三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

YH ユースホステル 昭和宿の今 虹の松原ユースホステル 唐津市 佐賀県 No.362

昭和40・50年代、旅する若者の間に君臨した宿、「ユースホステル」。
一時期1泊2食付2000円台でしたが時代が変わり下火になり・・・。
当時利用した宿のその後をたどってみると・・・。

今から42年前、昭和56(1981)年の夏休み 九州周遊券(21日間有効)を利用し南国へ・・・。

当時、周遊券は「周遊区間までの往復は普通(快速)列車が、周遊区間内は普通・急行列車自由席乗り放題」に「周遊区間内は特急自由席乗り放題」が加わりました。

 

虹の松原ユースホステル佐賀県 唐津市廃業

筑肥線 虹の松原駅下車 徒歩圏

お盆近づく8月10日(月)。

事前の計画では大宰府の町歩き後西鉄で「西鉄福岡駅」へ。

徒歩5分の天神バスセンターから、なんと「西日本鉄道・A博多の街コース(ということは観光バス)」に乗るはずが・・・都会の博多の街にうかれたのか、複数のパチンコ屋さんを経由して宿代よりもかなり高い”授業料”を払ったと(ノート)。

盆暮れ正月、ゴールデンウイークはパチンコ屋さんにとっては”いい学生のカモ”でした。

博多(福岡市)から乗車率75%~100%のキハ36ディーゼルカー気動車)に乗り東唐津乗り換えでユースホステルのある虹の松原まで。

「虹の松原」は国の特別名勝です。

唐津湾沿いに虹の弧のように連なる様は一見の価値あり。

お城ブームの今なら「唐津城」も訪れてみたいところですが、当時は・・・。

有名な祭り「唐津くんち」の「曳山展示場」や「近松寺」なども”計画倒れ”でした。

記録では「雨に濡れて泳げんかった。列車に乗ったら晴れてきた。雨男というのは知ってたけれど・・・。」

スタンプはその名の通り「松原(林)」。

宿代2700円。

佐賀県虹の松原ユースホステル条例」で建設された後いつなのか廃止。

建物は解体済で、現在は「商店」さんが存在するようです。

 

訪れた宿の数「64」のうち

廃業した数56
今も営業中8(うち休館中2)

YH ユースホステル 昭和宿の今 大宰府ユースホステル 大宰府市 福岡県 No.361

昭和40・50年代、旅する若者の間に君臨した宿、「ユースホステル」。
一時期1泊2食付2000円台でしたが時代が変わり下火になり・・・。
当時利用した宿のその後をたどってみると・・・。

今から42年前、昭和56(1981)年の夏休み 九州周遊券(21日間有効)を利用し南国へ・・・。

当時、周遊券は「周遊区間までの往復は普通(快速)列車が、周遊区間内は普通・急行列車自由席乗り放題」に「周遊区間内は特急自由席乗り放題」が加わりました。

 

大宰府ユースホステル(福岡県 大宰府市)廃業

西鉄大宰府線 終点大宰府駅下車 徒歩圏

当日、日豊本線豊後森駅から乗ったディーゼルカー気動車)はお盆前の日曜日、乗車率100%で福岡県二日市駅筑紫野市)へ。

国鉄駅から徒歩10分の西鉄駅。

大宰府線に乗り換えて(当時電車代90円)終点が「天満宮」で有名な大宰府です。

学問の神様、菅原道真をまつった場所として、有名な神社はお盆前でたくさんの人が訪れていた記憶が。

なんと記録には「盆踊りに行った。踊れんで帰って来た(炭坑節などの曲が”北”とは違った等か)。地方色豊かだった。都府楼跡まで歩くとGOOD!」

それでも、奥州から九州まで来ての盆踊りに感慨ひとしおでした。

このあたりは平地なので点在する史跡巡り(歩き)をするにはうってつけの場所です。

翌日訪れた、なぜかそれほど有名でもない?「戒壇院」の名と規則正しく並ぶ石の風景は41年たった今でも・・・。

 

