三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

1986 昭和の東西ヨーロッパ行 9 国境の町から ちょこっと隣国へ ベルギー メヘレン アントウェルペン 古い町並み 欧州 No.500

(ホーム反対側・レールが撤去され使われないホームが残る、雨の岩手県/大船渡線

いつもは乗らない電車に乗れば、ペットボトルを持った手でつり革につかまり、もう片方でスマホ操作する方の器用さに驚く、へき地県境民です。

さながら、片手でスマホ操作しながら自転車をこぐようなものでしょうか・・・。

 

今から37年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。

「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。 

 

 国税庁が発表した民間給与実態統計調査の結果によると、昭和61年(1986年)の平均年収は386万円でした。

35年後、2021年(令和3年)の平均年収443万円(14.7%上昇)と比べると、約13%低いです。

 

4月9日。

西ドイツ西部、国境の町の友人宅に荷物を置いて、1週間の隣国ベルギー訪問3日目。

ベルギー周遊に便利な「B-Tourrail」2等5日間、1550BF(ベルギーフラン=6300円)を25歳以下25%引き1170BF(ベルギーフラン=4680円)で。

通貨単位はBF/ベルギーフラン(#ユーロ加盟国は現在ユーロ€)で1BF=4円。

今から見るとずいぶん安いと思いきや当時の円高パワーが成す低運賃だったようで、当時のメモ帳代わりの便せんによれば、「よほど回らないと元が取れないのでローカル線の旅も考える」。

 

この日、ブリュッセル中央駅(〇○中央駅は欧州でよく出てきます)から15分、北方のメヘレン(メッッヒェレン/メッヘレン)へ(写真↓↓)。

 

メヘレンは、ベルギーのアントウェルペン州にある都市で、かつてはネーデルランド(現在のオランダとベルギー)の首都として政治、経済、文化の中心でした。

趣ある市庁舎や大聖堂、いつくかの広場をのんびりと歩いて見て回ることができるこじんまりとした街ですが、4月上旬曇り空、気温はまだまだ低く耳が痛ければ、とうてい”のんびり”回れそうにもありません。

一番高い塔で”テレビ東京の「旅行ってきます」の取材班が・・・。

 

鈍行で”トーマスクックの時刻表では16分”が30分かかって、さらに北のアントウェルペン中央駅に・・。

(メモの便せんでは)「行き止まりの駅は今まで見た中でピカ一、大ホールや内外のできはとても駅には見えない」

「ところがこの街の感激はそこでは終わらず、街中に張り巡らされた路面電車(中心部は地下) 車一台通のがやっとの一方通行をすごい加減速で赤い車体が走り回る」

「そして運河が張り巡らされた、川の港町」

「ベルギー第二の都市は郊外に団地も多い」

 

有名な動物園は入園料250BF(ベルギーフラン=1000円)とバックパッカーには高額で、寒さと併せて根を上げてユースホステルに急げば、路面電車を降り過ごし/折り返し・・・。

「ハイウェイ沿いの住宅立地(ユースホステル)でしっかりうるさい」(当時は事前に”評判”を調べることはできません)

「めざとくスーパーを見つけ食材を調達しても、”栄養不足”が気になる」(グーグルマップは当然なく、”長旅では健康管理の大切さ”を他のやつれた旅人に見出し)

「外食は最低の定食で200BF(800円)」

マクドナルドのハンバーガー180円、コーヒー120円が最低線」

当時、港区新橋のニュー新橋ビル(よくテレビに出てくるSL広場に面した古いビル)の肉じゃが定食は400円でした。

 

「なぜかこのユースは日の丸が揚がり、大阪市営長居ユースホステルの写真がある」(よく見ると大阪とは姉妹都市でした)

「宿は白人ばかり」

通常ユースホステルに「浴槽」はない(あとでわかる)のでシャワーをしっかり浴びて・・・早目に就寝・・・。

アントウェルペンユースホステルのスタンプ)

 

 つづく