昨朝、沿岸部に降った雪は珍しく15センチに及び、雪かきはシーズン1回目。
県の最低賃金は923円のようですが、別に特定最低賃金が特定産業で959円・986円・1003円なことを知らなかった、へき地県境民です。
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
6月22日(日)
フランスから越境しスイス滞在3日目。
フランスリヨンからスイス西口ジュネーブ、そしてこの日はレマン湖北岸のIOC本部(オリンピック委員会)がある街ローザンヌまで。
(地図と写真はグーグルマップより)
交通費を少しでも安くしようと、駅で買った”半額旅行カード(35フラン・3300円)。
これさえあれば、その名の通り”運賃が半額”になります。
それが、33年後の2019年、ご縁あり母を連れて再訪した際は120フラン・14000円になっていて、5年後の2024年現在は円安で20450円(*1.46倍)と恐ろしい金額に・・・。
通貨単位はスイスフランで1フラン=約93~100円⇒2019年118円⇒2024年170円
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
(現在のジュネーブ駅)
と、そこに一人の日本人。
当時はまだ日本人がそう多いわけでもなく、日本人らしき人がいれば話しかける習慣が出来上がっていました。
その女性は全日空勤務で1週間の予定でスイスを回るとか。
今まで中国・ニュージーランド・ドイツ・インドネシア滞在歴あり。
彼女いわく、”土日に10年に一度の祭りがあり、午後パレードがある”というので、25CL(250CC)2.8フラン・270円の瓶ビール片手に見物することになりました。
パレードはプロビンス(行政区)ごとの衣装で華やかそのもの。
(便せんメモより)「”重いカウベル(*牛や羊が付けるのの特大な鈴)背負い地獄”など」
炎天下の湖岸通りは人で一杯!
(絵はがき)
3000円の桟敷席で汗をかいている彼女はたいへんそう(*自分は無料の立ち見です)。
(メモより)「ホルンからヤギからいろいろ見れたのは良かった」
(スイス国鉄の駅 ドイツ語・フランス語・イタリア語でSBB・CFF・FFS)
15時26分発のFast(快速)は”十字マーク”のスイス車両で、機関車(*客車をけん引する)の加速のすごいこと!
(メモより)「すぐ100kn/h」で、三日月型のレマン湖畔をガンガン飛ばします。
並行する幹線にはたくさんの車が走っています。
マッターホルンと並ぶ有名山ユングフラウヨッホへの起点インターラーケンへ向かう彼女と別れ、ジュネーブとローザンヌの中間地点ニヨン(NYON・地図↑↑)で降りたのは、その当時はやっていた”海外旅行本・地球の歩き方”に載っていたからでした。
(メモより)「長い坂を下りレマン湖畔に行けば人・人、そして人」
さすが、おすすめの地は寂しくないように、太陽も人もいっぱい・・・。
(ニヨン レマン湖畔)
ニヨンから乗ったローザンヌ行鈍行はその名の通り、急行待ち+αの間に反対行きの5本を眺めながら17時50分に到着。
「土日は駅でしか両替できないドルは明日(平日)市中で」
(現在のローザンヌ駅)
このあと幸いユースホステルには泊まれたのですが、”ユースホステルガイドブックにあった台所”はなく自炊はできませんでした。
ならば、明日移動したくもなります(*栄養補給はとても大事です)。
からっとした暑さ残る明るい夜。
まだ二つのユースホステル利用でしたが、台所設備に難がありそうなスイス。
宿に電子レンジなどはまだなく、暖かい食事は高価なレストラン以外では食べられない(テイクアウトはあまり見当たらない)。
この条件はかなりキツイながらも、なんとかやりくりするほかないバックパッカーでした。
+++ M マクドナルド M 見つけた +++
・ハンバーガー:2.1フラン・210円
・コーヒー:140円・日本より高い
・ビックマック:日本より50円以上高い
*このころにはすでに日本より高い国でした
つづく