三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

地方のデマンド交通 実証試験 観光客もOK 実現性はあるのか? 三陸沿岸 No.592-A

今月、4月配布の各種広報誌の中にあった「〇〇地域デマンド交通 ご利用ガイド」と「停留所の位置図」。

それぞれ、A3(*A4の倍の大きさ)の紙を二つ折りにしてあり、両面印刷です。

別の「市震災復興・企画部 交通政策課」発行のA4の紙によれば、低調だった昨年10月からに引き続き”実証運行(実証試験)第2段”を4月から来年3月まで行うようです。

 

 

中身は、

・運行エリアは〇〇地域(*旧町)で3つ

*北部県境から中心部まで約8㎞

*半島先端から中心部まで約6㎞

*西部から約4㎞

・停留所は85か所(*昨年に比べだいぶ増えました)

・運行本数は1日3~4便(*一部は土曜運休でそれぞれ1日2~3便になる)

休みは日祝、お盆、年末年始

・電話予約は前日から1便のみ前日17時まで、その他は始発の1時間前まで

・予約後、事業者がルートを作成し到着時刻を連絡

・運賃は降車時に現金で支払い

・運賃表では中心部まで300円~900円(複数人割引で200円~600円)とバスより高くタクシーより安い

障害者と小児1歳以上12歳未満で半額

・利用登録なしで観光客も利用できる

 

 

気合いが伝わってくるような内容です。

 

旧町は人口が現在約5300人、毎月じりじりと減り続けています。

主な施設は、

・支所1か所(*旧町役場)

・郵便局2か所、簡易郵便局1か所

・交番1か所

・小中学校1か所ずつ(*スクールバス2系統)

・スーパーなし

・ドラックストアなし

・ホームセンター(小規模)1か所

コンビニエンスストア2か所

・ガソリンスタンド1か所(えらく高いので入れたことがない)

・開業医2か所

 

健康診断や文化行事等で中心部への需要は少なからずあるかもしれませんが、個人商店を中心に廃業が進み、旧町内で生活を完結するのは事実上難しくなっています。

そのため買い物や通学・通院には合併した市(*人口57000人・二つの町と合併)の中心部へ行く必要がありますが、〇〇地域デマンド交通は市の中心部までは行きません(*昨年10月からの第一弾では行っていましたが結果は散々だったようです・・)。

 

現行の市の中心部への民間バスは2系統、それぞれ日に2~3本、5~6本でよく空気を運ぶ姿を見かけます。

運賃は北部県境や半島先端から旧市内入口まででもそれぞれ590円・840円、JR駅近くまで650円・890円ですが、これでも〇〇地域デマンド交通よりは割安です。

旧市内方面向けに〇〇地域デマンド交通2ルート2便~3便(土曜日1便)が現行のバスへの乗り継ぎができるとうたっていますが、手間と運賃を考えるとどうでしょう。

 

それに対して、隣県から北部県境を通り、一部三陸自動車道を経由して旧市内に入りJR駅に至るBRTバス早朝から深夜までほぼ毎時運行されています。

所要時間と運賃は北部県境から旧市内まで15分・240円、JR駅まで22分・240円最低限の本数・速達性もあり鉄道に準ずる運賃も魅力です(JR東日本が大都市の黒字で赤字をカバーする構図です)。

 

〇〇地域デマンド交通は急な坂の多いリアス海岸で停留所も増え観光客も利用できるそうですが、さてどんな結果になるのでしょうか・・・。

 

ふと信州(長野県)安曇野(あずみの)市のデマンド交通が頭に浮かび、市のホームページと東洋経済の記事を見てみました。

 

人口96000人の安曇野市では2007年に始まり課題を少しずつ克服しながら現在は、

「AIオンデマンド交通」が運行されています。

 

西鉄三菱商事が全国13か所で運営するサービスを利用、将来の共同運行をにらみ近隣の松本市塩尻市と歩調を合わせたようです。

 

内容は、

・運行エリアは合併した4つ(*中心の周りに3つ)を、ミニバン・ハイエースグランドキャビンやキャラバン16台で

・4つの面積、東西10㎞・南北12㎞から中心部まで

・特定の運行ルートやダイヤ(時刻表)はなく、原則自宅から目的地まで送迎(*車が入れない等を除く)

