8月中旬。
普通列車一日乗り放題「青春18きっぷ」を使い中央線で山梨県に行けば、富士山の玄関口/大月駅で英中韓国語表示/アナウンス、飲食店の外国語メニューにインバウンドの波感じる、へき地県境民です。
北から圏央まで、午前5時台の始発BRTバスで始まり午後8時台の下車まで15時間の旅。
飲み物と衣類の入ったリュックをしょって、昭和の旅行者ばりのお土産満載でぱんぱん・重量あるショルダーバッグを肩にかけ乗り換えることふた桁(12回)。
圏央に近づくにつれ「乗り換えダッシュ=階段の上り下り=座席取り」に翌日のショルダーバッグ効果(肩の痛み)も重なり、中高年には”これが最後の利用”になりそうです。
圏央に滞在中、低気圧(台風)が日本海北部に去った16日(水)。
青春18きっぷを利用して”富士山の周りを1周”してみることに・・・。
ルートは「八王子→中央線→甲府→身延(みのぶ)線→富士→東海道線→沼津→御殿場線→国府津(こうづ・小田原の先)→茅ヶ崎(藤沢の左)→相模線」の左回り、13時間の旅です。
朝6時台は”通勤ラッシュ”だったっけ?と思いつつ、八王子の先登山で人気の高尾からの中央線普通電車は空いていて快適そのもの。
谷の両側に迫る山また山、時折姿を見せる真っすぐに伸びた中央自動車道。
36年ぶりの景色は新鮮そのものでした。
富士五湖入口、富士急の出発口”大月”乗り換えで知ったことは冒頭に。
風景写真として鉄道施設は撮っても、もう電車本体の撮影は引退したのですが、知り合いに居場所の証拠を送った時の1枚をアップさせていただきます(スマホ写真)。
(富士急大月駅/行き止まりの駅 3両編成 この時は晴れ間も見えてきて・・・)
乗換駅甲府(山梨県)では目の前に城跡が見え、急きょ下車後に近づいてみると、整備された立派な城の天守閣跡から360度の街並みを望むことができました。
ちょうどこのころ雨があり一時傘のお世話に・・。
駅の時刻を調べる時はそれぞれのホームページから・・・面倒になりました。
40年ぶり空いた電車に乗る頃には雨もやみ、広がる曇り空に富士山はあきらめて、車窓からたっぷりの自然を楽しみましょう・・・。
途中交換待ちですれ違った、静岡発甲府行きの特急(3両)は1割未満の乗客を乗せ、うわぁ厳しい・・・。
”通しの電車(終点が富士/静岡県)”の一本前、途中の”鰍沢口(かじかざわぐち)”行きの電車を降りれば、周りに商店らしきものはなく、あったのは看板もないような写真館。
町の中心でもない場所になぜ終点が???(この”条件”、意外とあります)。
閑散とした駅前にあるは「3町そろい踏みのコミュニティバス停」(写真↓↓)。
地方では毎度限定された本数に、費用や効率がよさそうな”共同運行”は?
合併を避けた3町ゆえ諸事情あり難しいのでしょう・・。
はたしてどれだけの利用者がいるのやら・・・。
乗り換え時間を利用して立派な表道路に出れば交通量多くこちらが生活路線。
反対側・旧道の奥に見えた赤い郵便マークのある白い建物まで数分歩き、出金で入口のATMに立てばガラス越しに”いらっしゃいませ!”(3人の局員さん)
もちろん客はわれ一人。
”ありがとうございました!”
踏切近くの線路沿い・脇道の水路に何十匹かの”すばやい鯉(黒色)の群れ”が・・・あっ!また雨が・・・。
やがてやってきた甲府発富士行きの電車に乗れば、車掌さん「雨量計がオーバーしたのでこの電車は身延(みのぶ)で打ち切りうんぬん・・」。
そうです。
台風一過でも影響は残ったのです。
朝の天気予報で大雨がなくても、”局地的な雨/集中豪雨”があれば復旧費用が容易に工面できない”ローカル線ほどすぐ止まる”のです。
すでに複数回止まっている、山陰と山陽を結ぶ木次線(きすきせん・島根県~広島県)はいい例です。
たとえ、つい1時間前にすれ違った特急列車があったとしても、いつ「通行止め」になるかはわからないことを痛感しました。
車掌「点検後運転再開しますが夕方になるか・・駅員に聞いてみて」。
自分「2時間でも3時間でも待ってみます(それでもその日のうちに戻れる)」と言ってまだ見ぬ身延まで行ってはみたものの、
駅員「夕方か夜になるか不明」では帰れないので甲府までUターン。
戻りの電車まで駅周りを歩けば、そばを流れる富士川の水量はそれほどでもなさそうでした(橋からの写真↓↓)。
有名な身延山久遠寺(くおんじ)までは4キロ台、駅前地図には周りにたくさんのお寺があることから、事前に調べてじっくり回りたい場所”身延”でした。
駅前でかぶり物をし三脚を持つイスラム教の女性ユーチューバーと「こんにちは!」。
こちらも町の中心から離れ昼ご飯を食べる場所はなく、結局甲府の”3時の駅そば”までお菓子と飲み物で空いた車内に感謝の時間・・・。
車中、戻るまでの「時間」を使い中央線を反対方向・長野方面にと調べれば、可能なのは”2駅先の韮崎(にらさき)まで”でしたが、そこは”乗り鉄”、行っちゃいました。
信州・長野に向かい徐々に坂を登り始めた電車は、これから山に向かう気持ちを思い出させてくれ、ほどなく”かなりの勾配がついた駅・韮崎”に到着。
やっと見つけた駅前のショッピングモールに寄る時間は・・(折り返しまで5分)。
この後工夫して帰り道すがら降りた”塩山(甲府右側、甲州市の中心駅)”(写真↓↓)もまた駅前にあるは観光客向けの飲食店のみで、”テナント募集”の張り紙がある閑散とした駅前でした。
スーパーまでも距離があり、残念ながら希望するようなお土産品は・・・(注:幸い駅に売店はありました)。
それでも、駅周辺を歩けば袋をかけたブドウ畑が住宅地に広がり、思わず”盗まれなければいいな”と思うばかり・・・。
ブドウをはじめとする果物畑広がる盆地を駆け下り駆け上がる中央線。
ひっきりなしに通る/追い抜く「特急あずさ」は本数も乗客もあり、新幹線がなければ在来線は盛況なことを久しぶりに思い出させてくれました。
また、「ドル箱路線」と言う言葉も。
冬の降雪映像で登場する甲府駅前と、駅正面左に鎮座するかっぷくの良い武田信玄像を思い出に家路に着きました。
静岡県で短時間に大雨が降り「東海道線・東海道新幹線不通で大混乱」を知ったのは滞在先に帰宅後の夜のこと。
つまり、無事富士市にたどり着いてもそれから先は進めなかったわけですから、戻れたことに感謝です。
甘い計画に反省し北に向かったのは、それから2日後の18日(金)。
その旅の最終版にまさかの展開が待ち受けているとはつゆほども知らず・・・(雨男)。
つづく