三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地県境移住者の暮し 旅の話など

昭和の東西ヨーロッパ行 199 8千円を使い果たすのに難儀する 東欧チェコスロバキア No.690

(隣県で見かけた「くず米」 "家畜や鳥のエサで、食べた人によれば「まずい」のでやめな"と店のお姉さん方に言われるも、試してみた低所得者/へき地県境民です 

お味は玄米そのもの?でしたが、米以外の”黒ゴマ状の種子(おそらく食べられる)”が入っていてやはり家畜や鳥の・・・

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今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。

旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。

 

10月6日(月)

フランス⇒スイス⇒オーストリアから北上、西ドイツ⇒北欧(デンマークスウェーデンフィンランドノルウェー)、東西ドイツから東欧ポーランドチェコスロバキアへ(*右回り

(地図や写真はグーグルマップより 当時ドイツは東西に分かれていました)

(現在はチェコスロバキアに分かれています)

 

(ブラスチラバ駅)

 

首都プラハ中央駅から夜行列車で6時間。

4時10分、チェコスロバキア第二の都市ブラスチラバ(*現スロバキアの首都)は10月上旬にして寒さがこたえる朝でした。

 

歴史ある(*古いとも言う)駅は狭く、第三の都市ブルノと比較しても”格差”あり。それはチェコ側とスロバキア側で分けられるものなのか・・・。

眠気に勝てず”ホームのベンチでごろ寝”をしていると、案の定”鉄道公安官”のような方が来て「起きろ~!!」

 

6時半では眠気が取れないまま街歩き///。

 

現在スロバキアの首都ブラチスラヴァ

オーストリアハンガリーの国境の近くに位置

ブドウ園と小カルパティア山脈に囲まれ、ドナウ川に面しています

18 世紀の旧市街は歩行者専用

再建されたブラチスラヴァ城から旧市街とドナウ川を一望できます

 

(現在の街中)

 

(38枚目の便せんメモより)「駅から街の中心までトラム(市電)がないので歩く」

(*現在はトラム網が張り巡らされています)

 

(当時”東欧諸国”で見られたトロリーバス

日本では昨年秋、立山アルペンルート・最後のトロリーバスが運転を終了しました)

 

今夜はこの街に泊るのは遠慮して、国境からほど近いオーストリアの首都ウィーンまで行く予定を立てていました。

 

徒歩20分で着いた街の中心部。

列車より早くウィーンに着くバス(*一日2本)が本当にあるか、確認すべくバスターミナルを探しましたが、地球の歩き方”(旅行ガイド)に書いてある場所にない!ない!やっぱりない・・・・・(*本は情報が遅い)。

 

やっとのことで見つけた”正しいバスターミナル”の窓口で、「R」マークのバスは予約が必要なことを知り切符を購入しようとしたら、

「(おそらく)3番乗り場で運転手から買って!」と言われ、”予約”はどうなったのか・・・・・。

i(インフォメーション/案内所)で聞いても同じことを言われ、運賃不明で乗れるかどうかわからないバスを待つわけにもいかず・・・。

(メモより)「結局、バスより1時間遅い列車になる(2時間20分⇒3時間20分)」

 

(現在の新しいバスターミナル)

 

本日はチェコスロバキア最終日。

出国の際はその国の通貨を使い切ることが理想でしたが、共産圏・東欧諸国で”強制両替”があるとたくさん両替させられ、使い切るのがたいへんなのがチェコスロバキアでした。

公定レートの倍以上で両替できる”闇レート”実体経済(*国力)を現しているならば、半分以下の強制両替でスムーズに使いきれそうだったのです。

 

(メモより)「残り450コルナ以上・8100円以上を使い切らねばならない」

「ホットドック3コルナ・54円、とうもろこし2.8コルナ・50円、アイス2コルナ・36円の国で」

 

そこで、デパート巡りをしたのですが、この街は少しポーランドと雰囲気が似ていて店が少なく品数も少なく困りました。

なによりも、”カウンター越しに品物を見せてもらうだけで、手に取って見れない”

東ベルリン(*東ドイツの首都)を思い出しました。

 

(メモより)「時間がかかるなど、かなり苦労して”テーブルクロス”などを購入し、”めし”も朝昼夕3食ドバドバ食べたがまだ余る」

 

ブラチスラバ城 907 年に丘の上に築かれ、後に再建されたバロック様式の城

現在は国立博物館となっている 現在の入場料2208円)

 

寝不足による寝ぼけまなこのまま、ウィーンから流れるドナウ川沿いのブラチスラバ城を下から眺めたりもしましたが、精力的に回るのはとうてい無理なようでした。

 

(街中)

 

駅で買った国境まで14㎞の切符は2コルナ・36円。

1箱200円のタバコ4箱を買いビールを2杯飲んだら、やっと残りは0.2コルナ・3.6円になりました。

 

夕方。

駅で国境を超える列車を待つ間、あまり回らない頭でぼんやりと考え事をして過ごすバックパッカー

(メモより)「それにしても、この国では全体的に”人の冷たさ”を感じる」

「それは、硬い表情からか何からなのか」

「唯一、たった一人、デパートで女の子が笑顔で応対してくれたのが印象的だった」

 

ポケットに手を突っ込んでいようが、モノを食おうが、話しをして見向きもしなかろうが、これは”競争がない、ザ・社会主義のサービス業”

これではとても資本主義には勝てそうもありませんでした。

 

## 気づき ##

・民俗を守る秘訣?は多民族と接しない(*彼らは”国内にたくさんいるベトナム人は好きではないようでした)

・アイスは1.4~2コルナ・25円~36円で種類も豊富(*特に首都プラハは異常な数)

・フライドポテトに*酸っぱくないマヨネーズがけが人気で、プラハでたった1軒のファーストフード店はいつも行列(*フライドポテト+酸っぱくないマヨネーズはベルギーやオランダでもよく見かけました)

・立ち食いそばならぬ”立ち食いスタンド”は各地にあって大人気(*女性も気軽に)

・ちょうど”盆栽展”プラハで開かれ、すごい行列!(*民族的に共感するものがあるのか?)

・勤労者は元気づけに1杯!朝ビール~(*ランチビールは知っていましたが・・)

”パルドン!”(ちょいとごめんよ!・すみません) フランス語がはやりなのか?

  つづく