三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

3度あることは4度ある 機密書類の溶解処理 No.357

先日の事務所の退去で依頼された「機密書類の溶解処理」。

3度の依頼で終わりかと思いきや、まだありましたか、、、。

4度目はさすがに「三桁(100キロ)」もなく3箱、、、(厶厶厶)。

中古店をやっていた頃、家を片付けて出てきたという不用品の持込買取が年中ありましたが、大概が1度で、たまに2度くらいでした。

ごくまれに3度もありましたが「3番煎じのお茶」とくれば、、、(目ぼしいものはほとんどない)。

 

「これでは(この量)さすがに製紙工場で引き取ってもらえるだろうか?」

不安ながらも電話すると、意外にも快諾してもらえホッと、、、。

長年貯め込んだ「自分の分」を足せば、倍の量になりました。

事務担当の母親が長年紙袋入りやらビニール袋入りやら「さまざまな形」で保管していた帳票類から、余分なビニールやらプラスチック等禁忌品を取り除いて、、。。

フリマの品々まで載せた軽自動車は後部座席から助手席までびっしり!

快晴まだ続く県北の国道を快調に進み、県境の峠を超えれば「産直無人スタンドがたくさんある地域」。

道路沿いのいつもの「品物の講釈」が書いてある産直は、、、晴れで?何種類かが全て売り切れで残念!(この間の雨天とはうって変わり)。

製紙工場ではトイレットペーパーの原料「チップ」を積んだ大型トラックが荷下ろし中。

高さのあるトラックから降りてきて、台貫(車ごと重さを量る鉄板)で計量するは若き女性。

トラックもダンプも女性の姿が垣間見れる今日このごろです。

次回の予定はないので、こちらの工場とも今度こそお別れ(たぶん)、待つ間しばしあたりを見渡して、、、。

事務所分だけ「溶解証明書」を発行してもらい、帰路に着きました(おわったぁ〜)。

 

別に依頼された、「パソコンのデータ消去」はもうパソコンを使わないので「物理的破壊」によって行いました。

記憶処理装置を取り出して使えないように、、、。

2016年製が複数台ありもったいないけどサヨウナラ〜。

「○○があるんだけれど(売れない?タダで引き取って欲しい)」

「○○ない?」 

年末に向かい、以前お付き合いのあった方々から最近「問合せ」がちらほら、、、、、。

「商売はやめた」と複数回言っても「便利な存在」に「(商売にならない)引く手」はあまたです。

少しずつ「フェードアウト」してさようなら、、、。

 

フリマへの道④ チラシ配りは全部で120軒 半日 その成果は・・・ No.356

2回で配りきれなかった「フリマ」のチラシ、3回目。

最後は家々が点在していて時間がかかることを覚悟して、、、、。

アパートやマンションなどの集合住宅は一棟もないどころか、5000人台が住む旧町で集合住宅(アパート)はたったひとつ。

アパートは移住を検討する中で訪れた100軒あまりのうちのひとつでしたが、、、(家賃は県庁所在地と変わらず、かなりの経年品でした)。

空き家が増えても(売り物件も貸し物件もあまりないので)移住者増えず?

自然豊かであからさまな移住者いじめの話は聞かないので、もったいないなぁと思うばかりです。

まぁ、先月は回覧板が3度とも届かず、「各種広報誌」は6日現在来ず(先月も)来たのは9日なんてことはありますが・・・・・(役員さん方には伝えましたが・・)。

なので、挟んであった数枚のチラシのうち、上旬の行事は終わってた、、、。

 

チラシ配りで坂を下れば、震災で逆流した海水が奥の家まで到達した三陸自動車道下の小川は前回と違い「水無川」で簡単に横断できました。

奥の家から海に向かい、4軒配るのに30分。

(写真、橋の上は三陸自動車道

沿岸部の国道沿いを走ると目につく、長い階段を登る赤い鳥居の神社。

こちらでは坂を登ります。

国道の港が見えるところまで来て坂を登れば、うっそうとした木々におおわれた先に港と湾が見えました。

引越し9カ月後に初めて港まで下りて漁業事務所に行けば、あら!震災後仮設住宅退去(⇒高台の集団防災団地へ新築&引越し)に伴う不要品引き取りとハウスクリーニングを依頼した方だ!

