三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

作業旅 京都府宇治市 現場は北から800㎞ No.443

30年のリサイクル店生活で、初めて県外で宿泊を伴う作業をしたのは8年前のことです。

現場は北から800㎞南下した、お茶と平等院鳳凰堂で有名な京都府宇治市(一軒家)。

県央在住の方が、実家を処分(売却)するにあたり不要品引き取り(買取)を依頼してきたのです。

遠方の業者に依頼するわけは、通常、産廃屋さんに頼めば「古い2階建て5DK」はかなりの処分料が発生するところ、そこはリサイクル店 、作業賃(日当)はいただきつつも、買取できるものを探し出し「不要品の買取(何万円か)」で相殺します。

さらに他ではやらない(あほしかやらない)、不要品を紙類・金属類・廃家電に分別し各問屋さんに持込み換金化(何万円か)、それも相殺します。

さらに”宿”は現場(一軒家)なので宿代もいただきません。

なので、1週間作業しても・・・・・(地元の業者さんよりもかなり安い)。

(写真はありません)

道中、混んで遠回りになる首都圏は避け、新潟から日本海沿いを進みます。

幸い”高速代”は出していただいたので、”空の荷台”のトラックはそれでも時速100㎞以下で12時間、無事夜到着。

翌朝、依頼主さんを日本一長いホームのある京都駅までお迎えに・・建物も別格の長さでした。

道すがら”伏見桃山城や天皇陵”などは車窓から・・・(思い出すに、遠い昔城入口のそばに腰かけて、こっぴどく怒られた場所でした)。

目指す一軒家は宇治駅徒歩15分。

ところが古い住宅地の道は狭く、駐車場がない!(⇒許可をもらい近くの道路へ連日駐車)

さらに、家の中も外も物で埋まり、”ゴミ屋敷”状態、風呂場に物が大量に置いてある=風呂は使っていない=ゴミ屋敷あるあるでした。

とりあえず1日で一部屋を片付け、ねぐらを確保(こういうところに寝るのは慣れています)。

9月下旬の京都はまだまだ30度近く、クーラーも扇風機もない締め切った室内は・・・・・(汗・汗)。

日々12時間(8~20時)拘束の作業後、駅裏の駐車場にトラックを移動させ、駅前スーパーの食べ物を調理することなく1週間・・・はきつい作業でした。

事前に探したお風呂屋さんはだいぶ離れていましたが、近鉄小倉駅南の大久保駅あたりは昭和の香りがする町。

”脱衣所の縁台将棋”に、お客さんが北の作業人へ気軽に声掛けする、心温まる場所。

後日、近くの戦後多くの韓国人が住む場所に”日本人による放火事件”があったことを知り・・・(朝鮮高校は県央にありましたが、同和・部落問題を意識せずに育ちました)。

肝心の作業は、分別後各問屋さんに複数回持ち込み、遠くは大阪府岸和田市まで。

紙問屋さんでは「安い一般の持込価格を交渉し、(何度か持込むので)業者価格」にしてもらいました。

高く買う金属問屋さんはベトナムの方。

 

家具など粗大ごみは”山の中の市処分場”へ持ち込んだのですが、事前調査で「持ち主同伴が必要」なのが判明し大変でした。

家族(身内)ではダメ」と市の担当者に言われ、遠方の老人ホームから高齢者(持ち主)を連れ出し「トラックに同乗」してもらい、3人で天ケ瀬ダムの奥・山深い処分場へ。

カラス鳴く、広範囲に穴が掘られた”荒野”に、境界ぎりぎりに停めた1.5トンのトラックから直に家具を落とす作業は、誤って人も落ちそう・・・料金は1万円弱と他所と比較して”いいお値段”でした。

何日かは依頼主さんと弟さんに手伝ってもらい、燃えるごみはごみ置き場に出したのですが・・・・・「靴は燃えないごみ」を知ったのは、靴の混じったごみ袋を含め出した袋すべてを置き去りにされたあとのこと。

 

作業中、北のナンバープレートを見て寄ってきた”東日本大震災の被災者”の方から「懐かしい!同郷だ」と言われ、「こんなところに奥州人」、関西まで避難した人と初めて会いました。

結局、休みなしの1週間でも全部片付くことはなく、道半ばで買取&無料引取り品を満載し帰ることに・・・(先方の予算の都合で”延長”はない)。

「カムバック(2度目)」は・・・今思えば”(高速道路を使わない)下の道方式”ならば可能だったかもしれませんが…(ご縁はありませんでした)。

観光旅行ではないので「平等院鳳凰堂」は外壁だけ車窓からでしたが、「宇治川」のゆるやかな流れに趣きがありました。

高校の修学旅行で奈良まで乗った「近鉄奈良線」と「京阪宇治線」は行き止まり(終点)の駅で食事しながら電車を見れたのでOK。

スーパーの”鯖(さば)寿司(バッテラ)”は本場だけあって、スーパーのお寿司ではないほど美味でお土産にしたいレベルのもの・・が売れ残り・・・。

 

帰路。

名神高速道路・北陸自動車道を寄り道することなく、荷物満載のトラックは時速90㎞台が精いっぱい、登坂車線のない坂道は他車に迷惑をかけつつ東北自動車道まで来たら、突然”プスン~(パワーダウン)”・・・人生初のガス欠でした。

トラックの燃料計に点灯するランプなく(油断しました)。

幸い、任意保険のロードサービス(10Lの給油・年1回無料)も初めて利用してみました。

帰着後、品物はとりあえず倉庫に入れ、小出しに整理・商品化すること1年以上。

北と違い”引き取ったもの”は京都を意識させるものが数多くあり、”文化の違い”を感じさせました(文化芸術のある生活に豊かさを感じます)。

そのほとんどが”ヤフオクヤフーオークション)"へ・・・全部決着するまでさらにに2.3年。

その作業の合間にヤフオクで売れた「大型家具・家電」を各地へ配達(安価な落札価格に運送屋さんの配達料は設定できませんでした)。

のんきではなく、それほど手間がかかるのが中古品・未使用品の”2次流通作業”です。

 

その後、依頼主さんから「家の残りを片付け、売りに出したらすぐ売れた」と聞き、肩の荷は降りました。

(処分場は右奥・山深いところです)

 

2年後、大阪市中心部までの配達の帰りは山の道(下の道)経由でふたたび近くを通り・・(信楽焼甲賀こうか市は車窓から)。

5年後、大分市での作業の帰り、三度近く(下の道)を通り・・・。

地元の方とのふれあいや、手作り京都のお漬物の味はだいぶ北と違っていて貴重でした。

もし次があれば、今度こそ仕事抜きで・・・と思っていますが果たして、、、。