先日、県央の建て替えてから日の浅い銀行に何年かぶりに行き、「昼休憩」の看板に交代要員不在の支店到来を知る、へき地県境民です(*ATM1台のみ稼動)。
「昼休憩」は昨夏県境のJR駅に続き2度目の体験、一方役所は「昼対応」が認識されてからだいぶたちました。
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
8月13日(水)
デンマーク滞在1日目。
フランス⇒スイス⇒オーストリアから北上、ドイツからデンマークへ。
(地図と写真はグーグルマップ 小文字はCopilotより)
この日は、北ドイツの大都市ハンブルク(地図↓↓)で日本向け荷物の発送に手間取り、お隣デンマークの首都コペンハーゲン行の国際列車に乗り損ねてしまいました。
ならばとそのままユトランド半島を”デンマークの文字”まで北上後右折。
(地図・↑↑)”デンマークの文字”付近のコリング(↓↓)を右折、ユースホステルのあるフレゼレシア(↓↓)まで平坦な半島を進みました。
途中、平坦な農業国のイメージとは裏腹に車窓から点在する小さな池が左右に見えました。
(便せんメモより)「平坦な風景がだいぶ見慣れてきたころ、それは出た!」
「全長500mはあると思われる鉄橋が突如目の前に姿を現し、ループしながら降りて街中に入っていく」
「右側に見えるは湖か海か?」
地図と言えば、ロンドンで買い求めた東西ヨーロッパを網羅する”おおざっぱな印刷物”、しかありませんでした。
そのため、かろうじて地名と交通網(鉄路・航路・道路)は地図でわかりましたが、細かい地形も建物も駅も行って(通って)みてからでした。
今回”全長500mの鉄橋”をグーグルマップで探してみましたが、該当するような場所は見当たらず・・・。
年月の経過で線路(経路)変更の可能性や、中には廃線の憂き目を見た路線もあると思われます。
国境から真っすぐ北上しユトランド半島を首都コペンハーゲン方面に右折した先、フレゼレシア(地図↑↑・中央上)はユースホステルのある港町。
(どことなく日本のそれにも似た フレゼレシア駅)
国をまたいで降りたなら、真っ先に行うことは”両替”。
やっと見つけた銀行で70US$(ドル・13000円)が540.99Dkr・デンマーククローネに。
ここから手数料20クローネ・500円を引かれ、520クローネに。
この時期は、プラザ合意により急激な円高が進みました。合意発表からわずか1日で、為替レートは1ドル=235円前後から20円も円高に動き、翌1986年7月には150円台まで円高が進んでいました
つまり、1000ドル両替して235000円だったものが150000円にしかならず、現在(円安)と反対のことが起こっていたのです。
なので、翌年の帰国後使わなかったドルを円に戻せば・・・えらい結果が待っていました。
通貨単位はデンマーククローネ(Dkr)で1クローネ=約25円(*現在もクローネ)
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
”地図のない駅(フレゼレシア)”でユースホステルの標識(案内板)を見つけ、それを頼りに歩くこと約2㎞。
無事泊まることができた宿は珍しい”モーテルスタイル”でした。
敷地内には複数の建物があり、それぞれドミトリー(大部屋)形式でベット10個に休憩室付きといい造り!
さらに敷地の中央にはあの”台所”が!!
スイス・オーストリア・ドイツではなかなか見かけなかった”施設”に、
(メモより)「今や幻になりかけた台所に再び会えるとは」
二口コンロが二つと鍋少々でしたが調理できるだけ幸せでした。
さっそく近くのスーパー(写真↑↑・一例)を覗きに行くと、
・きゅうり(中)60円(特大)125円
・トマト(小)10個 200円
・りんご 5個 250円
・桃(小)1㎏ 200円(*ドイツでは130円)
・レタス 250円
・バナナ 1㎏ 200円(*ドイツ150円 オーストリア110円)
・牛乳 1L 125円
・ひき肉 1㎏ 1250円
・普通の豚肉 1㎏ 1700円
・ピーマン 1個 200円(*パプリカ?) などなど・・・。
なぜか250ml瓶入りジュースが人気のようでした。
## デンマークに入ったら ##
・自転車専用道路が歩道とは別にあり、たくさんの人が利用している(*オランダと似て地形が平坦なお国柄)
・思い描いていた”北欧の金髪美人さん”は今のところ・・・
・今までの国と違い、急行列車はすべて”I.C"(優等列車)で”全席予約制”で有料・10クローネ・250円、でも乗らねばならぬ・・・
(フレゼレシア ユースホステル 宿泊スタンプ)
つづく