ユースホステル代2450円で夕食は◎朝食○と、普通は「値段なり」が多い中だいぶ良かったようです。

宿は閉館後も「B&Bゲストハウス大宰府」で営業していたが廃業。

現在は運営者を変え「ゲストハウス大宰府」で再オープンしている模様。

今は「ゲストハウス」で「インバウンド需要」まで取り込む時代なのかもしれません。

 

訪れた宿の数「63」のうち

廃業した数55
今も営業中8(うち休館中2)

 

YH ユースホステル 昭和宿の今 ユースホステル山国屋旅館 中津市 大分県 No.360

昭和40・50年代、旅する若者の間に君臨した宿、「ユースホステル」。
一時期1泊2食付2000円台でしたが時代が変わり下火になり・・・。
当時利用した宿のその後をたどってみると・・・。

今から42年前、昭和56(1981)年の夏休み 九州周遊券(21日間有効)を利用し南国へ・・・。

当時、周遊券は「周遊区間までの往復は普通(快速)列車が、周遊区間内は普通・急行列車自由席乗り放題」に「周遊区間内は特急自由席乗り放題」が加わりました。

 

ユースホステル山国屋(大分県 中津市本耶馬渓町廃業

日豊本線 中津駅下車 バス23分

紅葉の名所「耶馬渓(やばけい)」。

訪れた翌年(82年)、1975年廃線の鉄道跡が整備され、サイクリングロード(来年5月まで通行止め)になっているとは・・・(知らなんだ)。

本来の目的は”菊池寛”の「恩讐(おんしゅう)の彼方(かなた)に」で有名な景勝地「青の洞門(★手彫り)」を見てみたいと思ったことからでした。

どうやら「ユースホステル 夜の洞門ツアー」があったようで、「えがった。一日のんびり自転コでも使ったらいいところ」の記載が残っていました。

風光めいびな耶馬渓と本耶馬渓

福沢諭吉の旧居と記念館のある中津(★からあげで有名)と共に再び訪れてみたい、おすすめの場所です。

 

ユースホステル代2450円。

当時は旅館と兼営で、現在は旅館のみ営業中のようです。

スタンプは青の洞門でノミをふるう”禅海和尚”。

 

訪れた宿の数「63」のうち

廃業した数55
今も営業中8(うち休館中2)

 

 

YH ユースホステル 昭和宿の今 阿蘇ユースホステル 阿蘇市 熊本県 No.359

昭和40・50年代、旅する若者の間に君臨した宿、「ユースホステル」。
一時期1泊2食付2000円台でしたが時代が変わり下火になり・・・。
当時利用した宿のその後をたどってみると・・・。

今から42年前、昭和56(1981)年の夏休み 九州周遊券(21日間有効)を利用し南国へ・・・。

当時、周遊券は「周遊区間までの往復は普通(快速)列車が、周遊区間内は普通・急行列車自由席乗り放題」に「周遊区間内は特急自由席乗り放題」が加わりました。 

 

阿蘇ユースホステル熊本県阿蘇郡阿蘇町・現阿蘇市廃業

豊肥本線 阿蘇駅下車 徒歩圏

当日。

移動に利用した列車は「急行日南2号(日豊本線・延岡~大分)電車」と「急行火の山6号(豊肥本線・大分~阿蘇気動車)。

平日、どちらも乗車率50~75%の時代でした(今ならどうでしょう・・・)。

大分駅で「かしわソバ170円」って・・・(当時でも安い!)。

当初の計画、延岡~別府は特急にちりん、別府からバス100円で「高崎山自然動物園」へ行く、というノートにはバッテンが引かれ・・・。

それから38年後、大分市内で2週間作業をし、休日に出かけた大分駅ビル飲食街でビールに「とり天」親子丼付を食べることになるとは・・・(この時も国道沿いの動物園前を2往復しましたが・・・)。

ユースホステルは駅徒歩1.3㎞。

他よりちょっとだけお高めの2700円(これでも2食付き)でした。

スタンプ帳裏には「(翌日)カルデラと外輪山は大きかった。木島岳登山と草千里を歩いて気分そう快。疲れ蓄積」。

詩人、草野心平さんの草千里での詩の一節「雨がしょうしょうと降っている 馬は黙々と草を食べている(うろ覚えです)」季節ではなく、太陽がさんさんと降り注ぐ汗だくの夏の盛りでした。

