昭和40・50年代、旅する若者の間に君臨した宿、「ユースホステル」。
1泊2食付2000円台まで(一時期)でしたが時代が変わり下火になり・・・。
当時利用した宿のその後をたどってみると・・・。
今から42年前、昭和55(1980)年3月~4月 春休み 北海道周遊券(20日間有効)を利用して再度北の大地へ・・・。
当時、周遊券は「周遊区間までの往復は普通(快速)列車が、周遊区間内は普通・急行列車自由席乗り放題」でした。
旧国鉄岩内線(1985年廃止) 函館本線小沢駅から終点岩内駅下車
バスで神恵内村まで
岩内町からバスで北上すれば、平地少ない積丹半島はトンネルだらけ。
左手に見える、日本海の荒々しさ。
やっと着いた宿は思いっきりアットホームでした。
すぐ目の前の海岸に臨み、みんなで「♪絞ったばかりの夕陽の赤が~水平線から~♪(落陽・吉田拓郎)」を歌いながら、飲み回した〇〇〇〇〇。
何の種類だったか・・・・・年齢も忘れました・・・。
周遊券を利用した「3週間(有効の)旅」は「夜行列車利用が3分の一から3分の2」を占めること多く、「連泊」はまれ。
よほど楽しかったのでしょう。
自然以外何もない場所が「唯一の3連泊」をした場所になりました。
その後、年賀状が届いて「ルイベ(冷凍したしゃけ・しゃきしゃきのまま刺身で食べる)」を食べにおいで~」。
その後再び北の大地を踏みしめることなく何年かたって、半島の反対側を走っていたバスがトンネルの崩落で犠牲者を出したニュースを目にしました。
誰に崩落のご縁があってもおかしくない、「リスクあり」の半島の道でした。
現在建物は現存するものの、朽ち果てているようです。
旧国鉄名寄本線(1989年廃止) 宗谷本線名寄駅か石北本線遠軽駅からの名寄本線で
1980年当時は国鉄ローカル線がまだたくさん残っていて、宗谷本線名寄駅か石北本線遠軽駅からの名寄本線が健在で紋別まで容易に行くことができました。
また網走からサロマ湖、湧別町を通って北上することも充分可能でした。
近くの「渚滑」からは終点「北見滝の上」まで「渚滑線」、「興部/おこっぺ」から終点「雄武/おむ」まで「興浜/こうひん南線」と、鉄道ファンはディーゼルカーの旅三昧。
オホーツクの「流氷」で有名な紋別でしたがすでに流氷の姿なく・・・。
昨年もっと北部の峠から流氷が敷き詰められた広大な風景を見れたのでそれでよしと。
予定帳によれば、駅徒歩25分。
総じて「徒歩10分以内の好条件」は少なかった気がします。
それでも3週間分の荷物の入った重いリュックをしょって・・・・・。
予定帳には「実家から12㎞離れた駅まで夜行列車に乗るため徒歩3時間」と。
当時2食付きの宿代は2350円(ユースホステルの年会費は別)。
現在建物はすでに解体され、更地のようです。
訪れた宿の数「49」のうち
廃業した数44
今も営業中5(うち休館中2)