今から37年前の1986(昭和61)年、転職直後にやめたおかげで皮肉にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
(当時、東ヨーロッパは”ポーランド~チェコスロバキア~ルーマニア~ブルガリア)
用意したお金は現金ドル・イギリスポンド・ドイツマルク・フランスフラン。
★まだ統一通貨”ユーロ”ができる前は各国が独自通貨を持つ時代。
トラベラーズチェックと一緒に腹巻の中へ。
現在ではスウェーデンのように”スマホ決済”が進み、かえって困る旅行者が出そうな国があり、当時は”わかりやすい時代”だったとも言えます(€ユーロは便利そう・・・)。
1986(昭和61)年3月末(成田~ソウル~アンカレッジ)
夕刻、成田から満員の乗客を乗せた大韓航空のB747ジャンボジェット機は2時間でソウルへ。
パリへの乗り継ぎまでの待ち時間は2時間。
空港では持ってきたウォン(硬貨/勤務先のホテルでいただいたチップ)が使えました。
手帳によれば機内で仲良くなった「編集社勤めの女性にコーヒー(ソウルで)と牛乳(236㎜/ハーフパイント)をおごられる」(こちらが年下だから?おごってくれたのでしょうか?)。
ソウル~パリ間のお隣は東急観光を休職、2年間留学する女性(東急観光や東急ホテルも新卒で一時検討した事業所でした)。
”会社を休職”・・ある意味理想かもしれませんが、当時在籍していた会社にその制度なく・・・。
時は東西冷戦真っただ中。
飛行機はソ連上空(ソビエト連邦/現ロシア共和国)を避け、アラスカ(アメリカ)のアンカレッジ経由で成田~パリの所要時間は約16時間(アンカレッジでのクルーの交代1時間を含む)。
4月1日(パリ)
ソウルから7時間後の朝、アンカレッジ空港でもドルが使えましたが小銭を持参せず・・(この”経験”は後年グアムで活用・・)。
(中央点線の右側がアラスカ州・乗り継いだ後/右方向にどこまで行っても見渡す限りの雪原に”落ちたら終わり”を実感しながら夢うつつ・・・)
時差の関係で8時間後の朝に到着の芸術的なデザインのパリ・シャルルドゴール空港!はさすが”おしゃれ”な国です。
この”違い”は、4年前、長年働いてくれた母の退職金代わりの希望で訪れた、スイスのドイツ語圏とフランス語圏でも感じたものです。
すんなり入国が済んだあとはNo.29の空港バスでロワシー駅へ。
ロワシー駅からパリ北駅まではUバーン(近郊電車)で30分22フラン(1フラン約26円で580円)。
(Bing Chatで)現在は11.4ユーロ(1ユーロ156円で1800円。
ここでも「東急観光の彼女にカフェオレ10+税1.5フラン(=300円)と切符代をおごられたので、”セブンスターとWinston(たばこ)”をあげる」。
国税庁が発表した民間給与実態統計調査の結果によると、昭和61年(1986年)の平均年収は386万円でした。
35年後、2021年(令和3年)の平均年収443万円(14.7%上昇)と比べると、約13%低いです。
今年7年ぶりに国内の飛行機に2往復乗りましたが、当時は「隣り合うのも多少の縁」だったのかもしれません。
「彼女はトゥールへ、自分は”インフォメーション(観光案内所)”で宿を紹介してもらう、がない!」
「運よく日本人の声。家の中にいれてもらいコーヒーをごちそうになる」時代だったようです。
やっと見つけた英語OKのホテルは3畳(たたみはない)シングル・シャワーなし、で時すでに昼12時。
「目的地までメトロ(地下鉄)で4.4フラン(=120円)。駅の窓口で何とか通じた(仏語)」
「なぜか自販機が少ない/使わない国。みんな窓口へ」
「EST/東駅までフランスの建物の中を歩き、(これから行く隣国へ)電話をかければ駅前の公衆電話機の3分の1は壊れている・・・・・」驚き(小)。
疲れて帰ればあっという間、一日の終わりに「小さな商店で買った食パンはカビていて、よく見たら期限が2週間前に切れていた・・・・・(食べられない)」驚き(中)。
(4月2日からの”異国でのエイリアン生活”はエアメールで親友宅へ・・・)
(上二通:スペインとドイツから
下:その国に到着したらすぐに地元の方にあいさつ他を聞いて書き写す/ハンガリー語)
つづく