正月に福島県の某”道の駅”で見かけた張り紙で、「個室トイレでシャンプーをする人がいる」時代到来を知る、へき地県境民です。
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
6月18日(水)
イギリス海峡を渡りフランス滞在15日目。
(地図と写真はグーグルマップ)
古城めぐりの起点トゥール(地図↓↓左)から東部リヨン(地図↓↓右下)手前、ロアンヌ(地図↓↓右下)でまたまた小休止・・・。
(ベルサイユの上・北はパリ)
昨夜、同室したスイス人女性(*スイスフレンチ/フランス語圏の方)とロアンヌ周辺の探索にでかけることにしました。
ベルギーでユースホステルの部屋は男女の区別がなく(*ドミトリー)面食らった4月に続き、フランスも部屋やシャワールーム(*鍵がかかる)は共有でした。
だからといって何が起こるわけでもなく、”慣れる”ことが求められました。
現在、日本のゲストハウスでも男女同室のドミトリーがあり、習慣の違いに抵抗のある方は少なくない気がします。
(便せんメモより)「一日で去るには惜しい、魅力ある街」
「フランス語ができたらなお惜しい」
なので、リヨンはまた明日・・。
(現在の人口約35000人 ロアンヌの町並み)
”南方に湖あり”という情報を頼りに適当に南下したので、当然ながら”迷い”が生じましたが、それもまたよし。
(ロアンヌもまたロワール河畔の街)
街を一歩出れば、目の前にはなだらかな丘陵にのどかな風景が広がります。
山もなだらか・・・。
これぞフランス!という景色です(↓↓)。
(ロアンヌ近郊の村)
7㎞の道のりを寄り道、迷い道・・・。
2時間半で”発見”した湖はまだ観光シーズンではないとみえ、少ない人影と静かな湖畔。
(メモより)「しかして周囲に森はなく、カッコウは鳴かない」
(湖の遊泳エリア)
幸い曇天のおかげで、しばし涼しく過ごすことができました。
施設らしい施設もなく自然そのものの湖はとてもいい所でしたが、いかんせん観光シーズン前にボートは借りられず・・・。
「結局見たのは湖の一部で、”湖畔の城”も見たかった」(*徒歩では難しい)
帰り道。
幸運にも彼女が何十台目かの車を停め、「街までブー(ヒッチハイク成功!)」。
イギリスと比べフランスはヒッチハイクが難しそうでした。
たとえフランス語ができたとしても・・。
彼女が”女神様”に見えたことは言うまでもありません。
夕食は彼女が作ってくれた”ミートボール、ピーマン、トマトいため”のフランス料理(?)にお約束のワインをおいしくいただきました。
食後、宿のスタッフさんやら泊り客とフランス語の会話を楽しんでいる彼女を見るにつけ、”この国ではとにかくフランス語ができること”、が旅を楽しくする条件”なことを実感するバックパッカーでした。
イギリスに続き”誇り高きお国柄”では、”最初の言葉”はフランス語。
相手が東洋人であってもフランス語なのは、移民のせいもありそうでした。
公園で会ったご老人に「おまえは中国人か?」と言われたのも、当時から中国人移民が少なくないため。
加えてフランス語の通じる”かつてのフランス領”があちこちにあれば、日本のように(日本以上に?)英語が通じず、”へたでも片言でも単語の羅列でも”フランス語を使うに限りました。
ワインをボトル半分ほど空ければ、今日も騒音混じりのロアンヌの夕暮れ。
「近くから聞こえてくるギターの音色は寂しくよくわからない」
夜遅く、フランス人何人かと”こちら以上に話せないたどたどしい英語で会話”をすれば、到底意思が通じたとはいえずとも、表面上は”職がなくても明るくのんびり生き、人生を楽しんでいる”ことは充分に伝わりました。
と同時に”自国では職があっても何のために働くの?”という疑問が湧いてくる邦人。
”フランスについて何を知っている?”と彼らに聞かれ、NHKの語学講座で歌っていた女性歌手、ディオンヌ ・オテール の名を出したら”それはカナダ人だ!”(*カナダフレンチ・ケベック州の公用語はフランス語)
「そんなん知らんがな~・・」(邦人)
”もっと学んでから来い!”
ヨーロッパ各国を回るのに一か国を詳しく調べる時間は取れないよ~と思いつつも、反省しっぱなし・・・。
「もし、ギターでも弾けたなら”音で会話”が楽しめるのに」
もし”次回”があれば、(ギターは弾けないので)ハーモニカなら持っていける、と思ったバックパッカー。
その”次回”、実現しないうちにコロナ・インフレで遠くなりにけり・・・。
結局、久々の夜なべは午前2時ごろまで続き、明日のことは・・(風に吹かれて・・)
そして、彼らと彼女のフランス語はそのあとも続くのでした。
つづく
(ロアンヌ ユースホステルの宿泊スタンプ 川面を進むボート)