先ごろ、合併した人口5200人の旧町に2つあったコンビニのうちローソンが閉店、"残る牙城"セブンイレブンまで10キロのへき地県境民です。
最近の1ドル161円(円安)は38年ぶり。
その38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
8月16日(土)
北欧デンマーク滞在4日目。
フランス⇒スイス⇒オーストリアから北上、ドイツから北欧デンマークへ。
(地図や小文字の文はグーグルマップ/Copilotより)
ドイツ北部から突き出てデンマークにつながるユトランド半島(地図↓↓)。
フレゼレシア(地図↓↓・デンマークの”デ”あたり)で3泊お世話になった”台所付ユースホステル”を夕立のような朝立のあと出発し、昨日と同じ時間に首都コペンハーゲン行の列車に乗り込みました。
週末土曜日は昨日と違い混む車内でしたが、無事座れ立つことはありませんでした。
(便せんメモより)「丘ばかりの中、列車は東へ進む」
(沿線)
(沿線にある 酪農/畜産と思われる大学)
1時間ちょっとで島の端の駅から今度はフェリーに乗り込みました(*乗り換え時間は10分)。
(メモより)「夜便を除き、列車は船に入らない」
(現在の島の端の駅 当時は古い駅舎でした)
岸壁に伸びたタラップを登ると、1万トン(乗客定員2000名)の船は内部も立派でカッコいい!!
これで1時間の旅はもったいないと思ったのもつかの間、スウェーデン人グループと思しき方々が曇り空のもと瓶ビールをじゃんじゃんラッパ飲みして陽気に騒いでいる・・・。
それは「(当時)税金がスウェーデンに比べ半分のデンマークで、その分?安いビールを思う存分飲んでストレス解消しているから」だったのでしょうか?
少しだけ例えるならば、現在ガソリンが割高な長野県民が隣県への用事ついでに割安なガソリンを入れるようなものでしょうか?
(メモより)「まるで小島を除いた”宇高連絡船(*かつて岡山県玉野市と香川県高松市を結び、1988年瀬戸大橋開通で廃止)”のようでしたが、もちろん船上でうどんは食べられない(船の大きさも違う)」
そこにあったのは、とても高くて手の出せないレストランと自動販売機(200mlのビール・12クローネ・300円)。
通貨単位はデンマーククローネ(Dkr)で1クローネ=約25円(*現在もクローネ)
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
そんな船旅は今、総延長12㎞以上の橋と道路で島同志がつながり味わうことはなくなりました。
(立派な橋と道路)
1時間後。
乗り換えたフェリー客で満員の列車で座りそびれたバックパッカーが我慢すること1時間15分。
(途中の駅 デンマークは人口に比べ規模の大きい・立派な駅が多い印象でした)
島の沿岸部ではない内陸部を走り抜けた列車は首都コペンハーゲンに到着しましたが、(メモより)「そこは想像を絶するところ」でした。
「そこは想像を絶するところ」とは、今まで他国では見たことのない光景が目の前に展開していたからです。
・駅のあちこちに所かまわず座り込むパンク姿の人人(*お世辞にもきれいとはいえない地べた)
・あちこち、は”こじき?”の若者からおじいさんまで・・・
(メモより)「250mlの瓶ビールを飲み、また飲み、目はうつろ(*薬をやっているのか?)」
「ホームはごみで汚れ、いたる所に落書きやほこり」
荒れた学校ならぬ荒れた駅、それがコペンハーゲン中央駅だったのです。
それまで北欧に抱いていた勝手なるイメージ(*いろいろな面で進んでいる)はここで崩壊しました。
あまりのひどさに吐き気をもよおしそうになりながらも駅の外へ・・・。
玄関を出てすぐのところに「チボリ公園」(入場料3116円)という19世紀開園の遊園地/テーマパークがあり通過・・・。
(チボリ公園)
わいわいがやがやする地区を過ぎて「USE IT」という案内所で地図をもらい、ユースホステルが満杯で指示された「SLEEP IN」という宿泊施設まで行ってみると、そこは”おったまげる”(*当時使われていた言葉:とても驚くこと)場所でした。
なんとそこは”競技場の一角、大きな高さあるアイスホッケー場を2人~4人用に細かく仕切り、たくさんの2段ベットを一面に並べただけの施設”だったのです。
朝食付きで16時~12時まで、50クローネ・1250円なので騒音があろうがベットの揺れやきしみがあろうが何も言えませんが、当然ながらあまり居心地は・・・。
(今はきれいそうな街中)
そこでちと街中に出かければ、ビール!ビール!
荒れ気味の街で目についたのはビール瓶片手に歩く人、所かまわず座る人・・・。
加えてたばこもくわえたあとはいたる所にポイ!ポイ!
駅の構内にいたような”浮浪者”も混じり・・・。
この「アルコールが一杯(*彼らのお腹は1杯どころではない)の風景」は、あの雑然とした移民の国オランダ・アムステルダムでも見られなかったもの。
それは暑さのせいだけではないのは明らかでした。
(メモより)「高度福祉国家の病?まともなのは建物だけ??」と思うほどだったようです。
これに、近郊電車(*首都圏のみ電化されている)の落書きの山が加わり・・・。
目の前に連続で飛び込んでくる荒れた光景に、今まで各地で芽生えた”去りがたき想い”は微塵(みじん)も生まれず、むしろさっさとおさらばしたい気持ちが固まりました。
コペンハーゲンは中心部の歴史地区に王室の居城であるアマリエンボー宮殿、近くに複数の城、人魚姫の像、要塞、オペラハウスなどの見どころがあり、その後街はだいぶ変わったものと思われます。
きっと、、、。
(ローゼンボー城 オランダ ルネサンス様式の宮殿と庭園。王冠の宝石などを所蔵する博物館を併設 入場料3121円)
つづく