昭和の東西ヨーロッパ行 164 日に2本の列車で国境をまたぐ フィンランド スウェーデン No.655

お盆の圏央で46階の無料展望台からかろうじて見えたハマスタ(中央:横浜スタジアム) 横浜大洋ホエールズ時代の1988年、催事でグランドを歩き幼児用イスを買った思い出がよみがえる、へき地県境民です
現在は周辺の高い建物に囲まれ中央付近に沈むスタジアムも、当時はだいぶ見つけやすかった記憶が・・・。
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今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
9月7日(日)
北欧フィンランド滞在11日目。
フランス⇒スイス⇒オーストリアから北上、ドイツ⇒デンマーク⇒スウェーデン⇒フィンランド(*右隣・現ロシアと接する長い国境)⇒再びスウェーデンへ
(地図や小文字の文はグーグルマップ/Copilotより)
ノルウェー、スウェーデンと北部フィンランド、北部ロシアにまたがるスカンジナビア半島。
その長さ約1850㎞をなるべく鉄道で訪れる計画を立てました。
若者向け西ヨーロッパ周遊券、ユーレイルユースパスを使い、スウェーデンの首都ストックホルム(地図・↓↓)からフェリーでフィンランドの首都ヘルシンキに渡った後の帰りは、再びデンマーク経由で戻る必要がありました。
対岸のエストニアやロシアは”東側”・・・。
ならば別の道を、と大型フェリー往復よりもへき地ローカル線での国境超え(地図・↓↓オウル⇒ルーレオー)を選んだ鉄道ファンでしたが・・・。
昨夜、北部フィンランド国境のボスニア海に面した中州(河口)の町トルニオ(地図・上↑↑・スウェーデンとの黒い線の右側)のユースホステルで”壊れた目覚まし時計の修理”に40分を費やすも復活ならず・・・(廃棄*機械オンチです)。
3月末に始まった旅が半年を迎えようとするころ、いろいろな携行品の不具合が不定期に発生するも、幸い致命的なものはなく”捨てるか(一部は)買うか”でOK。
今は目覚まし機能があるスマホ(*携帯コンピューター)出現で、その他もろもろ、旅の仕方は”一変”しました。
(町のサッカー場 屋内・屋外に複数ある)
北緯65度。
日曜の朝は寒く、”真空”を想像する張り詰めた外気。
川に手を入れると当然”冷たい”・・・。
橋の下をのぞき込めば”ほとんど動いていない(流れ)”。
加えて今日が日曜日(安息日)なことも、町まで動いていない気にさせるには充分な条件でした。
国境駅トルニオの「キオスキ(*キオスク)」は10時から営業と知り、手持ちの4.5マルカ(*何枚かのコイン・180円)は歓迎されざる”お土産”に・・・(*訪問国が増えるほど貯まり重さが負担に・・)
(トルニオ 小さな国境の駅)
それでも今日で他の西欧諸国とは一線を画す国ともおさらばです。
思えばフィンランドで感じた”個性/違い”はとても印象深いものでした。
・車掌が他国と違い”英語を話さない”(*それでもなんとかなります)
・フィンランドのバックパッカー複数が接触を拒んだのは英語が話せないから?
(一人も彼らから声をかけてくることはありませんでした)
・不思議だったのは彼ら同志の接触も見かけなかったこと
・ガソリン価格は2.7マルカ・126円/Lで単一表示
・兵役義務があるのか、あちらこちらで目立つ兵士姿
第二次世界大戦で侵略を受け領土の一部割譲をした国を隣にかかえ、自衛の備えをおこたることは決してない、という想いを感じました。
その隣国の遠き反対側に韓国、中国とも国境を接する島国がありますが、幸か不幸か兵役義務(のようなもの)はなく・・・。
航空祭や演習・観艦式・・・”見る”ことは大人気ですが・・・。
土産品を見て・・・見るだけにしました。
・ガラス製「靴型のコップ」と「ビールジョッキ小」それぞれ300ml 27マルカ・1000円
・ワイングラス 1個 18マルカ・670円
・写真入り温度計 40マルカ・1480円
・小さなベル(鐘)24マルカ・900円(*物価高国スイスで300円のもの)
通貨単位はフィンランドマルカ(FMK)で1マルカ=約37円(*現在はユーロ)
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
9時48分。
3両のディーゼルカーは川を渡り、8時55分にスウェーデン国境の駅ハパランダ(地図・中央・↓↓)に着きました(*所要7分・時差は1時間)。
(スウェーデン側の国境駅 NULL ハパランダ)
(29枚目の便せんメモより)「時代物の駅はさながら”青函航路”のように風前の灯火に見えた」
青函航路(青函連絡船・青森~函館)は、2年後の1988年(昭和63年)3月、青函トンネルの開業に伴い定期運行を終了、9月正式に廃止されました
国境駅から南下する乗り継ぎ列車は1時間半後の10時半発。
1日2本の利用者少なきローカル線ならば納得できました。
その割に2両のディーゼルカーは最新式で、最高時速130㎞/h。
トイレには”折り畳み式おむつ替え”があったのは、当時すでに”福祉先進国”と言われるゆえんだったのか・・・。
車窓には前回訪れた内陸部の湖群に代わり、広大な北方林や湿原が広がります。
そこに限りなく”人気(ひとけ)”はなく、時折停車する駅舎や周辺だけが人工物でした。
(現在の道路)
そんな自然豊かな時間が続くこと2時間20分。
乗り心地よきディーゼルカーはボーデン(地図・下・ルーレオーの左上あたり)という町に到着しました。
これから向かうは、イェリバレ、キルナ、そしてノルウェーの港ナルビク(それぞれ地図・下・↓↓)だったのは、そこに鉄路があったことと、少しでも北に・・の想いからでした。
一般観光客の方々には、より北へは飛行機(*オーロラツアー等で)、時間のある方は船で各所フィヨルド(氷河によって削られた深い谷が海水で満たされてできた、長く狭い海の入り江)観光、スカンジナビア半島沿岸を南北に往来する客船(ノルウェー)に乗車される等があり、何日かかけて北上する船はとても魅力的でしたが・・・・・。
つづく