三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

昭和の東西ヨーロッパ行 144 スウェーデン南部に上陸すれば 北欧 No.635

県央の地下鉄終点駅向かい/地方銀行の入るビルに立体駐車し用を足せば、以前と違いATMが3台に減って驚く、へき地県境民です。

「5分以内の利用」看板に、振込操作が多い月末のお昼どき、どれだけ並ぶのだろうと想像したらゾッと、、、、。

 

今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。

旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。

 

8月18日(月)

北欧、スウェーデン滞在初日。

フランス⇒スイス⇒オーストリアから北上、ドイツ⇒デンマークスウェーデンへ。

(地図や小文字の文はグーグルマップ/Copilotより)

デンマーク首都コペンハーゲン(↑↑)のある半島から対岸までフェリーで20分。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMBujriFyGmJiu6v64zWtKV-t5tnlog1fCLkAGK=w408-h544-k-no

(フェリーから見たスウェーデンヘルシングボリ港)

 

対岸のスウェーデンヘルシングボリ(↓↓・左)は取り立てて観光名所と呼ぶものはなさそうでしたが、歴史ある建物が並び探せばそれなりに見どころがありそうな街。

 

上陸したら、まず初めに行う”行事””は両替です。

携帯電話のない当時はクレジットカードよりも”現金決済”が主流で、現地通貨に両替するのため肌身離さず持参したのが”当時も基軸通貨であるドル札と少数の日本円札、トラベラーズチェック”でした。

両替する国が増すごとにその都度両替する手間も増していったわけですが、今と違って”100%現金払い”は単純で買う方も売る方もわかりやすかったと思います。

 

 

現地通貨・スウェーデンクローネに米ドルの両替が済んだあとは、今夜の宿探しが待っていました。

ユースホステルのある、東方カールスクルーナ(地図・上右端)までは200㎞。

途中乗り換えを考慮すれば、この街に滞在する時間がないのが残念・・・。

 

お昼過ぎ。

8月中旬にもかかわらず暖房の効いた列車”でローカル線を内陸部へ・・・。

 

(便せんメモより)「平地に麦畑は見えても、とうもろこし畑は姿を消した」

休耕地が実に多い」

 

時折ある、あまり大きくはない町に停まりながら列車は進みました。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipM5WKflz8VGVTyysAlF7zwJ6B_0hfra2tFcvZuQ=w408-h408-k-no

(沿線の町)

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipM-_edrT21u54XLWnsFYxAqAgjuWv0GhU3tZoiN=w408-h306-k-no

(放牧された牛)

 

今まで訪れた国々と違い、広大な大地に人家はとても少ない印象でした。

1時間余りで着いた乗り換え駅ヘスレホルム(地図↑↑中央)は近くにスーパーがありましたが、物価高の国ではなるべく食料は使い切ってから購入にすることに。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMfiPiT9DEjplXWKno7BY_ZEoPWA-e3w0uy6c8=w408-h306-k-no

(スーパーマーケット)

 

内陸部の町から東海岸の目的地カールスクルーナまではさらに乗り換え1回・2時間半のローカル線。

それほど大きくはない沿線の町や村で乗客を乗り降りさせながら、列車は内海・バルト海を目指します。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipNEQQDVB7ACPeG6z_bviBk8J8uchv7cZO1A0Ivl=w426-h240-k-no

(沿線の街 クリシャンシュタード 建物は隣国デンマークと微妙な違いが・・)

 

スウェーデンは内陸部に大小さまざまな湖沼があり、車窓から左右に臨むことができました。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipPFokzfnNOMhHK0I6mgD2XmRSyLqSUGSoNSfLI=w426-h240-k-no

 

沿線の大半が建築物のない、続く自然を眺めているうちに景色はぼんやりと霞(かす)み、暖房も相まってうとうと居眠りすること1時間。

 

17時7分。

やっとたどり着いたカールスクルーナ(↓↓)は小さな半島の突端に町があり、周辺に小島がたくさん・・・。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipNWnt7bdc4MDvkAN_LQQS-BBz3kqCLMKYtFep6Q=w408-h306-k-no

カールスクルーナ中央駅)

 

スーパーを急いで見つけ買い物したあと、”I”(案内所)のきれいなお姉さんにユースホステルまでのバスを訪ねたら、2か所ともえらく遠く(7㎞と10㎞)バスは18時5分と20時20分のみ・・・。

予定を変更し今夜は”夜行列車”の出番となりました。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipOu8E2EZRHXCnEH-r3It6aZs5tWjMd6YKtLp8vL=w408-h510-k-no

(カールスクルーナの町並み)

 

見学できる海軍基地もある、見どころ多そうな町を去り来た道を戻る途中、地平線に沈む夕日がとても印象的でした。

 

3時間かけて幹線まで戻り、スウェーデンでは初めての夜行列車に乗り込んだのは22時15分のこと。

(便せんメモより)「翌朝なんと!車掌さんが起こしてくれた

 

国ごとに違う鉄道事情ですが、スウェーデン国鉄にはこれまた特徴がありました。

・電化単線が多い

 

#客車(機関車に引っ張ってもらう)

・30~40年は経過しているだろう古めかしい赤茶色の木造車両

・カーテンとテーブル付

・荷物とコート置き場(吊るす)完備!

2Lくらいの水を入れた瓶がある

⇒印象は限りなく東欧のそれ

 

#電車

・近郊電車は日本の新幹線より広い線路幅で座席配置は通路を挟み2列と3列

・色はふじ色+紺色+白線でまさしく東欧色

 

#夜行列車

・寝台主体で座席車はあって2両、半1等車半荷物車が多い

・1両の中はコンパートメント(定員6名)が2室と開放型の座席

・駅にある”編成表”はあてにならない

”行先表示”はなぜか入口のドアの内側にある

・最後尾のテールライト(赤色灯)のみ車両から左右にはみ出し、まるで”かえるの目玉”のよう

 

高度福祉国家”と言われるスウェーデン

国民平等”の理念から2・3年前に敬語が廃止。

ボディーガードは執務中(8時間)のみにした結果、パルメ首相が深夜首都ストックホルムの路上で2発の凶弾に倒れた(暗殺された)のがこの年1986年2月のことでした(*事件はいまだに未解決)。

 

(メモより)「ともあれ北緯60度(*北極圏は66度)なんですなぁ・・・」

(北緯60度の有名都市はスウェーデンストックホルムノルウェーオスロフィンランドヘルシンキ、ロシア・サンクトペテルブルクなど)

 

 つづく