・休みは年末年始のみ

・予約は1週間前から3通り

*電話(土日祝、年末年始は休み)

*LINE(市役所公式アカウント)

スマートフォンアプリ「のる~と」(*旧あずみん・クレカ決済)

希望の日時(*迎車か到着)に最も近い車両が伺う

・運行時間は8~17時

・運賃は大人300円、小学生100円、回数券11枚つづりあり

・利用登録が必要

 

最も大きな課題「土日祝運行」が今月4月から始まりました。

 

「AIオンデマンド交通」の大きな特徴は、

・AIが最速ルートを設定

・予約時に送迎時間を通知

・30分前までの予約からリアルタイム予約が可能に

アプリはクレカ決済が可能に

 

予算はコミュニティバス2路線と併せて1億3千万円で、収入は2千万円。

収入は地方公共交通としては多いそうです。

少ない人口・人口減の地方公共交通は構造的にそのほとんどが赤字で、JR各社もその例外ではありません。

維持が必要な場合、どこに原資(税金)を投入するかがいっそう問われる時代になった感があります。

 

2つを比べると随分と違いがあるものですが、その地域になるべく合った”方式”で地元民も観光客も利用できるのが理想です。

 

へき地県境民(移住者)は静かに推移を見守ろうかと思います。

 

 

 

昭和の東西ヨーロッパ行 101 ウィーン近郊を国境近くまでうろつけば オーストリア No.592

岩手県陸前高田市 復興なった 名勝・高田/たかたの松原 長い海岸と防潮堤)

 

知人から委託されたヤフオク落札品2点(*漆器と食器)。

ゆうパック持込すれば、"出品名(例えば”小皿やお盆”)ではダメ"と2重線を引かれ、記載する「郵便局の分類名(例えば"漆器")」確定に局員が戸惑うこと計15分に双方がたいへんな時代と思う、へき地県境民です。

(飛行機搭載で)”危険物は入っていませんか?”と言われましたが、なわけがない。

 

今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。

「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。 

 

7月8日(火)

フランススイスから小国リヒテンシュタインを抜けて山国オーストリア滞在6日目

(地図と写真はグーグルマップより)

 

7時半。

4日前と同じく夜行列車でウィーン西駅に着いた朝は今日も気温上がらぬ曇り空。

 

(便せんメモより)「”またやってしまった”」のは、当時旅行者のバイブル的存在「地球の歩き方(本)」を見て宿(大学の寮等)を探そうとしたことでした。

この街はオーストリア国鉄駅が4つに点在していてそれらを結んでいる交通機関は複数あるのですが、まともな案内図がなく複雑でよくわかりませんでした。

Uバーン(地下鉄)

・S/シュネルバーン国鉄近郊線)

・シュタットバーン(専用軌道を走るトラム/市電)

・シュトラッセバーン(トラム/市電*シュトラッセは”通り”)

 

中心街に行こうとトラムに乗れば満員で動けず・・(*結果、タダ乗り1回)。

中心街にあった”i"(インフォメーション・案内所)で”おおまかな主要路線図(詳細ではない)”をもらえばもう9時半でした。

第一目的、”東欧諸国のビザ取得”は大使館により受付が11時か12時までなことがわかり、今から場所を探しても間に合いそうもありません。

 

ならば、またまた”周遊パスを持つ鉄道ファン”の血が騒ぎ・・・。

今回はウィーン近郊のローカル線の旅としゃれこみました。

 

(約40㎞離れたブラスチラバチェコスロバキア第二の都市・現スロバキアの首都)

 

11時。

ウィーン南駅から気になる東方、チェコスロバキア方面へ進んだあとは東欧からの列車(*機関車が客車をけん引する)で戻るはずが、、、”来ない”ので別の電車で戻ったり・・。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipM2eN908_HnzYz5B1dY8OKQGh0-jYm_g80ypLqi=w408-h544-k-no

(ウィーン近郊)

 

