長年の自営の長時間労働・不規則な生活やストレスが生んだ”体調不良(病/やまいとも言う)”。
それまでの、平均寿命を越える親族に自分も・・の想いは急変、””モノ減らしから終活”へと駆り立てる日々始まる・・・。
古い写真を整理すれば、1970年代・80年代のものが何枚か出てきました。
それは、当時の時代背景がうかがい知れるモノたちでもあります。
今のように”撮影場所まで車で乗り付ける”スタイルと違い、車を持たない鉄道ファンは、車内から・ホームから撮影する”のが基本でした。
それ以外はせいぜい”待ち時間に駅の周りをうろつく”くらい。
その旅は”鉄道ファン時々観光客”といったスタイルです。
当時の”撮影条件”はだいぶゆるかったと感じます。
当時からすでに本数の少ないローカル線の無人駅は自由度多く、”次(の列車)が2・3時間後”であれば、写真のような、周りに誰もいないのをいいことに・・・・・です。
(災害で代替バスが走る、北のローカル線/冬・現在中心となる町の人口が2000人まで減り廃止か存続か論議中ですが・・・すでに手遅れでは?)
特急の終着駅では待ち時間を利用してすばやく・・・(相棒に撮ってもらいました)。
県庁所在地の大きな駅でしたが、他に撮影者はゼロ・・・。
他に撮影者はいたはずも当時はごく少数で気にならなず・・・。
バイク旅の途中、私鉄終点の駅で。
他に撮影者はおらず閑散として・・・。
いずれも停車中の車両でしたが、上記以外を含め運が良かったのかなんだったのか「怒られた」ことはありませんでした。
もしかすると、関係者の皆様方は(たとえその姿を見たとしても)ゆるく接してくれたのかもしれません。
とあるローカル線、気動車(ディーゼルカー)では運転室(といっても特に仕切りはない時代)の真横で、終点まで運転士さんと時折話しを交えながら滞在・・・。
盆暮れの乗車率が150%以上ある時、使っていない車掌室に入れてもらったことも・・・。
誰もいないローカル線の無人駅で一晩過ごしてもOK。
青函連絡船の広い待合室で一晩過ごしてもOK(実際は隔日で3晩)。
乗る方は4人掛けのボックス席を荷物で占有することもなく「網棚」へ・・・。
古い客車が手動扉(自動扉ではない)でも悪ふざけせず、落下した人は聞いたことがない・・・。
ゴミは座席下などには置かず、車両か駅のごみ入れに・・・。
トイレペーパーが盗まれ注意喚起の張り紙、、、は見た記憶がありません。
撮る方はとにかく数が今と違い多くない分、場所取りで小競り合いになることはなく・・・。
あの、上野駅の東北新幹線開業(1985年/昭和60年)に伴う特急・急行のラストランでたくさんの撮影者であふれかえったホームでさえすんなりと・・・(ゆずりあい)。
当時はまだたくさんの優等列車(特急/急行)が走っていた山陰本線の普通列車での一コマ(写真↓↓)。
裏に「右手にしっかりパン/製造年月日なしの処分品を握るが、さすがの彼も歯が立たない」。
そんなこともありました。
「歯が立たないほど硬いパン」。
その状況に怒ることもなく、笑いに変え楽しんでいる。
作る方も売る方も買う方も、何かあっても"まあまあ"と"ゆるく(寛容に)"生きていたのでしょうか、、、。
すぐ目くじらを立てることもなく、、、。。。
昨今の撮り鉄による「おさわがせ/迷惑(と言う名の犯罪行為)・お見苦しい」映像を見るにつけ、昔のやんちゃ野郎は驚くばかりです。
列車を停めたり、器物を損壊したり、駅員に暴言を吐いたり暴行まで。
踏切の非常ボタンを何箇所も押し、列車を停めて希望する写真を撮る高校生(その後書類送検される)。
10カ月前投稿されたYouTubeでは「撮影のため車内の電気を消してくれないか、と”緊急連絡用のボタン”を押して車掌と押し問答する”成人撮り鉄”まで出現・・・・・。
実害があった場合、エスカレート防止のためスシローが提訴したように、き然とした対応が望まれます(と言っても言えた柄ではない・・・たいへん失礼いたしました・・・)。
デジカメ以前、30年以上前に「引退」した一眼レフの元「撮り鉄」です。