昭和40・50年代、旅する若者の間に君臨した宿、「ユースホステル」。
1泊2食付2000円台まで(一時期)でしたが時代が変わり下火になり・・・。
当時利用した宿のその後をたどってみると・・・。
昭和54(1979)年8月 夏休み 四国周遊券(20日間有効)を利用
当時、周遊券は「普通・急行列車自由席乗り放題」でした。
四国への入り口として市電(岡山電気鉄道)を撮りつつ宿泊、翌日国鉄「宇野線」を利用し宇野から「宇高連絡船」に乗り高松へ。
財団法人解散で閉館、今は住宅地になっているようですが、市電2系統は今も健在。
驚くことに「100円区間」と「140円区間」の2区間制の運賃で「岡山城」や「後楽園」へ(要下車後徒歩)。
機会を作り、また乗ってみたいものです。
現在、高松港をはじめとして8か所の港からフェリーが出ているようですが、当時は宇野からフェリーに乗らずに、宇高連絡船で高松まで行き、そこからフェリーに乗った記録が・・・(周遊券を使えば、そのほうが安かったから?)
夏休みで大勢のホステラー(利用者)が来ていて、ホステラー(世話係)も何人かいたと思います。
かつて島内にあった「内海町・うちのみちょう」。
同じ字で苗字の読み方が「うつみ」君と「うちうみ」さん、さらに「うちのうみ」さんまでいて、よく覚えています。
大分県佐伯市・広島市佐伯区はそれぞれ「さえきし」「さいきく」。
滋賀県JR湖西線・静岡県湖西市はそれぞれ「こせいせん」「こさいし」。
旅好き・地理好きは覚えるしかありません。
バスで「寒霞渓・かんかけい」をはじめとして島内をまわりましたが、「家の外の水道の蛇口の”取っ手”がない(外されている)」のに驚いた記憶いまでも・・・。
島で「水」は貴重なものでした。
あれから43年。
今後は世界レベルで「水の奪い合い」が起こる?などと言われる時代になりました。
訪れた宿の数30のうち
廃業27
そのうち今も営業中3