4月の広報誌で紹介されていた新生児の名前は「1.太晴、2.大暉、3.大翔、4.啓太」で、すんなり読めた「4.けいた」、なんとか「1.たいせい」、まったく「2.はるき、3.やまと」だった、へき地県境民です。
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
7月26日(土)
フランス⇒スイス⇒オーストリアから北上、ドイツ滞在5日目。
(地図と写真はグーグルマップより)
シュトゥットガルト西北10㎞の街ヴァイブリンゲンの友人UWE(ウヴェ・ウベ)の家に滞在することに。
珍しいことに、滞在中は晴れの日がよく続きました。
最初に彼が親父のフォルクスワーゲン(*ドイツ語で"大衆車")のバンで連れて行ってくれたのは、”北部の森林地帯”と”南の黒い森(*シュバルツバルト)”でした。
(北部)
”アウトバーン(速度無制限の無料高速道路)”のような一般道路を進めば、中には最高速度120㎞/hの区間もありました(*一般道です)。
(便せんメモより)「日本の高速道路とはずいぶん違う」
「大型バイク(1000㏄のBMW等)やベンツは途切れることなく見ることができる」
「やはり、うらやましい・・・・・」
(北部 森林地帯)
大型バイク(1000㏄のBMW等)やベンツ・・・は”自国の車が走るあたりまえの風景”なのですが、軽自動車や普通車が主流の日本と比べ高級車の割合が高い気がしました。
事情は違いますが、日本で高速道路の最高速度が120㎞/hに引き上げられたのは2019年からで、しかも”一部区間で試験的”にが始まりのようです。
途中、国際免許証を取得していたおかげで一度だけ運転をする機会がありました。
慣れない”左ハンドル”は後にも先にもこの時限り。
(メモより)「80㎞/hなんてすぐのすぐ」
アウトバーンを走った時は(*運転は彼です)、車体をブルブル言わせながら200㎞/hのメーターのうち180km/hまで使い切ってしまいましたが・・・。
「それでも”前を走りたければ200km/hを越えなければならない」
「事実、抜かれてしまう」
普通乗用車のメーターが200km/hまであるのもすごいと思いましたが、時速200㎞台の車が普通にいるのも驚きでした。
(シュバルツバルト 黒い森 西はフランス・南はスイスと接する)
南北で訪れた森は豊かなる資源を蓄えていました。
南部シュバルツバルトは国立公園。
計画的な管理がその美しい景観を保っているのでしょう。
滝や複数のハイキングコースが人気のようでした。
駐車は無料。
されど時間が足りず、ちょっと足を踏み入れただけでおあとは車窓から・・。
(シュバルツバルト 黒い森)
この日の夜。
”屋外パーティー”に連れて行ってもらいました。
バカンスシーズン真っただ中、主催者が100人招待して来たのは40人。
会場は奥深い森の中でした。
自然以外何も無い真っ暗な中、火をたいて持ち寄った飲み物(ワイン・ビール等)を取って、話をするは暗闇の中・・・。
輪の中心にあるたき火(*キャンプファイヤーの大きさではない)のわずかな明かりを頼りにする話は、当然ながらドイツ語で何を話しているのやら・・・。
英語を話すドイツ人も少なくないはずが、人気があるとは言えない東洋人に話しかける人は皆無・・・・。
そのあと夜遅く、入場料8マルク・650円の「○○○○バンド」を学芸会をやるような小屋に見に行き、2.5マルク・205円で500mlの瓶ビールを飲みながら”アラビアミュージック”を聞いて遅い一日が終わりました。
通貨単位はドイツマルクで1DMマルク=約82円(現在はユーロ)
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
ドイツ人たちが時間をかけて夜ご飯を用意することはほとんどなく”夜を活動的に過ごす”のは、4月の西部ドイツでも見られました。
慣れない環境、思うように話ができない環境が気がつかないうちに”疲れ”を貯めこんでしまいそうでした。
明日の日曜日も”外出”が・・・(どこへいくのだろう?)。
(ヴァイブリンゲン おもちゃ屋さんの前で 友人UWE(ウヴェ・ウベ)と)
つづく