観葉植物への憧れは、年3回の自治会、複数回の戸別住宅と実家の「草取り」で植物(雑草とも言う)と触れ合ううちに消えた、へき地県境民です。
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
8月8日(金)
フランス⇒スイス⇒オーストリアから北上、ドイツ滞在18日目。
(地図と写真と小文字の文はグーグルマップより)
昨夜泊まった西部の都市デュイスブルク(地図↓↓)の「ガイドブックに台所マーク(*自炊ができる)のあるユースホステル」でもん絶することに・・・。
(左隣は上・オランダと下・ベルギー)
決して早くはない”17時(夕方5時)”の受付。
団体さんもいたせいか、長い行列に並んだあと2泊分の料金を支払いました。
ところが、受付のおっさんは”朝食(ブレックファースト)”の英語に返答せず・・・(⇒わざと?? それともアジア人差別??)、「台所はない!」
(便せんメモより)「がーん!とあきらめ」
「ユースホステルガイドブックの台所マーク(*自炊ができる)」は誤りでしたが、たいして驚きはしませんでした。
こちらに限らず、日本と違い”誤りや変更”は決して少なくなかったのです。
またか~と、”ゆるい”くらいに思うしかなかったのです。
仕方がない(*自炊ができない)ので18時過ぎに食堂に行くと「食券は受付で買え」。
そこで受付まで行くと「19時まで閉鎖」の札が・・・。
この間受付業務はお休みです(*おっさん、夕食かしら・・・)。
行列がある受付時(混雑時)に宿の決まり事をあれこれ聞くには限りがあります。
決して”親切”は求めませんが、最低限の案内はほしいところでした。
仕方がないので共有スペースで便せんに今日あったことなどをメモしていると、食事の終わった団体さんがテーブルを並べ始めて何かをやる様子・・・。
そのうちテーブルが足りないのか、「テーブルとイスを貸してくれ」と言われイヤとも言えず居場所がなくなってしまいました・・・。
仕方なく戻ったドミトリーの6人部屋も(オランダ人?)グループ4人に無視されていい環境とは言えませんでした。
(メモより)「夕食はまだまだ なんとかせねば」
このあとなんとかしました(*できました)。
翌朝。
食券に書いてある「朝食は7時半から」で食堂に7時半に行けば「朝食は8時から」の札が・・・。
このレベルでも(メモより)「ドイツのユースホステルは今一つ」と思えるほど感覚がゆる~くなっていたバックパッカーでした。
こちらの宿、国によってはある”夜の消灯”がない代わり(?)に、朝は音楽を鳴らし起きろ~!
(メモより)「ロッカーの鍵を貸してくれない 受付の壁にはぶらさがっているのに」
先に2泊分を払っていたので我慢の連泊と割り切り、この日はこのあたりの工業地帯を巡ることにしました。
”ルール工業地帯”・・・確かに授業で習いました。
(ライン川は左)
ライン川とルール川の合流地点で川港は世界最大。
長らく工業都市として発展してきました。
(ドイツ内陸水路博物館 入場料4.6ユーロ・約750円)
8月上旬、街の中心まで歩けば寒さ残る午前中、どうも半袖はいけません。
「日本料理屋さんのラーメンは8.5DMドイツマルク・700円」も今や倍以上の値段(*邦人駐在員のブログより)。
通貨単位はドイツマルクで1DMマルク=約82円(現在はユーロ)
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
三井住友銀行は今も健在ですが、三越は最後の砦”ローマ三越”がコロナ⇒売り上げ減で2021年閉店、ヨーロッパから姿を消したようです。
日本の銀行や飲食店があるのは、南の隣市デュッセルドルフに日本人駐在員が多く(8500人以上)住んでいて、ヨーロッパ最大の日本人街なことの影響があったのかもしれません。
偶然見つけた青空市場で”○○○○スープ”を飲むことができました。
豆・じゃがいもに薄切りハムが入りシンプルな塩味で2.8マルク・230円。
目的の工業地帯を巡るには張り巡らされた鉄道網を利用するのが最適か、と勝手に思う鉄道ファンは街歩きのあとユースホステル最寄りの駅に向かいました。
(当時ユースホステルがあった Duisburg Schlenk駅 落書きではありません)
無名ローカル線に乗れば、1986年のこの時期すでに自動車にとって代わられ斜陽産業となった鉄道の駅舎封鎖(廃駅)や路面電車の廃止・統合が各地で見られました。
(ライン川近く 現在の近郊列車)
それでも幸いこの頃はまだ工業地帯の工場や商店街には活気がありました。
商店街にシャッターはありませんでしたが・・・。
列車を見送り川まで歩いてみました。
何の工場か、やけに高い建物。
それと、2.5マルク・205円で1本の長い”ブラットブルスト(豚の血を使った黒っぽいソーセージ”)を売る”タバコ屋”さんを見て歩くこと10分で川辺に着きました。
(ライン川)
水辺に魚釣りをする人々。
曇の間から時折薄日が差し、ゆるやかな流れに行き交う船を見ていると、ここが本当に工業都市なのか錯覚しそうになりました。
スイス・ドイツ・オランダ、そしてフランス。
各国の旗を掲げた”砂利運搬船”が複数目の前を通っていきます。
何台もの自動車が渡るライン川の何本もの橋とは対照的に、乗るは”ポツンと1両のディーゼルカー”・・・。
1時間に2本で乗客はいても、はたしていつまで続くのか・・・。
(沿線の町)
オランダに向かう列車でライン川を越えてもみました。
家にある”空からデュイスブルクの街を写したポスター”にあった、いくつもの鉄路と水路は地上からでも垣間見れました。
(沿線の町)
夕刻、デュイスブルクに戻り、駅のスタンドで買った”カレーブルスト”は、”ブラットブルスト1本(豚の血を使った黒っぽいソーセージ”)”を切り、カレースパイスとケチャップをかけたもので2.3マルク・190円と割安なのにとてもおいしくいただきました。
このあと大人数収容の宿に戻れば、ユースホステルは相変わらず”団体貸し切りコンサート”状態で、与えられたベットのみがバックパッカーの居場所でした。
こんな時はあれこれ頭を巡らすものなのか。
(メモより)「ソーセージもだいぶ食べたし ここらで気分転換」
明日の予定は定まらずとも”あまり気が休まらない”この国のユースホステルに、予定より早めに出たいと思い始めていました。
このことが明日の”浪費”につながるとはつゆほども知らず・・・・・。
つづく