三陸沿岸部にお試し移住1年+引越し1年で2年がたち、この春3年目。
30年営んだ中古屋で大量に引き取った品々は、5年をかけてもなかなか減らず、その間依頼を受ければ、、、(↑増↓減)。
引越し後も複数か所にある倉庫・物置で暇を見つけては、売る価値のなくなったものたちを片付けています。
少しずつ・・・。
同い年の知り合いが昨年大晦日に”旅立った”のを機に、ノートを用意したまま止まっていた”終活”を本格的に始めることにしました。
長年の「片付けねばという強迫観念」からの脱却。
親の"半ゴミ屋敷(実家)"はそう遠くない将来に見送ってから・・・になりそうです。
片付けるにあたり、目に付くのは”紙類・印刷物”です。
昭和のモノを中心に”まとまると重量物”が部屋の奥やら押し入れやらに”冬眠”しています。
子供らデジタル時代が終活をする頃は紙も減り、その風景はだいぶは変わっているのでしょうか?
いつぞや、税理士事務所から引き取った、丈夫な”コンテナボックス(保管箱)”20個以上。
高すぎて(1個市価4000円)500円でも店で売れずに10何個か残ったやつです。
そこでみかん箱(段ボール箱)からボックスへ紙類を移し、このたび取り出してみると、あるある~種種雑多な印刷物が・・・。
整理する中で目についた古い色紙2枚。
今は「色紙」などというものは、サインを求める以外に使われることはあるのでしょうか?
いずれも、若き会社員だった頃、退職(転職)する時にいただいたものです。
色(日焼け具合)が順番を示しています。
改めて見返してみると、「人にどう見られていたか・思われていたか」が少しだけわかりました。
上司・先輩・同僚・後輩。
右の「ホテル」は、女性従業員の割合が多く、残業があっても月に1時間以内、「とても家庭的なところ」・・その通りでした。
日勤/夜勤のシフト制サービス業で社員旅行(今ははやらない?)はないけれど、従業員の3分の一は正月休める、適度なプライドありの真面目な集団。
上京の際お泊りいただき、昨年から今春にかけて他界した顧客は、稲森和夫さん(京セラ創業者)やムツゴロウ(畑正憲・はたまさのり)さん。
若い客室係がムツゴロウさんご夫妻と廊下ですれ違い頭を下げた際は、当時からあまり変わらない、仲睦まじい御姿で笑顔の会釈を返していただきました。
退職後訪れる機会がないまま、今や「建替え後はインバウンド客狙い、ますます高級路線」で宿泊は断念、せめて昼ご飯くらいは(上京時)、、、が目標です。
左の「流通業(百貨店・スーパー)の広告代理店」は商売柄イラストはお手の物。
ボーリング場跡地が本社(一部レーンが残っていた!)という、これまた「しごく家庭的」な職場でした。
「事務員スタイル」
「ほのぼの君」
「春の日差し」
「シュールなイラスト(ファミレス向けに少しだけ書いていました)・妙な感性→変わり者」
「北の人らしい粘り」
いずれも当たっています。
広告代理店という性格上、12時間以上拘束は普通でしたが、一から作り上げる難しさと楽しさ・・あっという間でした。
「電通」さんのような、恐れ多い所業は一切なく、ひたすら黙々と・・(営業)。
辞めて何年もたたないうちに「拡大経営がたたり、親会社がこけて”皆こけた”(倒産)」のは、テレビ報道を知ってからの事でした。
それでも国内の店舗は看板を変え営業を続けているようで、なによりです。
2枚の色紙の間に2社への転職がありました。
そのうち「コンビニ」は、「色紙どころではない業界(当時)」で、何も残っていません。
県の地区マネージャー(責任者)は朝4時に東京から車を運転して帰ってきて(毎週です)8時台には事務所で朝礼。
「毎週水曜日くらい、時間を作りスポーツクラブで汗を流そう!」とおっしゃっていましたが、いつも青白い顔で大丈夫だったかなぁ??(からだ)
全国の店舗巡回経営指導員も毎週本社に集まり(北からはあさイチの新幹線で)、夜は店舗を巡回→午前様、という「全員がモーレツ社員」だったので、かえって片付けるものが一切なくて”結果オーライ”なのでしょう・・・。
もうひとつ、「電子部品の輸入商社(防衛関連)」は1980年代(バブル期)のたくさんの写真があって整理中です。
あちこち行って、食べて飲んで・・・この国の力が最もアメリカに近づいた時代だったことを知ったのは最近のこと。
写真以外で唯一残っていた”パトリオットミサイル型ネクタイピン”は、その後30年間の自営業で背広を着る機会がほぼないうちにどこかへ、、、。
2枚の色紙は「紙資源(雑誌扱い)」に・・・(生かします)。
つづく