今日も何人かの釣り人が釣り糸をたらしているので聞いてみると、今は「あいなめ」や「たなご」狙いだとか。

また、釣り人の周りに着かず離れず、何匹かいる猫ちゃんたちは「網を食い破るネズミを追っ払うため」とか。

どうやら「水温が高い内湾」と違い、釣れる可能性があるのでいつも釣り人がいる場所のようでした。

ならばせっかくだもの、挑戦してみたい・するぞ!という気持ちがすこぶる沸き上がってきました(釣り歴は1度、中2で小川の木の枝に釣り糸をからませた記憶しかない自分)。

震災時、津波は港を越え、メインストリートがある平地の家々を飲み込んでいきました。

今はただ、残った土地と新たな全面コンクリートの堤防だけが広がる平地です。

中央の舗装した広場みたいな敷地は一部を除き使われないまま・・・。

ちょうどいた二人の漁師さんと話しをすれば、一人が「震災後、他の港には新しいトイレができたのにこの港にはトイレがない。おかげで釣り人が立ちションや野〇〇をしていく。こんなに広い舗装空間を作って何も使わないのはもったいない。仮説でもいいのでトイレを設置して、フリマでも何でも”イベント”を催(もよお)せばきっと人が来る。魚を出してもいい」というのです(多くの人が押し寄せそう、、、)。

ごもっとも・・・(半島のもっと小さな複数の港ごとに立派なトイレが出来ていて、え~~と思ったことがあります)。

漁師さん「新しい自治会長に言ってみたけど・・。」

自分「市会議員さんは?お試し移住者の市営住宅(災害公営住宅)継続入居で聞いてみたことあるけれど・・」

「この地区にはいないのでだめだ(そうかなぁ??)」

お魚イベント&フリマ開催は検討の余地ありありでした。

(写真、広い舗装スペースの一部・車は入れない)

橋の欄干に今日もいたカラスと至近距離(1.5m)であいさつし、チラシ配りを続けます。

坂・坂・・坂・・・(それぞれの道)。

なんとか配り終えることができました。

結局、話し込んだ時間を除き、3日間に分けて120軒を配るのに4時間かかってしまいました。

果たしてこの成果が出るのか?

「効果は100軒配って1軒」と、誰が言ったか言わないか。

それはゼロではありませんでしたが・・・・。

 つづく

小学校で「あんばまつり」 は もてなす祭り  No.355

先日、平日の金曜日。

写真館さんからの依頼で、小学校行事の撮影に出向きました(卒業アルバム用)。

昭和の歌のタイトルではありませんが、…九月の雨…を過ぎ晴れマークが続く日は、流れ行く秋の雲を見上げる気になります。

いつも山から海へ流れる雲は、この時期海から山へ、、、。

まず、借りていた本を返しに図書館へ。

開館直後は思いっ切り空いていて、人影は係の方でした。

図書館の建物脇の散歩道は人間もカモちゃん(カモシカ)も、、、。

まだ出会ったことはありませんが、そのうちきっと、、、。

その後出向いた小学校の行事は「あんば祭り」。

港近くに低山(安波山、あんばさん、標高239m)があり、中腹の駐車場から眺める街は街の代表的な景色です。

少子化で、大きな校舎に1年生が2クラス以外は各学年1クラス(になってしまいました)。

他日、隣接する中学校の生徒と話しをすると、中学校もひとクラスずつ・・・・(★街中です)。

 

