三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

終活にて 1 最初の旅は一枚の写真から 田沢湖 秋田県仙北市 No.475-A

午前の日差しによし今日は!ペットボトルも用意して・・・。

午後のウォーキングは吹き付ける風と流れる(海)霧で急変する空模様に断念~〜の三陸沿岸部です。

 

自営で不用品を引き取ること30年(現在は廃業)。

その中でまとまった量が出るのはやはり”故人”のものでした。

毎度大量の品々を前にして、50代のうちから”自分は最小限のモノで生活する”と強く思いながら、廃業後もなかなか進まない”モノ減らし”。

そのモノ減らしを加速させたのは、皮肉にも”体調不良”でした。

長年の自営で地元○○人相手の長時間労働・不規則な生活&ストレスが体をむしばんだことは容易に想像でき、それはすべて自己責任です。

”体調不良”が急きょ””モノ減らしから終活”へと駆り立てる日々・・・。

 

身の回りのモノを整理していく中で、前後不順の写真も多数出てきました。

その中の一枚は「最初の旅」1970年代のもの。

中学時代、親から離れて初めて友人とキャンプに行った夏の田沢湖秋田県)でした(写真↓↓・親から借りたハーフカメラで)。

(辞典は国語と英語だけ残してあります)

田沢湖仙北市・当時は田沢湖町)は岩手県の県庁所在地盛岡市から田沢湖線で県境を越えた湖です(写真↓↓・”仙北”の左)。

大きさはさほどありませんが、日本有数の深さがあり、”たつこ像”と周辺に”温泉郷”があり、秘湯とも言われています。

キャンプ道具をかついで列車に乗るのも当時はあたりまえ。

山形県でも有名な”秋の芋煮”をしに大鍋を持った親に連れられ仙山線(仙台~山形)で県境の渓谷まで行ったり、別の日は3歳が3時間ハイキング。

小学生がスキー板をかついでバスや列車で、の時代。

 

キャンプは東北本線の長距離普通列車に乗り、盛岡から田沢湖線田沢湖駅まで。

湖畔での2泊3日は食事作りも湖めぐりも初めての経験ばかりで、旅の楽しさを知った瞬間でした。

同時に誕生した”鉄道ファン”は今でも・・・。

今でも”テントの中で夜遅くまで話をしていて怒られた”ことだけは覚えています。

 

今年、30年以上忘れていた「青春18きっぷ」を使ってみようと思い、地元と隣県をいろいろ調べてみたら”とんでもないこと”を思い知らされました。

青春18きっぷ」はJRの普通列車やBRT(バス)に一日有効な切符が5枚つづりで12050円(例外は省く)。

バラバラに使え、春夏冬の3期間発売です(注:なぜか購入当日は使えない)。

 

田沢湖へ行こうとすると、秋田新幹線で一気に行けます。

当時少ない数の、電車に比べて遅いディーゼル急行に対し、今は一日19往復!

1時間20分かからず、片道8210円、だいぶ便利になりました。

 

ただ当時が同じ条件ならば、初めての旅で中学生が新幹線に乗っていたかは・・・おそらくないかと思います(払えない)。

それなら在来線でと調べれば、盛岡までは2回の電車乗り継ぎでOK(当時は長距離列車で乗り継なし)。

ところが、乗り継ぎをしようとすると、1日13本ある普通電車のうち田沢湖まではたったの4本!

そのうち終点大曲まで行くのは3本、という結果になりました。

朝5時35分の次は14時54分、9時間半近く電車はありません。

ここまで”ひどい”とは・・・・・・(痛々しい)。

 

田沢湖線秋田新幹線ができてゲージ(軌間・線路の幅)が狭軌1067㎜から標準軌1435㎜に代わり、電化も相成りましたが、それはあくまで”新幹線のため”。

「お客さんを新幹線に誘導し、在来線は事実上使えない」構図です。

 

これは、反対側の盛岡と三陸沿岸部を結ぶ”山田線”も同じです。

1日8本のうち、終点宮古まで5時32分の次は11時9分、13時台、17時台の、快速を含め一日4本。

こちらは並行する道路の改良で”高速バスに本数でも料金でも負ける”ことに。

ユーチューブでは、”2両編成のディーゼルカー"に宮古から乗った鉄道ファンが「同乗者は地元の方一人、その方が途中下車したあとは”終点まで貸し切り”だった(ついでに”落ち葉で滑って”106分の遅延も)」と。

 

こうなると、もはや「魚の骨(鉄道路線)」は背骨と横の新幹線の路線を除いて廃止(中核都市近郊路線等例外あり)が基本なのかもしれません。

人口減少も相まって、これからの5年10年15年で変わる(亡くなる)ローカル線を静かに見届けようかと思います。

 

もし自分が2023年の中学生なら、キャンプなど考えることなく何をすることになったのか?

もしかするとキャンプにも旅にもご縁がない、まったく違った道を歩んでいた、、、かもしれません。