市の広報で”自転車用ヘルメット助成金”があると知り、補助申請書(最大2000円)と添付書類4枚を役所に持参すれば、1ヶ月後「振込通知ハガキ」が別部署から届くと言われ、申請者は学生が大半らしいので「メール通知」でいいのでは?と言ってしまった、へき地県境民です。
後日、「ハガキ」の前に「"決定通知"の封筒」が届いてびっくり!
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
8月17日(日)
北欧デンマーク滞在5日目。
フランス⇒スイス⇒オーストリアから北上、ドイツから北欧デンマークへ。
(地図や小文字の文はグーグルマップ/Copilotより)
”個人主義”のたまものなのか?深夜早朝、寝静まったドミトリー(大部屋)で声量を落として話すことなく”普通の声”で会話され目が覚めると、”静かに話す習慣”はないのかと思えてしまいました(*今ならわかる”耳栓”の大事さ)。
”この国より上”の北欧のユースホステルや首都コペンハーゲンのこちらのような安宿(夏季限定/臨時の宿)は朝食代が27クローネ・675円以上なだけあって、今までよりは内容はましでした。
・パン 1個
・コーンフレーク
・バター
・コーヒーか紅茶
・リンゴ1個 (*改めて見ると、これで”まし”と便せんメモに書くとは、ましでない場合の内容は? 価値観おそるべし・・・)
大柄の白人さんたちも同じメニュー、で足りるのかな?と思ったことが何度もありました。
通貨単位はデンマーククローネ(Dkr)で1クローネ=約25円(*現在もクローネ)
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
8月中旬、バカンスシーズンの”アイスホッケー場に仕切りと2段ベットを配置しただけの臨時宿”は珍しく12時チェックアウトでした。
そのおかげで朝会った日本人の方と10時過ぎに朝食会場に行けば、そのころになってやっと朝食券が売れてきたとはなんとものんびり・・・。
(冬はアイスホッケー場になる臨時宿 地元コペンハーゲンのチーム)
お昼の12時過ぎにようやく宿の外に出る(*チェックアウトや外出で)方々が多く、この宿に限って言えば”普通の旅行者”とは違う宿泊者たちでした。
コペンハーゲンから対岸のスウェーデンの都市マルメー(地図上↑↑)までは目と鼻の先でしたが、デンマーククローネ(お金)がいくらか残っていたこともあり、北のヘルシンゲル(対岸は”スウェーデン・ヘルシングボリ”・地図上↑↑)経由に決めました。
12時2分。
まだまだ”バカンス期間”で混む首都コペンハーゲンを脱出し北へ向かえば、平地広がる島国の島の中には思いのほか湖沼が点在し、立派な古城と共に車窓を楽しませてくれたのです。
(沿線)
(沿線の街ヒレレズ・地図コペンハーゲンの上 の湖にある大きなフレデリクスボー城)
(現在のヒレレズ駅とデンマーク国鉄 非電化のディーゼルカー)
遠回りしてヒレレズで乗り換えること15時に北の港町ヘルシンゲルに着けば、対岸スウェーデン・ヘルシングボリまでのフェリーは頻繁に出ていて所要時間は20分と近い!
ユースホステルは徒歩2㎞、海岸沿いに建てられた洋館でした。
(ヘルシンゲル ユースホステル 宿泊スタンプ)
御多分にもれず20人の大部屋でしたが、何と言っても目の前(対岸)はスウェーデン。
(ヘルシンゲル ユースホステル スタンプ)
8月中旬。
北欧の変わりやすい天気が肌寒さ感じる風を呼び寄せた一日。
シャワーを2度浴びることができたのは幸いでした。
(どんよりとした曇り空の下 持ち合わせのサインペンで 対岸はスウェーデン)
#この時期、日本のことで気になったことと言えば
(実業団のみのサッカーよりも野球に人気があった時代)
#北欧に来て
・日本人をあまり見ないのはこのころからすでに物価高国だったから?
それともお盆休みが終わったから?
#短期滞在だからと手抜きしたから?
・デンマーク語でも「ハイ!」と言うのに「ハロー!」とあいさつしたため、英語圏人には「ハイ!」と返されても地元の方は”うなづく”だけの方が多かった
#この国だけ?
・なぜか”平屋”が多い
・ワッペン(都市名や国名が書いてあるお土産・服やリュックなどに縫い付ける)はユースホステルや雑貨屋さんよりも駅のキオスクが安い
1枚ずつリュックに縫い付けていけば、ワッペンでリュックがじわじわ埋まっていき、、、
つづく