三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

昭和の東西ヨーロッパ行 160 第三から第二 第二から第一の都市へ フィンランド 北欧 No.651

(震災後復旧したJR石巻線終点 女川駅 行き止りの静かなホームが日に一けたの気動車ディーゼルカー)を折り返させる★併設日帰り温泉(2階)の天井が夜間反射して、、、)

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お盆に圏央の私鉄電車内で見た「仙川(せんがわ)駅 3LDK・70㎡ 8200万円台~」のマンション広告にどのような方が買うのだろうか?(C国の方?)と思ってしまった、へき地県境民です。

こちら、築8年の市営住宅(災害公営住宅)は戸建て 1SLDK(納屋付)・55㎡、家賃は県境のへき地かつ低所得者のため2万円ほど・・・。

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今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。

旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。

 

9月3日(水)

北欧フィンランド滞在7日目。

フランス⇒スイス⇒オーストリアから北上、ドイツ⇒デンマークスウェーデンフィンランドへ。

(地図や小文字の文はグーグルマップ/Copilotより)

 

フィンランド西部、第三の街トゥルクの一日10何本かの列車が発着する駅を8時には出て、第二の街タンペレ(地図↓↓)を目指し北上しました。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipO4EHV1r0cmXydWUtiUYAx3HTSP7-lhSRCEGI_0=w408-h272-k-no

(後で思えば西ヨーロッパとは一線を画す、いかついデザインのトゥルク駅)

 

(便せんメモより)「幾層ものまだらな雲が広がる空の下、ゆっくり列車は進む」

「途中さしたる人口密集地があるわけでもないのによく停まることよ」

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMJBiTJfP0fO1HrOthB8VFjfSyO6DnvcevoKr3g=w576-h240-k-no

(自然豊かな沿線)

 

自然、時々集落(町)”を2時間ほど過ごし、フィンランド第二の街タンペレへ着いたのは10時過ぎのことでした。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipPg6ssI-Wmxuk2HawO4H4Z6510iyJUmrq5VrhzD=w408-h272-k-no

タンペレ/スウェーデン語ではタンメルフォシュの街

Copilotによれば、街は18世紀後半にスウェーデン王が建設、その後帝政ロシア支配下のもと紡績業や工業が発達、現在では電気通信や情報技術産業が盛ん、だそう・・・。

どうりでこれまで地名や建物、文化などが入り混じる光景を目にしたわけです。

 

平地が続くこの街もまた大小さまざまな湖沼に囲まれており、大通りを歩けばさながら”ヘルシンキの小型版”な印象を受けました。

はく息はすでに白く(*9月3日です)、いやおうにも長時間の歩行をためらわせます。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipPs38jRN2J0EEk7vgXscdukB0J2ij1GJ36EQbJ5=w426-h240-k-no

タンペレ 現在の近代的な大通り付近)

 

(メモより)「インフォメーション(案内所)を見つけそこなったこともあり、お昼前再び"車上"の人となる(*当時情報源はかなり限られた)」

 

乗り込んだ南行きの急行列車はバスにお客を取られているのか、またもや閑散なる車内と左右に森と湖とだだっ広い平原が広がる車外。

心の中は荒涼とは思わずも、寂寥感が徐々に湧いてきて・・・。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMpqufOrAodR-ShmPtkUzn4sj9LQ2q7xwkwzhnG=w408-h305-k-no

(沿線)

 

その、この国で見慣れた景色が長い時間続いたような感じに思わず途中下車、今度は”近郊電車の人”となってしまいました・・・・・。

 

近郊電車は各駅停車。

(メモより)「各駅での乗り降りで混む車内にホッとする」

「ここまで補聴器を見る機会なく、難聴老人同志の大声での会話が弾む」

今ならさしづめ”にぎやかすぎる車内”とでもいうのでしょうか・・・。

 

電車は1時間もかからずに首都ヘルシンキ近郊のバンターまでたどり着き、歩くこと少々で入国初日に利用したユースホステルの人”(再び)となっていたのです。

 

(メモより)「建物併設のサウナに入りプールでへたくそな泳ぎをすれば、地元少女が声を掛けてくれた」

せっかくの機会!フィンランド語がわからないことで逃してしまいました・・・・・。

 

本日は前回と違いかなりの宿泊客。

そうなれば話しかけた相手により”無視”されたりもしましたが(*そこに日本人はいない)、さりとて併設のボーリング場で一人ボーリング(今ならソロボーリング?ボッチボーリング??)をする気はとてもおきず・・・。

そうなれば”することが済んだらあとは寝るだけ”でしたが、それは寒さの中歩き回った体を休めるには好都合でもあったのです。

 

## 物価 バックパッカーが見た”スーパーで比較的割安なもの” ##

・しいたけ一袋 12マルカ・435円

・ピーマン1個 1.5マルカ・55円(日本と同じサイズ)

・サラダドレッシング 12マルカ・435円

・米1㎏(袋入り) 6.5マルカ・245円

・一番安いジュース1L  5マルカ・190円

・一番安いチーズ200g 7.1マルカ・265円

・もも1個 1.3マルカ・50円

クノールスープ(袋入り) 6.5マルカ・240円(*カップスープは高い)

・牛乳1L 3.5マルカ・135円

・小さなコッペパン1個 1.68マルカ・60円

 

単価や個数表示を間違い/勘違いし”痛い目にあう”ことは、物価高な国でも定期イベントでした。

 

通貨単位はフィンランドマルカ(FMK)で1マルカ=約37円(*現在はユーロ)

当時、表示は国名と同じスオミ/SUOMIでした

国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 

35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)

 

 つづく