三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

終活にて 6 1K 6畳 ○○荘 昭和グッズは No.480-A

室温がやっと30度近くになり、ひぐらしセミ)の声が(梅雨の合間の)夏を告げる、へき地県境民です。

 

長年の自営の長時間労働・不規則な生活やストレスが生んだ”体調不良(病/やまいとも言う)”。

それまでの、平均寿命を越える親族に自分も・・の想いは急変、””モノ減らしから終活”へと駆り立てられる日々始まる・・・。

 

古い写真を整理すれば、1980年代のものが何枚か出てきました。

写真に写る当時の時代背景がうかがい知れるモノたちをルーペを使ってのぞいてみました。

 

圏央に近い、下町1K6畳の木造アパート○○荘2階は木枠の窓でしたが、東南角で日当たり抜群!(夏の暑さも気にしない、きっとルーツは南と信じる北の人)。

8月。

携帯どころかポケットベルもない、固定電話と公衆電話で済ませた時代。

・スピーカー上のダイヤル式電話機は”留守電”もない・・・。

・ブラウン管テレビは家電量販店がないので、だいぶ離れた東横線元住吉商店街にあった小さな電気屋さんから(21型が5万円ほど)。

秋葉原の電気街で求めたアイワのステレオカセットプレーヤー(3万円台)

・テーブルの上にはカセットテープと”かけるだけで目が良くなる、通販の黒いメガネ”(一向に良くなりませんでした)

・ステレオはアンプとスピーカーにチューナー・カセットデッキ・レコードプレーヤーを秋葉原でひとつづつそろえた(つないだ)時代

・家具の主役はカラーボックス

・”ファンシーケース”という「組み立て式の鉄枠をビニールカバーでおおった衣類ハンガー/ファスナーで開け閉めする」家具はその後、パイプハンガーという名で一本・二本モノから回転式まで多様化

 

夜、電気をつけると、昼間見えずらかったものが見えてきました。

・ドイツ語のポスター2枚(ハンブルクの港のイベント等)

・(スピーカーの上)エンパイアステートビルを登るキングコングの貯金箱

・(テレビの上)アメリカの州の旗

・今は亡きヨーロッパのお札(EU統合前・ユーロではない)のオブジェ

いずれも職場からもらってきたものです。

 

旅と鉄道関連グッズ(おみやげ)は、収集癖がまだあったころのもので、後年中古屋開業後大量の入荷物を前に集める気が消失、ヤフオクヤフーオークション)でさようなら・・・。

専門学校在学中、1年生がいた寮に営業マンの先輩が来て英語の勉強になるからと勧められ、60回ローン/ボーナス払いありを組んでしまった「タイムライフの英語教材/圏央でのレッスン券付」は棚の上に。

同部屋のもう一人の購入者は「損切り」早く、「他の寮生に4分の一で転売」が正解でした。

一方こちらは「つかんだまま」一度も圏央でのレッスンを受けることなく長年キープ、後年さらになん十分の一かでヤフオクへ・・・。

 

若輩者が一通り”試してみた”アルコール類。

紙パック商品が主流になる前は割安な大びんを買い部屋のどこかに・・・。

和風ガラスケースの”だるま(サントリーオールド)”は、より安価品を飲んでいた身でおそらくもらったものです。

唯一買ったものと言えばマニララム(フィリピン名産品)で、覚えのないスコッチウィスキーやタンカレージン、紅乙女(胡麻焼酎)はガラスケース内で大切に・・・。

 

1980年代前半。

1987年の国鉄民営化前に格安切符で昼夜まだまだ本数のあった列車を使い、全国を旅することができたのは本当に幸せなことでした。

この時期経済的に日本が米国に近づいたことを知ったのはここ1・2年のことです。

当時はそんなことも「国が借金生活に入った」ことも知らず、自己研鑽(けんさん)なしに目の前の生活(仕事と遊び)に明け暮れ、やがて来た”バブル”さえたいして意識せず過ごした80年代(当然何らかの恩恵はありましたが・・)は昭和最後の9年間(1989/昭和64年は平成元年)。

 

その後、バブルが弾けた時もピンと来ず・・・実感したのは、初めて証券会社の窓口で買った投資信託が5年で4割減って”終了(償還)〜と同時に退場!!したことです”(銀行の商品なら1.5倍になったものを欲を出し・・・)。

 

それでも、”過ぎ去るはいい思い出ばかり”・・あとは忘れて・・・。

こればかりは[全自動ポジティブ思考]で助かっています。