三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

全日空キャンペーンでかなった最終訪問 極地行 沖縄那覇 10 ちょっとだけ首里城 徒歩行 No.476

県央のいつももやしが20円のスーパーで13円だったのでまとめ買いしたら、同日イオン(スーパーセンター)は10円で追い買い。

インフレはどこに。、、、、。

 

3月にあった全日空(航空券)のバーゲンセールで訪れた、国内最終訪問地、沖縄。

航空券は国内どこでも片道7000円+空港施設使用料500円強で往復15000円強。

”深夜零時発売開始”で早朝までに「1日1便」はかなり埋まっていましたが、幸いにも「期間を工夫」でGW後に確保できました。

7泊する宿は「Booking com」の”本日の目玉”一人旅向きゲストハウス。

ドミトリー(2段ベットの大部屋)9500円からなぜかBooking comが値引き分を負担して8800円(1泊1260円)ほど。

”安宿激戦地・那覇市”ですが評判や実際はお値段以上でした。

GW直後の5月中旬、徒歩行3日目は”金城町石畳道”から”首里城公園”へ。

目の前に、琉球王朝別邸”識名園”から先ほど下ってきた道が見え、アップダウンの激しさを実感します(写真↓↓)。

決して安くはない野菜の値段から、緑豊かな家々に”家庭菜園”は・・と思えどその姿見えず・・・(そのわけを聞いてみたいものです)。

 

ゴミ置き場に有料ごみ袋はあまり見かけず、(半)透明の買い物袋が多い感じ。

街中も住宅地も、”ゴミ出し”の基準がゆるいのか守らないのか、ごみ置き場にいろいろな”粗大ごみ”が置かれていたりします。

線の切れたテレビ・電子レンジ・扇風機などなど・・・を見ると、”廃家電事情”はどうなのか気になるところですが、”集める廃家電業者さん”はいない(流通していない)のかもしれません。

あるいは、安価(=仕事にならない)なものを避けて集めているか・・・。

午後1時を回りやっと首里城公園の入り口まで来れば、さすがに大勢の観光客がぞろぞろ歩いています。

そこは多国籍の人々が集う場所。

飛び交う言語は英語・中国語・韓国語、もちろん日本語も。

他の言語の方もきっといるはず・・。

広い敷地内に守礼門をはじめとするたくさんの”門”や施設があり、皆様スマホ写真をあちこちで・・かかる時間は人それぞれです。

焼失から再建中のエリアは体育館のような建物におおわれ、市内各所からその姿を見ることができます。

首里城について | 首里城 ‐ 琉球王国の栄華を物語る 世界遺産 首里城 (oki-park.jp)

(以下はHPより)琉球王国とは、今から約570年前(1429)に成立し、約120年前(1879)までの間、約450年間にわたり、日本の南西諸島に存在した王制の国。

1609年に日本の薩摩藩が3000名の軍勢をもって琉球に侵攻し首里城を占拠した。それ以後270年間にわたり琉球王国の表向きは中国の支配下にありながら、内実は薩摩と徳川幕府の従属国であるという微妙な国際関係の中で存続していた。しかし、やがて日本の明治維新により成立した日本政府は、1879年(明治12)軍隊を派遣し首里城から国王尚泰(しょうたい)を追放し沖縄県の設置を宣言した。ここにおいて、琉球王国は滅亡した。

 

入場料大人400円は”ゆいレール一日券(800円)”提示で2割引き。

写真はちょっとだけ。

(海抜100mの高台から見る街・遠くは人気の渡嘉敷島那覇市泊港から片道70分)

(外側)

(ごつごつした印象の本土の城壁に比べ、表面はなめらか)

くしくも、後日市場で買ったパイナップルを包んでもらった「5月3日の琉球新聞」に、敷地内の「第32軍司令部壕の第一坑道との推定位置が県の2022年度調査で明らかになった」「今後第一坑口の特定作業を進めていく」。

戦後78年。

まだまだ調査は続きます。

 

西行き・帰り道はらくらくの下り坂。

進み具合はだんぜん違いますが、それでも時刻はもう午後2時を回りました。

右側・首里高校は「◎◎大学何名合格」の垂れ幕かかる進学校か・・・尾根沿いの道の左右は視界がよく遠くまで見える・・・などと歩いているうちにお昼ご飯をのがしてしまい・・道沿いのスーパーで買った地元のコッペパン(菓子パン)もまたよろし・・・。

 

伝統のやきもの・壼屋焼きの店が連なる「壼屋やちむん通り(一番上の地図↑↑)」を目指せば、1本余計に南下するも、目の前に商店街の看板が見えてきた~。

アーケードのある・歩いて回る商店街には割安でほしい何かがある、などと勝手に思い込み、金曜日午後たくさんの人出にまぎれ込みます。

収穫は・・・。

 

 つづく