三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

終活にて 2 昭和 若者の旅はユースホステルから 一人旅 ミーティング No.476-A

立ち寄った遠方のスーパーで2点買い物。

「今月末まで38円」の値札(看板)は間違い(安すぎる)と思い138円に直してもらったまではよかったが、もう一点「本日限定価格」の値札(看板)の日付が昨日のままで、通常価格を払ったことにあとで気づいたへき地県境民です。

 

長年の自営の長時間労働・不規則な生活が生んだ”体調不良”。

急きょ””モノ減らしから終活”へと駆り立てる日々始まる・・・。

 

古い写真を整理すれば、1970年代のものが何枚か出てきました。

それは当時の時代背景がうかがい知れるモノ。

 

隣県での初めての中学生キャンプで「旅と鉄道」にはまった少年。

高校に上がると、いつも間にか”部活よりも旅が勝(まさ)り”フェードアウト(退部)。

”次の休みの行先とアルバイト先”を決めたら、夜遅くまで分厚い時刻表とにらめっこ・・・・・時に”午前様”。

 

たまの友人との二人旅を除けばもっぱら旅は”一人旅”。

その「一人旅」に適していたのが、当時全盛期を迎えていた「ユースホステル」でした。

「安価で男女別大部屋・全国の若者と会える」。

夕食後にペアレント(管理者)さん主催で「ミーティング」という、歌あり話ありの、人によっては面倒な(いやな)”行事”はありましたが・・・(ない時もある)。

運営を助ける”ヘルパー(アルバイト)さん”なる存在もありました。

 

下の写真は1970年代の夏。

信州(長野県)スワコユースホステル諏訪湖)建物前で翌朝撮ってもらった集合写真です。

なんと、裏には7時15分と書いてあります・・・。

昨夏、新宿のヨドバシカメラで購入した一眼レフカメラを持ち”鉄道9割・その他1割”の撮影乗車旅。

写っている人はそれからだいぶ”経年変化”しているのでそのままに・・・。

フレーム(枠)に入り切れないくらい大勢の人がいる!

ぱっと見でも女性の方が多い・・・・・。

滞在中(といっても1泊)これだけの人たちとどのように話をしたのか、まったく覚えていませんが、幸運にも、この中の一人(東京の大学のお姉さん)とこの後「蓼科(たてしな)高原」まで日帰りで出かけました。

バスに乗ってどんどん高度を上げていった先が目的の高原。

(蓼科牧場前の大白樺・これでも白樺 下にいる人と比較すると・・・)

牧場の第二リフトに乗って上へ上へ・・・・・。

なぜか、頂上の売店で180㏄のパック牛乳・200円に驚愕(きょうがく)したことだけは覚えています。

写真は南側頂上から見る「女神湖」です。

たまたまユーチューブを見れば、このあたりも今はだいぶ寂れてしまったのは時代の流れでしょうか・・・。

夕刻、諏訪湖に戻れば、雲間から差す光が湖面を照らし、それはそれは神秘的な光景でした。

 

学生最後の夏。

九州で一時一緒に回った二人組と横浜から来たハンサムボーイと、当時絶好調の人出だった宮崎・青島のユースホステル前で。

男女の別なく「気が合った方(方々)と、一緒に回る」ということは決して珍しいことではなく、そのあと旅の途中で「さようなら」。

(他の方は存じ上げませんが)お手製の「旅の手帳」に住所交換をしても、そもそも住んでいる場所が違う(北から遠い)こともあり、その後交際まで発展することはありませんでした(男女共)。

 

その後ハネムーン先が国内から海外へと移り、人気先だった宮崎・青島も衰退、ユースホステルも消え去り・・・。

 

思い出はうろ覚えの頭の中に再確認したあとしまい、写真はさようなら・・・・・。

モノがまたいくつかなくなりました。