スタンプは湯けむりならぬ「阿蘇山の噴煙」。

宿は熊本地震で罹災(りさい)し休館し

、2016年閉館。

理由は「損傷」「老朽化」「赤字続き」でした。

現在は飲食店に転用されているようです。

 

訪れた宿の数「62」のうち

廃業した数54
今も営業中8(うち休館中2)

 

 

フリマへの道⑤ フリーマーケット 初日は No.358

快晴は11月も続くよ~♪

土曜日。

ヤマザキショップで行われた「フリマ」。

会場前は前面海。 

向こうに隣県の半島(広田半島)まではっきりと見え、今更ながらに、風光めいびとはこのことかと実感します。

隣は郵便局。

土曜日の営業(ATM)は午前中のみ、日祝は休みです。

週末、さすがに国道45号線の交通量は地元と観光客で多めで、時折何台かの数珠(じゅず、連なり)を見ることができました。

開店してしばらくは「知り合い」や「地元の方々」を中心に来ていただきました。

また、差し入れ誠にありがとうございます。

30年自営した「店」の値段よりも割安のフリマ価格でスタート。

やはり「めぼしいもの」から去っていきます。

「値引き交渉」で「希望価格との間を取って」と答えたら、「希望価格まで下がらなければ買わない」、と言っていたあんちゃんの「ユニクロジャケット」は他のおじさまがゲット。

と言っても、「しまむら値札価格の4分の一のかけ布団(4000円→1000円、未使用品)」と併せていくらか値引きを求められ・・・。

予想通り、午前中でひと段落したあとの昼休み。

お隣の水産加工場で働いている研修生他何名かの方々が来てくれて、生活用品やらおみやげにと雑貨を買っていただき、感謝感謝のラッキータイム!

「不用品で」さまざまな「来る方」の希望にマッチする品物をそろえることは至難の業です。

一方、出品者は地元の方々。

初めての方も複数いらっしゃったのは「500円」という出店料のおかげかもしれません。

先ごろ他所で行われたイベントに併設されたフリマはどうだった等、「地元のフリマ事情」を聴くことができました(情報交換)。

あちこちのフリマ開催情報が伝わらないのはそのどれもが中小イベントだからでしょうか。

震災で増えた「広大な更地」を使って「大規模なイベントを」と思うこともありましたが、既存の大型イベントで一杯一杯?なのかもしれません。

「各種飲み物飲み放題・お菓子付き」で心も体も温まり・・・(幸い肌寒さなく「室内」で暖房は使わずに済みました)。

午後は”静かな時”時々”いらっしゃいませ!”。

それ以外、急きょ仕立てた「フリマ看板」に、寄って来るはトンボばかり。

「群れ」を成し右から左へ・・・・。

この後戻った自宅のクモちゃんの巣に3匹にトンボが引っ掛かっていたのは・・・・(そういう時期)。

「群れ」と言えば、県央との行き来で田んぼのかたわらを通る時、少しずつ増えてき白い群れ(白鳥)。

あちこちで見られるようになってきた、「数羽の編隊飛行」は見事なものです。

リアス式海岸のある坂道から見た「大理石海岸」。

名前の通り、大理石があります。

その「流行り石」を「切り出した」のは遠い昔のこと(だそうです)。

海で泳いだ記憶も遠い彼方へ・・・(今の子供たちは「海は危ない」と親に言われ、姿はありません)。

小さな港の”完成前に来年春で工期(予算)終了~の防潮堤は、その後「なんとかなった」のか、話が出ることはなくなりました(写真・防潮堤のすき間から海面が半分見えます)。

震災後12年9ヶ月、いまだ工場中です。

午後3時を過ぎれば急に寒さ感じる季節。

(フリマ)閉店作業を済ませ、今日を無事終えることができたことに感謝して・・・。

さて、明日は・・・・・。

風光明媚(めいび)な場所にのんびり流れる時間。

(お客さんが)あるならある、ないならない。

それぞれの「ナリ」にまかせて、、、。