隣県隣市(★ジャグジーが壊れた市と違う)の屋内プール事務所に電話したら、以前休止/改修後の1月中旬オープンと聞いていた予定がずれ込み3月だったことを知る、へき地県境民です。
地方ほど、維持管理費用が大変な施設は老朽化を期(理由)に廃止の憂(う)き目に会う予感、、、。
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
7月29日(火)
フランス⇒スイス⇒オーストリアから北上、ドイツ滞在8日目。
(地図と写真はグーグルマップより)
シュトゥットガルト西北10㎞の街ヴァイブリンゲンの友人UWE(ウヴェ・ウベ)の家に何日か滞在することに。
ドイツの若者にとって”夜間の外出”は短い夏の日課のようなものなのか。
とにもかくにも徒党を組んで外へ繰り出す彼らでした。
(便せんメモより)「家にいても、”3チャンネルしかないテレビ”は彼らにはほとんど関係ない」
当然のごとく、邦人バックパッカーもお供する・・・。
(メモより)「12時前に寝るなんて、(当時日本ではやったテレビCM”クリープを入れないコーヒーなんて”にあやかって)クリープを入れたビールのようなもの」
飲めたもんじゃない?の意です。
(メモより)「酒場ではビール1杯で終わることも珍しくなく、つまみはない」
がんがん飲んで大声を上げ盛り上がるより、”飲みながら話をする”を重視している感じでした。
それゆえ、ドイツ語がほとんどわからない邦人はたまのこちらに向けた英会話以外黙って会話を聞いているしかなかったのですが、かと言って仲間外れにされるわけでもなく楽しい時間を過ごしました。
晴れはこの日も続き、8日連続!
朝食は2階のテラスで各種パン・ハム・チーズをコーヒーと共に。
パンもハムもチーズもおいしい!
そしてコーヒーも・・・。
残念ながら”同じあるいは似たような味”は、ないか高いかで現在はほぼ食べられません
今は思い出のなかに・・・・・。
(2階のテラスで朝食を プランターに飾られたきれいな花たちはきれいに保つよう決められていて、保守が大変とお母さんが言っていました(*友人UWE(ウヴェ・ウベ)訳)
彼の部屋のガラス窓は自作のステンドグラスで個性あるデザインです。
この日、2カ月有効のユーレイルユースパスを使い日帰りで訪れた隣国フランス国境の街ストラスブール(*ドイツ語ではシュトラスブルク・地図↓↓左下)。
シュトゥットガルト西北10㎞の街ヴァイブリンゲンを9時半に出て、乗換え1回・遠回りでストラスブールに着いたのは12時21分でした。
(フランス ストラスブール ポン・クヴェール橋 13世紀建立 3つの橋と4つの塔)
この街にはドイツとフランスの領土争い5回の影響を受けた”混合する文化や建築物”が数多く存在し、ヨーロッパの歴史を体現するにはうってつけの都市とも言えます。
(絵葉書 フランス北東部 ドイツと国境の街ストラスブール 中心にあるクレベール広場 かつてドイツの時はシュトラスブルク)
ところが時はちょうど昼休み。
建物はあれど店も含めほぼ休憩中・・・。
博物館等公共の施設もその例外ではありませんでした。
それでも3時間の滞在中にライン川沿いの街をさまよい、からくり仕掛けの天文時計がある高さ142m・ゴシック様式のノートルダム大聖堂(絵葉書↑↑参照・入場無料)や上記写真のポン・クヴェール橋などを見てまわりました。
ライン川が国境で対岸はドイツ、の心境はいかに・・・。
(モダンな外観 19世紀建造のストラスブール駅)
帰りの長距離列車(国際列車)は時節柄だいぶ混雑が目立ってきました。
バカンスシーズンは日本のお盆とは違いだいぶ分散されているとはいえ・・・。
さらに混めば混むほど目立つ、相変わらずの”白人マナー(*どこの国とは言えませんが、決して〇/マルとはいえない)”には目をつむるしかないバックパッカーでした。
片道約3時間・往復6時間。
訪れた街1か所、でこの日は終わりました。
ユーレイルユースパス(周遊パス)は国境を気にすることもなく、当日でも気が向くまま進めるすぐれもの(切符)で、最長で2カ月の有効期間はこのあとに残る国々を訪れるには最適でした。
”重いリュックを背負わずに済む”日帰り旅行”今のうち”
そんな心境でしばらく友人UWE(ウヴェ・ウベ)の家にいることを彼は快く許してくれました。
滞在(居候/いそうろう)はすでに5日目を迎えていました。
彼や家族の方々にはただただ感謝するばかり。
(メモより)「(日本に)戻れば、おそらく2度とまとまった期間旅をすることはなく(*理由は複数です)、このような経験をすることもないだろう」
それならば、失敗しても悔いなくヨーロッパでの日々を過ごそう・・・。
そして、その想い(予定)は帰国後"圏央"勤務を経て地方に戻り自営(脱サラ)、親の面倒を見ることで”現実”となり今に至っています。
つづく