先月7月下旬。
2011年、東日本大震災で児童や先生方84名が犠牲になった石巻市立大川小学校からだいぶ離れた川向かい
北上川河口を挟んだ吉浜小学校でも8名の命が消えました(共に閉校/跡地の慰霊碑)
観光バス他多くの車両停まる大川小と違い、いたって静かな場所です
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
9月1日(月)
北欧フィンランド滞在5日目。
フランス⇒スイス⇒オーストリアから北上、ドイツ⇒デンマーク⇒スウェーデン⇒フィンランドへ。
(地図や小文字の文はグーグルマップ/Copilotより)
## 1986年9月の主な出来事 ##
- 株価高騰とマネーブーム: NTT株フィーバーなどで株価が急騰、マネーブーム高まる
- 葬式ごっこ: いじめの一形態として「葬式ごっこ」が流行
- 英国王室来日: チャールズ皇太子とダイアナ妃が来日、注目を集める
- FIFAワールドカップメキシコ大会開幕: 世界中のサッカーファンが熱狂する
- ジャイアントパンダ、トントン誕生: 上野動物園でジャイアントパンダのトントンが誕生
- ハレー彗星の地球接近: 76年ぶりにハレー彗星が地球に接近、天文ファンを魅了する
首都ヘルシンキから130㎞東、フィンランド海沿いの港町コトカから北上、昨日通った
コウボラから東部国境近くの街ラッペーンランタへ。
気になったソ連(ソビエト連邦・現ロシア共和国)国境に近づいてみました。
コトカから東へ進めば道はそのままソ連・レニングラード(現サンクトペテルブルク)へと続いていましたが、乗るは鉄道、ソ連入国ビザは高額で・・・。
(車で進んだ場合の国境検問所・上↑↑はフィンランド側/下↓↓はソ連側)
(ソ連側・グーグルマップの口コミは2.6・そのうち「★一つ」の口コミは「 27年間、ここで変わったのは従業員だけで、それ以外は何も変わっていませんうんぬん」共産圏あるあるです)
9月上旬。
この時期何日か続く曇り空は北欧ならではの空?
コトカからがらがらの電車で1時間。
乗換駅コウボラ駅前にあったSLは1929年(昭和4年製)で日本のD51と同じ動輪が4つなのに最高速度は時速60㎞・・・。
(現在も保存されているコウボラ駅前のSL)
国境近く拠点の街は長距離バスの発着地らしく、色とりどりの大型バスがいるさまはさながらイギリスのようでした(*当時イギリスは鉄道よりもバス網が発達していた)。
(便せんメモより)「いままでの西側と違い、聞いたことのないバスのメーカー名はソ連製?(*ソ連から来た)」
当時往来のあったソ連との”つながり”。
それも現在はウクライナ戦争でロシア人越境阻止のため、「国境で全長200㎞にわたるフェンス建設」が行われている模様です。
(沿線)
コウボラからのディーゼルカーにはスウェーデンの車内で見かけた”水の入った大きな瓶”が置いてあり、こちらもかなり年季が入っているようでした。
(メモより)「布の材質があまりよくないのか、ひじ掛けがこすれている」
山の中は9月1日にしてもう紅葉が・・・。
13時半。
50分で着いたラッペーンランタはフィンランド最大の湖サイマー湖の南岸にあり、ロシア国境からわずか30kmほど(地図↓↓)。
緑多き駅前に降り立ち3時間ほど周辺を歩いてみれば、戦争(*ソ連侵攻)の影響なのか新しめの建物が目立ちました。
(メモより)「フィンランド湖水地方120以上の湖を運河や水路で結んだ、サイマー湖からソ連までの運河(*高低差約70mで総延長は約81㎞)が印象的」だったようです。
時にフィンランドは侵略を受け、領土が割譲もされました。
もしもこの国に”ウクライナ侵攻”のようなことがあれば、再びこの街は最前線となってしまうのでしょうか・・・。
”最大の湖/サイマー湖”は9月が始まったばかりだというのに、写真の明るい印象とはうらはらに肌寒さ感じる曇り空の下、水面まで・・・。
(ラッペーンランタ フィンランド最大のサイマー湖に面した街 ソ連国境まで30㎞)
街のユースホステルは無料プール付素泊まり64マルカ・2435円、朝食22マルカ・840円。
首都ヘルシンキ近郊の27マルカ・1000円と比べるまでもなく遠慮しました。
通貨単位はフィンランドマルカ(FMK)で1マルカ=約37円(*現在はユーロ)
当時、表示は国名と同じSUOMIでした
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
16時42分。
電気機関車にけん引された長距離列車は、”食堂車と荷物車が半々の1両を含む9両でソ連国境に沿って北上し始めました。
(メモより)「森林はあまりにも長く、湖は数がある割に避けて通るためあまり見えない」
「原生林ばかりで耕作地はほとんどない/時折紅葉」
右手の車窓に同じ風景(森林)が延々と続くかのごとく・・・。
(森林が続く沿線)
レニングラード(現サンクトペテルブルク)まで100数十㎞、国境まで10㎞に近づいた時、この森の先はあのソ連かと意識するバックパッカーでした。
奥地を走るせいか、向かい合った4人掛け長椅子が二つのコンパートメント(個室)は閑散として、”8両のうち1等は1両の半分”が閑散路線なことを物語っているかのよう・・・。
近くで”にんじんを生でかじる少女”を見ているうちに、3時間近くかかってヨエンスー(2枚目地図右)という街に着きました。
現在は2大学合わせて9000人の学生が住む活気ある街、は当時知るよしもなく、この駅前にもSLがあったと喜ぶばかり・・・。
(ヨエンスー 1930年/昭和5年製のSL 動輪3つのC型/日本にも何種類かある
*最高速度50㎞h ★驚くのは1970年台まで現役だったこと)
(メモより)「(他所でも見られる)目立つ煙突は何の工場なのか」
この街の中でもすでに紅葉が・・・。
この日の夜、フィンランド東部(ヨエンスー)から西部(トゥルク)を結ぶ夜行列車の人となったのは、3時間ほど滞在したのちの22時半のことでした。
・線路幅は1525㎜の広軌(*広軌とは新幹線などの標準機/1435㎜を超えるもの)
・なのに西欧諸国と違いスピードが出ない
・近郊線を除くと幹線は急行のみ
・全322駅のうち廃止76駅(30.9%)
・運賃は他の物価ほど高くない
(ラッペーンランタ~ヨエンスー 230㎞ 61マルカ・2320円)
(ヨエンスー~ヘルシンキ 508㎞ 120マルカ・4560円)
つづく