(地名)」「しらゆき(?)」「天の川(天体)」「千秋(せんしゅう・秋田市の公園・ちあきではありません)」「おが(地名)」など、ディーゼルカー気動車)か電化された本線上は機関車がけん引する「二重窓の客車」など。

防風林ならぬ防雪林を進み、一部を除き単線区間ゆえの「交換(すれ違い)」。

ローカル線ならではの「普通車に郵便・荷物車のついたディーゼルカー」。

かまくら」で有名な横手駅に着くとラッセル車が複数いる、そこは雪国。

カメラのフィルム装填(そうてん)でうまくいかず巻き戻したら先っちょが入ってしまい360円がパー。

朝7時台、「上野発の夜行列車(に)乗った時から~横手駅は雪の中♪」。

「矢島線(現、由利高原鉄道鳥海さんろく線・23㎞)」のディーゼルカーは惰行運転(惰性で走る事)で車に抜かれる抜かれる。

「陸の松島(松が点在する)」象潟(きさかた)の宿(ユースホステル)は横手に続き今夜も一人。

朝、これまた「上野発の夜行列車(に)乗った時から~乗車率10%の中♪」。

対して、今ではありえない「男鹿線終点まで立ちっぱなしの混雑・月曜の午後」。

それから44年、昨夏(令和3年)見た終点男鹿駅と道の駅以外、周辺のちょう落ぶりに何も言えず・・・。

秋田美人があちこちを行く(★44年後もそうでした)。

男鹿(おが)ではやっと7人(男5女2)のユースホステルに泊まり「きりたんぽ」の夕食。

西から来た学生さんと歩き浮かれてレンズ忘れて2㎞戻る。

半島の展望台(八望台)まで車に乗せてもらいひとり占め(寒くて誰も来ない)。

日本海を望む湾(戸賀湾)でもひとり遊び(冷たい風)。

翌日は2人のユースホステルで東京の看護婦さんと話し「しょっつるなべ」の夕食。

いずれも忘れられない思い出です。

 

物価は、ソバ200円、ラーメン250円・味噌ラーメン350円、カレーライス270円、パン50円、牛乳60円、電話代40円、ゲーム代30円など。

1978年(昭和53年)の平均年収は260万円。

2019年(令和元年)の平均年収436万円の約60%でした。

 

「7日間の旅」でかかった費用は、周遊券4400円、バス等交通費、(カメラの)フィルム代、宿泊代(ユースホステル、素泊り1000円・二食付き1700~2050円)、飲食代、お土産代、いけない遊興費・液体代を含めて22000円で令和なら36000円。

安いと感じるか、その金額があったら他に回すかはひとそれぞれです。