「あんばまつり」とは、5.6年生が8ヶ所に分かれいろいろな「お店」を出し、4年生以下の児童が制限時間内に店を代わる代わる訪れ楽しんじゃおう!というものです。

校内撮影は仕事のカメラのみにして、敷地から見えた日差しまぶしい青空はスマホで。

上級生が開く「お店」は、体育館ではスポーツ(ボール、マット、バドミントンなど)、教室ではスライム作り、プラ板(絵を書く)、射的(輪ゴム鉄砲)などなど、、、。

元気な子どもたちが制限時間内に次々と場所を変え、各種アクティビティを楽しんでいる一方、5.6年生のお兄さんお姉さんたちはお相手でてんやわんやの大忙し!、、、

制限時間が来るたびに数珠つなぎで次のお店へ移動する、小さな子どもたち。

低学年の子どもたちが寄ってきて作ったモノを見せてくれました。

なかなかよい出来栄えです。

楽しそう〜。

そうして、午前はまたたく間に過ぎていきました(撮影終了〜)。

 

お昼ごはんは、ふと考えたあと高台を下り港まで(朝残り物を入れたタッパーを開け、、、)。

このところ停泊する漁船がまばらな光景が続いていて、この日も岸壁に縦付け(船尾を付ける)ではない横付けの船が近くに2艘。

よく見れば地元の船でした。

何百トンくらいなのか?何の魚をとるのかさっぱり、、、。

一週間後。

たまたまテレビに船が映り(まだ同じ場所に停泊中)、「まぐろ船」とわかりました。

写真館に証明写真を撮りにきていたまぐろ船の船長さんが言っていた、インドネシアのバリ島を通って「インド洋」まで行く船かもしれません。

船に止まったカラスが甲板に降り、何やら物色すると仲間も降りて来て、、、。

そのうち何かをくわえて飛び立ちました(油断大敵です)。

先日とある水産加工場の社長さんと話をしたら、魚が思うように捕れなくても(親会社の意向で)土曜休まず日祝のみ休みだから若い人は働きたがらない、と言っていました。

全休せずとも交代しながら休めばいいのに(★できる)、とも。

欧米では当たり前の完全週休2日制、、、あまりこの地では聞かない休み(制度)を今は意識することのない生活です。

航海の安全と大漁を祈願したのが由来とされ、小学校の行事名にもなる「安波山(あんばさん)」。

○○の魚が今年も取れない、○○も取れない、と言われて久しい今。

今までの海の養殖に加え、内陸部では「鮭の養殖」が始まったようです。

大漁祈願と共に養殖から将来の大量養殖へ、、、、、(取るから育てるへ)。

少しづつではありますが、変わり始めている気がします。

それでも「意識」を変えるのは容易なことではなさそうです。

建設関係ではなかれど レンタカーで作業  NO.354

先日。

何度か作業をしている事務所の依頼で退去作業のお手伝いがありました。

昨春、(古い)トラックは処分したので「引越し以来30年ぶりのレンタカー」を借り。

チェーン店ではなく、地元の一般の自動車修理工場が行っているレンタル料金は安くてびっくり!!

1.5トン~2トントラックを24時間借りて、なんと「5500円!」です。

任意保険(最低の)を500円足しても6000円。

0.7トントラックで3800円だよ、と以前知り合いから聞いてはいましたが・・・。

「ガソリン満タン返し」をしても8000円で済みました(走行距離70キロ台で15リッター給油は別の意味でびっくりしましたが・・・)。

30年前、バブルはじけた年だと、確か4トンアルミトラック・ガソリン別で3万円近く払った記憶が・・・。

ちなみに「ダンプ」など「建築関係の車両」は現在すべて出払っているそうです。

震災復興特需はほとんど終わったはずが・・・。

 

県庁所在地駅近くの事務所。

・モノの移動(近くまで)

・機密書類の溶解処理

・エアコンの取り外し&引き取り

・大小さまざまな不用品の引き取り

・パソコンのデータ消去

の5つをまとめて行い、事業所価格というよりは自営業価格(おそらく半値以下)なのは超便利な存在です。

 

昨春まで30年間使っていた1.5トントラックの運転は・・・よく覚えているもので楽々でした(車はマニュアルではなくオートマでしたが、、、)。

あちこちあれやらなにやら運んで、夕方までに4往復。

来る時にあちこちで新幹線や在来線の列車を目にしながら、東北本線東北新幹線の高架橋が通る道を行き来する際、ちょうど遮断器が降りて「カンカンカン!」

なので先頭でパシャ!

