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3.11 ふるさとの記憶展示会 「心の復興」事業 被災者支援でしたが・・・ No.434

先日、3.11にちなんだ行事が集落で行われました。

月初めに戸別配布された”各種広報誌”の中にあった”カラーちらし”が写真のものです。

 

・主催:一般社団法人

・共催:集落のまちづくり協議会

令和4年度「心の復興」事業被災者支援事業として開催

・場所:2か所

・3日(展示会)、1日(仮設住宅同窓会)、3日(展示会)の3回開催です

 

元の中学校に飾られている”集落のジオラマ(模型)”を場所まで運んで展示。

後半は仮設住宅の写真も展示。

(チラシの”ヨレ”はご了承ください)

そこで、日曜午後ぶらぶら坂を下って6.7分、小さな会場まで行ってみました。

昨年10月のイベント以来2度目の建物訪問です。

迎えてくれたのは男性3名。

社団法人の職員(隣県の内陸部出身)さんと、一見してわかる学生さん2人でした。

そしてやはり、学生さんは昨年10月に県央から来ていた同じ大学生(長野県と隣県の沿岸部出身)さん。

日帰りで、車代は出ているそうです。

事業補助金で「人件費を含む各種経費は出るがもうけは出ない」(職員さん)。

来場者はどんな感じか?聞いてみたところ、本日午前は1名。

昨日は3.11で、敷地内にある慰霊碑を訪れた帰りの立ち寄りがいくらかあったそうです。

なんとも寂しい限りです。

「通りがかりで寄ってみたのか?」聞かれましたが、「集落の行事なのでチラシは集落(120世帯)のみに配った」とも。

写真(ジオラマ)は震災前の集落です。

薄水色は海。

右は港で、今は港前と中央部を中心に”更地化”されています。

木曜の「仮設住宅同窓会」はそれなり人が集まる?かもしれませんが、前半(3日間)がこんな感じ(閑散)では、もしかすると後半も・・・・。

職員さんは手持ちぶさた(?)

学生さんは接着剤でジオラマ補修。

指導する(準)教授は少ない来場者を気にしないのか、聞いてみたところ

「多少は気にするでしょうが、教授”たち”は予算を取ったらおおざっぱだから・・・(使い方は気にしない)」ということでした。

 

幾つか彼らに関する話はしましたが、一方的インタビューはそう長くは続きません。

チラシにある「若者、よそ者にお話しを聞かせてください!」。

地元の方が一人もいないので話を聞くことはできませんでした。

後半の展示会で、はたして話は聞けるのでしょうか?

 

ともあれ、後半集会所で飾られる写真を見に行こう。

早々に退散した帰りはせっかくなので遠回りウォーキング。

先日底がカラカラだった川はこの日も変わらず、砂利道と化したまま・・。

後日、郵便物を投函しに坂を下ると、反対側から来て眼の前を目を合わさずに横切ったのは、あら!あの職員さんでした。

 

翌週の日曜日、集会所での展示会。

広くて立派な敷地内に車は1台(職員さんのもの)。

広くて立派な室内で、先週とは違う職員さんがぽつんと、、、。

話を聞くと、「震災ボランティアから移住」のハーフの方で、その国は「あ〜!あの国」。

以前から「行けるかな?でもぜひ訪れてみたい、人が魅力の国」でした。

今回のイベント参加者数を聞いてみると、

仮設住宅団地 同窓会」には6人。

昨日土曜はあいにくの冷たい雨で一人・・・。

本日午前は消防団活動ついでに7人ほど、午後自分で計8人でした。

なので、チラシにある「若者・よそ者を聞かせてください」の、”よそ者(自分)”の希望はこの日もかないませんでした(次回があれば、まだ可能性のある午前に行こう・・)。

 

思ったよりも少ない理由は「震災関連の行事は見たくない、関心はもうない・飽きた」などが考えられました。

コロナ4年目の影響は不明ですが、もしそれが真実ならば、税金を投入した、「このような被災者支援事業はもう被災者が望んでいない」ことになります。

「県をまたいだイベントでも同じような結果だった(職員さん)」そうです。

 

震災から12年(13年目)。

税金を投入した「支援のしかた」を見直す時期にきているのかもしれません。

 

写真は防潮堤や川の護岸工事が済み、工事関係車両がほとんどいなくなった集落の中心部です。

12年たち姿を現したのは、元は家々が立ち並んでいた、今はだだっ広い茶色の平地でした(住居は建てられない)。

このあとどのように活用されるのか?

のんびり見守ることにします。