三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

終活にて 3 昭和 若者の旅はユースホステルから バイク 一人旅 二輪車 No.477-A

先週、田んぼ道であおり運転をする軽自動車へ道を譲った、へき地県境民です。

その後、30・40代?の女性は残る1台を抜かずあおり何キロも先の隣町まで・・(人の姿をした”ケモノ”は回避するに限ります)。

 

長年の自営の長時間労働・不規則な生活が生んだ”体調不良(病/やまいとも言う)”。

平均寿命を越える親族に自分も・・の想いは急変、””モノ減らしから終活”へと駆り立てる日々始まる・・・。

 

古い写真を整理すれば、1980年代のものが何枚か出てきました。

それは、当時の時代背景がうかがい知れるモノたちかもしれません。

 

昭和50年代、若者の旅はもっぱら”一人旅”。

その「一人旅」に適していたのが、当時全盛期を迎えていた「ユースホステル」でした。

「安価で男女別大部屋・全国の若者と会える」。

夕食後にペアレント(管理者)さんやヘルパー(お手伝い)さんが開催する「ミーティング」という、歌あり踊りあり話ありの、人によっては面倒な(いやな)”行事”はありましたが・・・(ない時もある)。

 

先輩から譲られたバイク(ヤマハXS250スペシャル・セミアメリカンタイプ)に乗るため自動二輪(中型)の免許を取りに、仕事終わりに京浜急行で教習所(鮫洲/さめず・品川区)へ行けば、狭い敷地でコースは2階(1階の屋上)。

 

「それまでの電車から二輪車も」となれば、旅の行動範囲はがらっと変わります。

「”当時”の羽田空港」で発着する飛行機を撮るのにバイクを走らせたのは”京浜島”。

(整理した写真はこのあとさようなら・・・)

ジャンボジェット機から国産プロペラ機YS‐11まで、目の前を左右に行き来する大小さまざまな機体を、興奮気味に一眼レフ(フィルム)カメラでパシャ・・・・・・パシャ!(今と違い間が空きます)

「タッチアンドゴー(着陸のやり直し)」を見ることはありませんでしたが、風が吹けば前後左右に揺れる機体に心配を覚える時もありました。

強風の中、翼を地面にこすりつけるほど傾いても着地する、操縦士のテクニック次第のプロペラ機(YS-11)を見ていて、SL(蒸気機関車)にその姿を重ね合わせ・・・。

かたわらに管制塔との交信の音(受信機で聞いている方)。

 

国内は日本航空全日空東亜国内航空の3社が決まった塗装で判別しやすい時代で、それは国鉄日本国有鉄道)も同じでした。

海外キャリア(航空会社)の塗装が違うジェット機がたまに離発着するくらい、旅客数一位でもまだまだ空港の運用に余裕があった感じがします。

その後転職で北の(社員)トレーニング店(コンビニ業界)に引っ越すまで、何度か楽しませていただきました。

 

「バイク一人旅」でも利用したのは、当時全盛期を迎えていた「ユースホステル」。

夏、圏央から山梨方面1本道の国道18号線を登った先、信州(長野県)小諸市の山沿いのユースホステルも当時はたくさんの若者で一杯でした。

翌日、他から来た方とバイクを交換してツーリング。

「全然違う乗り心地」に初めは戸惑うばかりも、午後にはだいぶ慣れるほどの長距離ツーリング。

宿からさらに上の菅平から圏央方面へ一気に下れば、今は亡き碓氷(うすい)峠「信越本線・横川~軽井沢間のアプト式鉄道(歯車のついた補助レールがある)に並行する隧道/トンネルを発見!

この後だいぶたってから長野新幹線が開通することなど、当時は予想だにせず・・・。

開通=第3セクターで営業、にもならずいきなり廃止とは・・・。

峠下の横川駅で特急も補助機関車を連結する間、売り子さんが売り歩く峠の釜めし(駅弁)や麦めしを多くの人が買い求めた時代から「1時間ちょっと(東京~軽井沢)」の時代へ。

(写真後方に複線の信越本線の電柱と架線が)

今や新幹線がそれた小諸市は「佐久平駅」周辺のにぎわいとは対照的なようですが、小諸城址・懐古園や動物園もある穴場スポットかもしれません。

 

サラリーマンの盆暮れの休みは北の実家へ帰省と年に一度の海外で決まり、2,3日の旅は「青春18きっぷ」で普通列車に乗るか「バイク旅」。

冬、隣県(静岡)までバイクを走らせ、鉄道ではまず行かない「御前崎」へ。

閑散期の宿(ユースホステル)はこの日は3名。

それでも話が弾み、翌朝撮ってもらった写真に写るは幸せなカップルでした。

静岡市浜松市の間に突き出た現在人口3万人の市も、今は海辺の冬の強い風にバイクが振れた記憶が残るばかり。

とても印象的だった、海辺の浜岡砂丘近くにドーン!と見えてくる大きな建物(浜岡原子力発電所)が震災後停止してから12年。

現在は再稼働を巡りさまざまな論議・運動を呼んでいるようです。

 

2・3日旅や帰省に大活躍したバイクでしたが、”人数が増えれば車(乗用車)”。

3・4年の稼働で手放して、その後再びの”ご縁”がないまま幾年月・・・・・。

ユースホステルも、利用者の年齢幅がある海外と違い「若者の宿」の印象が強い国内(実際中高年は見かけませんでした)ではその後利用することがなくなりました。

それでも楽しい思い出は永遠に・・・・・。

 

(初めての海外一人旅・ビジネスホテルのような韓国・釜山ユースホステルでボーイ君と)