そうしたら、今まで見たこともない車両が目の前を横切りびっくり!

あれはなんだ??

頭としっぽだけ出ていて、真ん中がない!それも1両、、、。

何の「保守車両」なのでしょう???

ちょっと調べてもわからず、、。。

作業を急いで終わらせ荷物を下ろし、レンタカーを返却した日は土曜日。

週末のレジャー(買い物)渋滞で10キロを50分等どこもかしこも混む夕方、何とか6時に間に合った、、、。

国道沿いの商業施設群に明かりがつき始め、長い1日が終わりました。

いい年こいて3.4人分の作業を一人分の人件費でやってしまった、、、。

一回り上の人生の先輩たちにたいそう驚かれましたが・・・。

「いつまでやるの?(続けるの?)」(って、昨春トラックは処分した・やめたと言ったでしょう・・)

(リサイクル・個人、はやるだけ貧乏になったので廃業したまでです)

なので、今住む自治体で初めて集めて換金した「廃家電」は完全にボランティアです。

換金額から片道のガソリン代のみを引いて、自治会長さんから「3万円もらえればいいから」と言われ渡した3万円が高すぎて「なんの名目にしたらいいか?3000円ならいいのだけれど」などと言われてしまいました。

 

事務所作業の翌日は各種作業日。

8台のパソコンは記憶装置を取り出し破壊(物理的に)、溶解処理の紙は不純物を取り除き「整え」ました。

フリマ用の品々を軽自動車に満載し・・・(帰還)。

重なる作業に気力・体力の無理がたたったのか、産直生鮮品やなにやらを実家に忘れたり・・・(いろいろやらかしてしまいました)。

 

今回「レンタル(カーシェアより安心?)」・・・必要な時だけ借りる、は「GOOD!!」なことを実感しました。

友人の「引越し」手伝いにも充分生かせそうです。

24時間なら中長距移動も充分できそうです(関東まで?)。

誠に安価な国、ニッポン。

欧米、アジア、中南米、、、有名観光地に世界中から押し寄せ、紅葉は素晴らしい!!と喜んでいる人たちをテレビで見ながら、、、(、、、)。

 

 

フリマへの道③ チラシ配りで集落を歩けば No353

フリマ開催のお手伝いで、チラシ配り。

我が住む集落を歩いてみました。

震災前の200世帯から120世帯となった集落を一軒一軒、また一軒、、、。

窓からの紅葉に秋本番かと思いきや、朝晩の急な冷え具合はもう晩秋・・・・・。

11月、フリマのころには寒そうだ(でも室内開催だ)という想いが頭をかすめたまま、日ごろは行くこともない「行き止まりの道」をウォーキング。

あるところまで来ると「三陸自動車道の騒音」が直に音量大で響き渡ります(こりゃ大変・それでも慣れる?のでしょう)。

「表札がない」家も少なくないけれどOK。

何種類かの同じ名前がランダムに続きます(○○一族)。

寒くとも雪がほとんど積もらないので(日の当たらない場所以外は根雪にならない)「カーポート」はほとんど見かけません。

「奥まで漁師さん(家)」です。

「空き家か不明」な家もあり・・・・(わからなければチラシを入れるしかない)。

中央部の平地は津波が「総ざらい」したので配る所なく、行くところ「坂・坂・坂また坂」です。

高台の集団移転住宅は、土がほぼ見えない(全舗装)・砂利中心の敷地の家が連なります。

(集団移転住宅・写真・下は国道45号線

あちこちに、たくさんの実をつけた「柿の木」がそのままに・・・。

今年ランキング入りした道の駅で昨年売られていた「渋柿10個300円〜」な記憶がよみがえり・・・いろいろな”道”があるものです。

それぞれ行き止まりの道で1軒1軒が離れているため、90分かかって配ったチラシは50数軒どまりで、いくらか残ってしまいました。

チラシ配りをもう一度。

残りは少ないながらも、最後は広範囲になりそうで、果たしてどのくらい(時間)かかるのか?

まぁ、ゆっくりとです。

 つづく