今から4,50年前の1970年代後半から80年代前半(昭和50年代)。
新幹線は東海道と山陽(東北は82年開業)のみで、昼夜を問わず特急・急行が全国を網羅していました。
そんな国鉄が発行していた「周遊券」を利用した旅ができたことは非常に幸せなことでした。
1978年、夏休みを利用して訪れた信州・長野県の旅は・・・。
「信州ワイド周遊券・10日間有効」は「エリア」までの往復を含め急行まで乗り放題・
途中下車OK。
今はJR各社がエリア内乗り放題の切符を発売することもあるようですが、それは新幹線を含めた金額です。
「往復乗車券よりも安い周遊券」は鉄道ファンには思う存分乗れる、ありがたい存在でした。
北から信州まで。
利用した「急行」は「仙山(仙台山形)」「鳥海」「八甲田」「妙高」などの山、「野沢」「天竜」「きそ」「アルプス」「たてしな」「信州」「志賀」「つがいけ」「白馬」「伊那」「出羽」「おが」「佐渡」「草津」などの地名、例外は「ゆけむり」「つばさ」。
快速は「木曽路」。
奮発して特急「みちのく」「白山」「あずさ」など。
(降りた駅は主要駅と黒字で、乗ったところは赤い丸で示しています)
列車によっては100%かそれ以上の乗車率の時もあった一方、ローカル線で8両編成のディーゼルカー(気動車)は0~25%だった、という記載もすでに少なくありませんでした。
信州で運用されている車両の特徴は、ディーゼルカーは全国標準の時代であまり変わらない一方、電車は「オレンジと緑色の旧湘南電車」や「旧国電(国鉄設計の吊り掛け駆動式電車の総称)」の宝庫でカメラのフィルム代(写真枚数)を計算した細かい記録が残っています。
グリーン車を改造・荷物車併用・郵便荷物車併用の電車などもありました。
たくさんある型番の中でも、最初の製造(番号が1番)のものを見つけた!こともあったようです。
せっかくなので、と「駅弁」のスケッチ(食した)記録もありますが、薄い鉛筆書きは今となっては何と書いてあるやら・・・。
なぜか「横浜・崎陽軒のしゅうまいべんとう(600円)」も(現在は900円)。
日々の支払い内容を見てみると、「ユースホステル代2000円なにがし」「牛乳55円」「コーラ80円」「ボールペン100円」「駅そば180円・280円」「弁当400円~600円」「コインロッカー200円」「いけない遊興費なん百円か」などなど。
鉄道以外は少しだけ、善光寺等お寺さんや複数の湖、松本城や高原など。
重いリュックを背負い、汗をかきかき移動することは苦にならない年齢。
今なら外せない「温泉」も当時は無縁そのもの。
車窓から見える山々の雄大な風景、長い長い天竜川や広い視界の信濃川・狭い視界の木曽川、最高地点のある高原線(小海線)でも充分でした。
偶然、ばあちゃんの名前の駅を発見!
「出会い」も少し。
高原までバスで行き、リフトに乗って山を登り、どこぞやに入園し、ボートをこいだ相手(関東の学生さん)の名が残っていました。
こうした思い出は一生ものになり・・・。
ありがたいことです。
1978年(昭和53年)の平均年収は260万円。
2019年(令和元年)の平均年収436万円の約60%でした。
「10日間の旅」でかかった費用は、周遊券6800円、切符代、(カメラの)フィルム代、宿泊代、飲食代、お土産代を含めて48000円で令和なら80000円。
安いと感じるか、この金額があったら他に回すかはひとそれぞれです。
(次回から更新は月水金を予定しています)