(リアス海岸に多々ある小さな港のうちのひとつ 小舟は五つ 長い防潮堤の背後の浸水域は新たに建築できず 防潮堤建設費はさて何億円?)
防潮堤は工事業者と地権者がこじれて、写真右奥に「1m以上のすき間」が空いたまま完成したと地元の方に聞いて見て、地権者の評判からその「わけ」がよく理解できるへき地県境民です。
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
7月3日(木)
フランスから越境しスイス滞在14日目。
(地図と写真小文字の文はグーグルマップより)
山の中の州都クール(地図↓↓右下)からこの日はいよいよスイスを抜けて、隣の小国”リヒテンシュタイン”へ。
そしてこの日のうちに隣国オーストリア(地図↓↓右)へ。
州都クールは感じのよさそうな街でしたが”列車時間”の関係で街歩きはかなわず、さようなら・・。
(州都 クール)
9時22分の急行でリヒテンシュタインとの国境駅ブッフス(地図↑↑上・”ュ”あたり)まで35分・5スイスフラン・500円の旅はあっという間でした。
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
(絵はがき 途中の分岐点 サルガンス)
ブッフス駅から川を越え歩くこと20分。
ついにリヒテンシュタイン入りです。
(川/国境を国境を挟んで奥がリヒテンシュタイン、手前がスイス・ブッフス)
リヒテンシュタイン公国は立憲君主制国家、スイスとオーストリアに囲まれた内陸国です1
リヒテンシュタイン公爵家の3代目当主ヨハン・アダム公が、1699年にシェレンベルク領を、1712年にファドーツ領を購入し、1719年に神聖ローマ帝国から自治権を付与されました1
1806年に神聖ローマ帝国は崩壊、リヒテンシュタイン公国は独立1
人口は4万弱、面積は福岡市や名古屋市の半分以下です
(便せんメモより)「半分山のこの国は国のようで国ではない(*印象です)」
なぜなら、通貨はスイスフランで郵便バス、鉄道はオーストリア国鉄が管轄だったからです。
「残金を使おうにも、郵便を出そうにも12時から14時は昼休み」・・・。
なんとかやり過ごすしかない・・・・・。
たいして滞在時間が取れないうちに15時20分のバスで移動すること25分。
今度はオーストリア国境まで到達すれば、
(メモより)「不思議とスイス側からは出入り自由なのに、オーストリア側は”検問所”がある」
なぜでしょう??(*今思えば係官に英語で尋ねてみればよかった)
検問所でパスポートにもらった2か国のスタンプは、そう言えば終活の一環で昨年処分してしまいました・・・。
さてここからが大変、国境から街の中心までバスはなし(*見逃したのかも?)。
お天気雨の中、最寄りの街フェルトキルヒの中心部まで重いリュックをしょって歩くこと90分。
(フェルトキルヒ)
オーストリアは人口約900万人。
面積は北海道と同じで九州の2倍ほどです。
公用語はドイツ語。
(メモより)「夕方5時過ぎの町は銀行は閉まり両替は駅しかない!」
駅の両替所で恐る恐る20米ドル(3660円・1ドル183円)を出すと、305.76オーストリアシリングに変身!ではなく、手数料51.76シリング(なんと!20.36%の745円)を引かれ、254シリングに変身したのでした・・・。
両替手数料は非常に大事で、明日こそはベストレートを目指そうと心に決めました。
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
駅徒歩15分のユースホステルは93シリング(1340円)で朝食付。
なんと”新装開店(*改築)”で3階建てでした。
(メモより)「きれいで凝ってる、木造り小屋、白い壁、すべて新品」
なのになのに台所はなく、「今日も野菜・肉・魚を食べていない」
この3日間、パン・ハム・チーズばかりのバックパッカーでした(*それぞれとてもおいしいのですが・・・)。
これじゃ早く老けてしまいそうでしたが、オーストリアは台所のあるユースホステルが少なく(*ハンドブック/ガイドブックにも”駅からバス”くらいしか載っていない)、付いてくる朝食は”パン・コーヒー・ジャム”のパターン・・・。
仕方がないので、(メモより)「手持ちの野菜、玉ねぎ・にんじん・キャベツ・ネギにドレッシングをかけて生かじりス」
「にんじんぽりぽりなどは馬のよう」
「あ~まともな飯が食いたい・・・」
(オーストリア フェルトキルヒ ユースホステル 宿泊スタンプ)
つづく