(昨夕、西陽が熱々の新庄駅前/山形新幹線終点/人口34000人台)
このところ、夜明け前と夕暮れ時に”ひぐらし合奏団”が低音バイオリンをかなでる、へき地県境民です。
地元の未完乗の路線を乗ろうと思い、地元の駅で購入した40年ぶり/JR「青春18きっぷ」。
10代からの長年の想いが、廃線や第三セクター化(乗れないか通過のみ)で”線路ずたずたになって一部やっと実現”しました。
(大まかに言うと)春夏冬の時期発売/JRの普通(快速)列車に1日乗り放題、5回(人)分12050円、一日あたり2410円の切符です。
7月下旬。
車では数限りなく通る街ですが、駅構内を訪れるのは実に43年ぶりです。
車両のいない何本もの線路が伸び、なんとなく往時のにぎわい・昭和を感じさせる在来線ホーム。
高架作りの新幹線線路をはじめとする建造物の大きさとは、なんとも対照的です。
東北本線を北上する2両の電車は車掌付。
奥羽本線・山形県内で初めて2両編成の電車を見てショックを受けてからだいぶたちましたが、もう「○○本線」の時代ではないのかもしれません。
アナウンスは英語まで行い、まるで”機内”みたい。
無人駅での切符集め・車内販売(切符)まで行う車掌さんは、車内外を行ったり来たり・・・。
平野をゆうゆうと流れる北上川を時折見ながら、一面緑広がる田園風景の中、電車は時速100キロ以上で快調に飛ばします。
奥州藤原文化の遺産(中尊寺金色堂・毛越寺/もうつうじ等)が随所にある平泉町はこのあたり。
「秀衡(ひでひら)塗り」という、金箔を使った帯状の平安模様が特徴の漆器の地でもあります。
先日の豪雨で通行止めになった北上線(北上市~秋田県横手市)は北上駅から西方面(おかげさまで乗車を断念しました)。
沿線に都市が並んではいますが、日中は2両がちょうどいい乗客数でした。
こ線橋からがらんとした花巻駅構内を眺めると、当時上野~青森間800㎞を結ぶ特急「はつかり」や枝線を含む急行、貨物列車が数多く停車していた、全盛期の名残りを数多く残る線路にしのぶことができます。
(花巻駅)
その玄関駅は構内の店も閉まり、駅前を歩いてみても閑散とするばかり。
”わけ”はこの後列車に乗ってみてよくわかりました。
県庁所在地盛岡発、南下してきた「快速はまゆり1号」は3両編成/リクライニング付のディーゼルカー(座席は同じ向きですが、対面にもできる)。
花巻駅で方向を変え、2割に満たない乗客を乗せて出発、ならば2両でいいのかもしれません(それとも1両?)が・・・。
ほどなく新花巻駅から東北新幹線(地図:青い線)乗り継ぎ客を何人か拾い上げます。
(この大きさだと線路が表示されないグーグルマップ)
この列車で言えば、中心部にある在来線駅よりも離れた新幹線駅のほうが需要がある感じでした。
ちなみに釜石線の昨年度の赤字額は、花巻~遠野間が12億400万円、遠野~釜石間が12億8300万円。
100円の運輸収入を得るためにいくらの費用がかかるかを示す「営業係数」は
花巻~遠野間が1232円、遠野~釜石間が2487円・・・・・。
周辺に建物が少なく、単線を進む車両に迫りくる木々の緑、時々枝葉の当たる音。
そこかしこに響きわたる”草刈り機”の音。
電車と違う高めのディーゼルエンジン音響かせ、時に惰行運転しながら順調に快速は駅を飛ばしていきます。
途中、宮守駅近くの銀河鉄道(SL)で有名な撮影スポット”めがね橋”はこんなところに・・。
右手高所を真っすぐ通る、2019年・令和元年全通の”釜石自動車道(花巻~東和ICを除き無料)”に、1950年・昭和25年全通の”釜石惰行線”は勝ち目は・・・・・あるとすれば、左右にたっぷり自然を味わえることでしょうか。
やがて遠野盆地が見えればやっと平野部。
広い視界が望めます。
民話の里、遠野駅に停まるは1両の上りワンマンカー。
広範囲に名所旧跡が散らばり、通るたび(通過するだけでなかなか訪れる機会がない)「車でまわる」のに適した場所なことを実感させられます。
ここから釜石の街中まではノンストップ。
時折、小規模建物の外に牛や馬が何頭か放たれていて、その”遠野馬”に”南部曲屋”(牛馬が家の中で飼われていた)の歴史を感じることができます。
今は無人となった、かつてのにぎわいが垣間見える長いホームの大きな駅舎を通過。
平野に別れを告げ、釜石線最大の難所”仙人峠”下り、は壮絶でした。
先月に運行を停止した”SL銀河”の最後尾に補機(ディーゼル機関車)が付く理由がよくわかる”急こう配”。
昭和の線路は折れ曲がり、令和の(高速)道路は一直線(写真↓↓)。
わずかにたたずむ駅以外何もない山の中を、右手にころげ落ちるような角度の渓谷を見ながら、10できかないトンネルをくぐり、とてつもない迫力です。
一方、高速道路は長いトンネルであっという間(?)でしょうか・・・。
峠を下り、陸中大橋駅まで来れば一面霧が広がる山の中。
ここ(鉱物の積み出し駅)から終点に向かい、徐々に立ち並ぶ家々を見ることができるのは、かつて釜石鉱山があった名残です。
1993年に閉山後も、かなりの数の家々が営みを続けています。
調べてみると、1980年に65000人のピークを迎えた釜石市の人口は、2020年に32000人になり、2040年には21000人へ(予測)と驚きが隠せません。
平地少ない、細長い街並みが続き、終点近くの駅に停車後(乗り降りはほとんどない)、無事到着。
本数制限で「折り返しの列車に乗るしかない」条件のもと、少しだけ駅前散歩してみましたが・・・・・。
つづく