三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

コロナで会えないうちに・・・ No.143

週末、実家に電話連絡する中で親に「そういえばはがきが来てたよ」と言われました。
「お姉さんから(って自分には姉はいないし、思い当たるお姉さんはいないし誰それ??)、だいぶ遅くなったけど大腸がんで亡くなったと書いてあるよ(って誰が??)」(まいど「吉本興業」のような親です)
「誰の話??」
「〇〇さんの話(ってお姉さんの苗字を言われても知らん!)」
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故人の名前(苗字)を聞いてやっとわかりました。
神奈川県の専門学校時代の同級生で昨年・今年と年賀状が来ずどうしているかと思ってはいましたが・・。
お姉さんは会ったこともなく、いるとも知らず、苗字は当然知りません。
その同級生は一度社会人になったのちに学校に入りなおした6歳上の人。
当時、社会人の経験を積んでから学校に入り直すなんてすごい!と思ったものでした。
卒業後も松戸市(千葉県)のアパートに泊まりに行ったり、自分の地元まで遊びに来たりして・・・。
さいたま市在住なので、2,3年前「年2度は近くを通るので是非会おう」と伝えた直後コロナが・・・あの世で会うしかなくなりました。
せめて埼玉県在住のお姉さんに聞いて(お墓か仏壇で)おがめるといいのですが、、、。

「コロナで消えたこと」は「東京オリンピック観戦」もでした。
パートナーの勤める会社の福利厚生企画(抽選)に当たり、新横浜駅前のホテルに泊まり「200m予選」が見れると聞いて、元陸上部員はやった~!!
サニブラウン(アブデルハキーム)が見れる!!と思ったものでした。

その年の11月、「喪中はがき」が・・・「お姉さん」からで(お姉さんがいるのは知りませんで)したがすぐに誰だかわかりました。
以前「電子部品の輸入商社」に勤めていたころの「横浜営業所長さん」だったのです。
退職後20年以上たっても定期的に「元社員会」を主宰してもらい上京のたびに会っていましたが、コロナで会えないうちに・・・。
「よし、オリンピックの時に蒲田(大田区)まで線香をあげに行こう」
ところが、1年延びたオリンピックは・・・(観戦中止)。

さて今年は行けるでしょうか??
県境から大都会に出るのは大変ですが・・・(行くしかないと思っています)。

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