(北のキャンプ場 10月中旬・毎日雨/秋雨週間でウッドデッキもびしょ濡れ)
先週末の寒波で三陸沿岸部も予想外の初雪。急きょ鼻水を出しながらタイヤ交換迫られるへき地県境民です。
9月10日の訪問時33度を記録した、かまくらで有名な秋田県横手市(盆地)は2ヶ月半後のこの日、10センチの積雪、、、。
(朝 窓の外 日中 道路沿いの温度計は予報を下回る1℃でした)
今から37年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
5月15日(木)
西ドイツの友人宅を出、ベルギーからドーバー海峡を渡りイギリス滞在20日目。
この日は北部スコットランド北東部の港町アバディーン(地図↓↓)から移動せずに街歩き。
ユースホステルの部屋は一人だったせいか(6人部屋)朝8時までぐっすり寝られたのは幸いでした。
まあまあの天気に街へ繰り出し、複数のお城に大聖堂・美術館に博物館・公園まである(*まあ、大中小どの町へ行っても名所旧跡だらけです)中、まずは郵便局へ・・。
雑誌サイズ(A4?)の封筒に絵葉書や鉄道関係の印刷物を入れて出すも、”封をしたもの”は印刷物扱いにならず・・・(*日本の旧冊子小包・現ゆうメールと同じ)。
(便せんメモより)「説明がいまいちよくわからない」(*方言混じり?ますます慣れない地方の英語に戸惑う)
(市内クレイギーヴァー城 グーグルマップより)
大通りを歩けば、そこは車天国。
おっと危ない!
(便せんメモ)「歩行者信号はものの5秒(*と感じるほど早い)で点滅し始め、赤になったとたんに車の信号が黄色になる(=動き出す)」
慣れない変化にせわしさ感じる旅人でした。
大学の人類学博物館(無料)は人間がテーマで”ミイラの包帯なしのもの”やドクロ・骨がメインで展示されていて、興味ある方には・・。
(植物園もある アバディーン大学 グーグルマップより)
海岸に出ればそれなりの風。
慣れたカモメが頭上をぎりぎりにかすめて止まる。
(メモより)「カップルはなぜ平日の昼からいるのだろう?」(*なぜこんなことを思ったのかは今となっては・・・)
港へ行けば港臭さの倉庫と小さな魚加工場がたくさんあり、汚れたにごり水の臭さに小さい頃の”どぶ川(のにおい)”を思い出すお年頃でした。
雑貨屋さんの絵葉書は10ペンス(30円)から25ペンス(75円)で、デザインや構図のいい(=まともな)ものは25ペンスか~(と断念)。
通貨単位は£/イギリスポンド(#ユーロ加盟国後離脱/現在はポンド)で1£=約270円
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 。
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)。
今や日課にもなった”スーパー通い”。
イングランドでよく見かけたSAINSBURYに代わる、PRESTという店に行けば、こちらはなぜか牛肉が高く(イングランドは豚が高い)不思議でした。
品揃えも当然違いましたが、格段不便は感じずお買い物。
昨今のスコットランド独立論争からも推測できますが、イングランドとスコットランドの”暮らし”の違いを垣間見た瞬間でした。
それは、スペイン・カタルーニャ地方(バルセロナのある)の独立騒動と共通するものがあるのでしょうか。
歴史的建造物での争いの跡は過去の行い。
東洋の単一民族国家(島国)においてはなかなか感じることのできない世界かもしれません。
(メモより)「港のベンチに30分。それ以外は10時から16時まで歩き通し」
この行動パターン(気性)は37年たった今もあまり変わっていない気がします。
歩き疲れてユースホステルへ戻ったのは午後4時のこと。
冷蔵庫や電気オーブン等自炊設備が整ったスコットランドYH協会は、宿に食料品を置いていて、”砂糖/小袋1ペンス(=3円)・ティーバッグ4ペンス(=12円)”など”ばら売り品”に助けられました。
ちなみに、牛乳/568mlは25ペンス(=75円)。
(便せんメモより)「ただ、そこは個人主義。”家庭的なもの”を求めてはいけない」
一方、個人主義ゆえ”門限は23時半”で、当時の日本のユースホステルのような”束縛感”はまるでありませんでした。(*日本の”やれ掃除だミーティングだ~!”等行事は無し)
夕食はエディンバラ/エジンバラユースホステルで日本人にもらった”日清出前一丁”(香港製)。
単なる袋入りラーメンでは決してなく、”貴重な日本食”としてありがたく”慣れ親しんだ味”をいただきました。
それ以後”大都市の食料品店でのまれの出会い”で出前一丁を見るにつけ、香港製が幅を利かせていることを知ったのです。
一日の終わりに今日の行動を振り返り、
(メモより)「一言発するとすれば、”カモメのいる町はいいな”」
37年後の今、港へ行けばカモメの群れ飛ぶ町に住み、時折何十キロも離れた内陸部の田んぼにまで出没する姿見かける生活も震災翌年から数えて12年目になりました。
まったくもってどう転ぶかわからないものです。
(Girdle Ness Lighthouse アバディーンの灯台 グーグルマップより)
つづく