三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

へき地県境までやってくるは 各種宗教法人の皆様方 ご苦労様です 霊峰 富士 No.466

京都のラーメン店で1200円台から1500円超えのラーメンに驚いてしまう、1000円なら食べることをためらうへき地県境民です(#あくまで”個人の話”で県境とは無関係です)。

さらに、そのラーメンの器が17000円台〜18000円台の北欧のブランド品(ロイヤルコペンハーゲン)にびっくりして、「割ったらどうするのだろう/お店の負担?」と思ってしまう自分。

そのブランド品は、県央の中古屋で過去何度か転勤族から買い取っても(未使用品)地元では売れない高額品。

白磁に濃紺の手書き模様は好みでしたが、低所得者ヤフオクヤフーオークション)でさようなら〜。

 

三陸沿岸部2か所に計2年3カ月住む中、時々訪問を受けるのが”各種宗教団体の方々”です。

インターホンを鳴らしチラシや小雑誌を渡し勧誘する方から、チラシをポスト投函する方まで、人数も一人から3人くらいまでさまざまです。

点在する住居(120世帯の集落)は人口密度低く、加えて商店や自販機一つない地域(2か所目)ですが、思いのほか”宗教勧誘”を受けるのが少なくないのは意外でした。

 

調べてみると、地元自治体にはおよそ76(県の資料では77)の宗教法人または団体があります。

主に宗教法人として法人格を取得している宗教団体の数です。

”寺社”も含みますが、人口が58000人を切ろうとする中、すごい数な印象を受けました。

駐車料金や拝観料を取る有名な寺社はありませんが、税や各種優遇を受けることができるので当たり前なのでしょう。

ただ、県の資料では必ずしも人口に比例するわけではなく、地域や自治体により人口の割に「多い/少ない」の幅はあるようです。

リストには寺社以外の”名の通った全国宗教法人と一部地方法人”が載っていて、一番多いのが「天理教」で、11の「分教会」があったとは、、、見かけませんでした。

金光教」や教会も複数。

 

実際には上記以外の勧誘活動(戸別訪問)が後を絶ちません。

手かざしの「宗教真光」や、他宗教&輸血禁止の「エホバの証人」。

昔”珍味売り”、今”献金問題中”今も”合同結婚式”の「旧統一教会」はいまだ来ず・・。

チラシだけならこの他にも複数・・(いずれも遠いところが本部です)。

昨秋、フリマ開催前のチラシ配りで”人口密度が低い土地”の配布&訪問のたいへんさは経験済なので、”成果”はあまり上がるとは思えずご苦労様と思うばかり・・・。

 

学生のころ、”無料英会話教室”で訪れた教会。

教会側の目的は・・・・・(信者になること)。

当然ながら皆様方の想像通り、すぐやめたため”洗礼”を受けることはありませんでした。

 

自営で店を営業する中、「仏教・キリスト教」共に、邦人・外国人のお客さんから「お仲間か?」とか「どちらの教会に通っているのか?」などと聞かれたのは、そういう雰囲気があったからなのでしょう。

 

最近ポスト投函されたチラシは上記写真のものです。

「A3サイズ(297㎜✖420㎜)」と似た300㎜✖410㎜の、大きな手触りのいい紙を使っていて、「amazon第一位●●&%$」と書いてあり、QRコードまで・・。

どうやら「本(教科書ならぬ”基礎教学書”)の販売(A5判2200円)」も兼ねているようです。

雄大な”富士山”の写真を見て、思い出したことがあります。

30年以上前、県央に戻る前住んでいたのが沼津市静岡県)です。

駿東(すんとう)地区と呼ばれる、東西に幅広い静岡県の東部は、目の前に圧倒される大きさの富士山と、南面に東伊豆・中伊豆・西伊豆と分かれる伊豆半島を有しています。

流通系広告代理店の営業で某車メーカーの半島の営業所を複数回る時、中央部の山の尾根を走っていると目につくのは複数のの”宗教関連施設(建物)”でした。

うっそうと生い茂る森林に囲まれるように存在する、大きく立派な建物群はある種”変わった風景”でしたが、その立地の理由はかなたにそびえる”霊峰富士”の存在だったのか?

伊豆半島のみならず、富士山の裾野、富士市富士宮市あたりにも複数の施設があり、知り合いで”お参り”する方もいましたっけ・・・。

 

沿岸部では日常生活でかかわりがなく、一部の旅好き以外おそらく一生訪れることのないだろう、関東以西や関西。

その関東以西や関西の宗教法人が北まで勧誘に来て、中には”ご縁”ができて”お参り”に訪れる方がいる・・・。

 

肝心の勧誘への”対応”ですが、過去少しだけ”かじった”ことがあり(店のお客さんが”勧誘役”でした)、充分にいい勉強(経験)をさせていただいたので・・・・・。

 

家族信者からの勧誘。

心が弱っているときの”心のよりどころとして”。

”家族の病(やまい)が治りますように”。

”目的”は人それぞれのようです。