(震災後浸水域にできた三陸の某ビジターセンター/物産館 入口に環境省の看板 平日の昼間、2度2週にわたりしばらく見ていましたが、、、利用客が・・・いない)
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今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
9月6日(土)
北欧フィンランド滞在10日目。
フランス⇒スイス⇒オーストリアから北上、ドイツ⇒デンマーク⇒スウェーデン⇒フィンランドへ(*右隣・現ロシアと接する長い国境)
(地図や小文字の文はグーグルマップ/Copilotより)
この国は9月上旬にして”季節外(オフシーズン)”。
北部のユースホステルで宿泊可能な宿は1か所のみ!なことが判明、物価高・北欧の”一人旅”で割高なホテルは敬遠し、バックパッカーは”夜行列車の人”に。
それも、このあとスウェーデンへ陸路での国境越えに、北部オウル(地図・↓↓)から南部往復の”夜行列車2連泊”が待っていました。
昨夜10時、首都ヘルシンキ北部、第三の都市タンペレを出発した夜行列車には「参りました」。
午後11時40分に登場した「酔っぱらい」にからまれ、探し出した車掌もただ彼をなだめすかすだけ・・・。
からむ相手が言葉がわかろうがわからなかろうが、そんなことはどうでもいいそのお方(自国民)。
そのうち彼は同じ車内のあちこちで騒ぎ出し、ついにバックパッカーは車両を移動。
ああ!それなのにそれなのに、午前1時と6時に検札(切符拝見)・・・。
ほとんど眠れぬ夜となりました。
ドタバタ劇のあった列車がやっと北緯65.5度の町ロヴァニエミ(地図・↑↑)に着いたのは、乗車9時間半後の午前7時半。
(現在のロヴァニエミ駅 2階建て車両がなければ左の電気機関車は”東欧のもの”に見えてくる・いかつい顔立ち)
ロバニエミは、フィンランド北部ラッピ県の県庁所在地
オーロラが見られることでも有名です
街は第二次世界大戦中にほぼ壊滅してしまいましたが、現在ではサンタクロースの「公式の」故郷として知られる近代都市になりました
市内には北極圏とラップランド地方の歴史や北部森林地帯に関する博物館等があります
(サンタクロースの故郷 ロヴァニエミの冬)
午前8時。
駅前の温度計の数字5度に身震いがしました(9月上旬)。
(メモより)「だだっ広い駅前は冬ますますだだっ広くなるのか」
それなのに、ユースホステル(*幸か不幸かオフシーズンで休業中)は連泊でも10時~11時に一旦追い出されるとは・・・。
駅前の長距離バス群は後部座席3列を取り払い、荷物室として自転車やら何やらを満載にして出て行ったのは、鉄道のないこの先、バスの重要な役割を感じさせるには充分な光景でした。
(現在ロヴァニエミ郊外にあるサンタクロース村 なんと24時間営業で入場無料!*各種アトラクションは有料か)
今ではサンタクロースで有名なこの町も当時はいたって地味で、9月上旬にして晩秋感ただようがらーんとした朝の駅前・・・。
この先バスでさらに北へ行きオーロラ観光する予定、などみじんもないバックパッカーはひとまず南下し、北部の中核都市オウルまで戻ることにしました。
どうやらオウルでは”昼間屋台が出る”らしかったのです。
(オウルの街中)
オウル駅近くの通りに出ていた何台もの屋台をのぞいてみると、これが面白いのです。
コピーマシンを使う”コピー手相”(だいぶ前、似たようなものが日本にもあったような)は10マルカ・370円。
立ち食いソーセージ屋さん多数、1本5マルカ・185円にドイツを思い出してしまいましたが、試した味はやはり本場のほうが・・・。
通貨単位はフィンランドマルカ(FMK)で1マルカ=約37円(*現在はユーロ)
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
アマチュアの方が出している店も多く、その中で目についたのはパンク系の方の姿で、その他いろいろな店がにぎわっておりました。
子供の店番も多いのが特徴でした。
通りに掲げられた世界各国の国旗の中に日の丸はありましたが、首都を離れればほぼ見かけることのない日本人旅行者の少なさに(*シーズンオフのせいもありますが)、フィンランド人に遠く離れた東洋の国を理解する機会はあるのだろうかと思ってしまいました。
物価が割高な北欧4か国の訪問は1986年当時起こった急激な円高(*今と正反対)が味方して実現したようなものだったからです(それでも物価は割高でした)。
(オウル中心部にある屋外競技場 アイスリンク)
オウルから再び左手にボスニア海を見ながら北上し、スウェーデンとの国境の町トルニオ(地図上・↑↑・オウル左上あたり)に着いたのは夕方5時のこと。
面積の1割以上が川という町は、現在では一部の地続き部分に道路が通り、歩いて”お隣(スウェーデン)”へ行けそうですが、当時は何もないと言えるほど小さく静かな場所でした。
徒歩25分のユースホステルには二人用・四人用小屋があり、宿泊料金は34マルカ・1290円。
ちょうどお年寄りの団体さんが多数利用していました。
水のようにぬるいシャワーを浴びサウナに行こうとすれば、ご夫婦が利用していて✖。
(メモより)「入りたかったぜ (フィンランド)最後の夜」
川岸から見る対岸(スウェーデン)には穏やかな風景が広がり、川の流れはゆるやかでした。
(メモより)「秋枯れの草原と相まって旅愁を感じさせる」
そこにはゆっくりとした時間が流れ、心おだやかに過ごせる場所でもありました。
それにしても、3月末から9月上旬の今日まで、”(重い荷物を持ちながらの移動で)よく(体が)もったなぁ”と思いながら、静かな眠りにつくバックパッカーでした。
つづく