国境まじかのローカル線で見た”ディーゼルカー1両・ブドウ色”のドイツ語ではない見慣れぬ文字に時刻表では国境超えはないはずと思い・・(どこの国の車両だったのか?)。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMSVrnKjMRF77_BUAtXGSKOcwoGPpM_KwgyHktw=w408-h566-k-no

(ウィーン近郊の町 ノイジードル・アム・ゼー)

 

あたり広い土地にブドウと麦畑が目立ち、山国では数少ない平地を思わせました。

(便せんメモより)「このあたりまで来るとドイツ語なんだか、村中で会った方々に"あいさつ"されても皆言うことが違う・・」

それは、いわゆる”方言”だったのかもしれません。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMtlw7fG5lZAZhd-YSRuGhvFm7mDlQfDaDWeiLp=w408-h306-k-no

(ウィーン近郊の町 パムハーゲン)

 

ディーゼルカーが1両か2両ばかりのローカル線。

中には半分荷物車で全長が18m(*通常は20~25m)のかわいい車両がついていたり・・。

(メモより)「やたら長い駅名にも慣れてきた」

「ついでに列車の遅れにも慣れてきた」

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMKCfdvT-LzEKW8IaD_YQPv0RCzZbmMhQxnG5Hd=w533-h240-k-no

(ウィーン近郊の町 アスペルン)

 

ほとんど車のいない高速道路を見ながらウィーンに近づくと、10㎞手前で団地群発見!

大都会ウィーン南駅の一歩手前で降りウィーン西駅へ歩いてみました。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipM7s0dECwxtBBxirjfON3p8BK0dHLURwszP5l9Y=w408-h306-k-no

(当時はなかった 現在のウィーン中央駅)

 

時折落ちてくる雨の中、”ぐちゃぐちゃのトラム線路”と”ボロボロ黒色のシュタットバーン(専用軌道を走るトラム・市電)を見ながら歩くこと40分。

午後8時のウィーン西駅前で幸運にも開いていたのは”ホットドック屋さん”。

18AS・オーストリアシリング・215円の味はパンも具材も本場だけあって美味でした。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipP5_-adGDm14ESkLXp1x4g_4NqqSNmDdj4pfTRL=w408-h544-k-no

(現在のウィーン西駅)

 

近くにマクドナルドも営業していて、

ハンバーガー16AS・オーストリアシリング・192円

・コーヒー11AS・オーストリアシリング・132円

 

通貨単位はオーストリアシリングで1ASシリング=約14.4円

国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 

35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)

 

お腹を満たして駅入りすれば、思った通り

バックパッカー姿・てんこ盛り」は”夏のシーズン到来/夏祭り”を実感するには充分でした。

 

ローカル線で探した田舎のユースホステルは"見つけられず"、今夜も夜行(列車)に・・。

今回ウィーン市内をあまり見る気が起きないわけは、こののち東欧(ポーランドチェコスロバキア)を巡り戻ってくる予定からでした(*後回しできる)。

 

## 東西ヨーロッパの”格差”を早くも知る ##

 

ウィーン西駅で見慣れぬ”超おんボロの列車”の正体は、ワルシャワポーランド)⇔ウィーンの”急行ショパン”でした

⇒国内で使わぬ古い(40年くらい?)車両を東欧で使うオーストリア

それはなぜなのか?

 

・他線で見かけた東欧からの列車は、たくさんの東欧の人々が窓から顔を出している、なんと!!あの”オリエント急行”でこれまたボロボロでした。

⇒西部オーストリアで見かけたピカピカオリエント急行はおそらくウィーンまでの運行

それはなぜなのか??

 

この時はまだ、この後東西ヨーロッパの違い(格差)をいやというほど思い知らされることなどつゆ知らず、、、。

 

 つづく

 

昭和の東西ヨーロッパ行 100 私鉄沿線も山また山 オーストリア No.591

 

在米邦人によると、ロスアンゼルスマクドナルドはコネチカット州ほどではないものの”高くなった”とのことです(★上記エッグマフィンで780円くらい)。

ちなみに日本は260円バリューセット(サイドメニューとドリンク付)で460円〜(*店舗や地域で差がある)だとか。

 

今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。

「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。 

 

7月7日(月)

フランススイスから小国リヒテンシュタインを抜けてオーストリア滞在5日目

(地図と写真小文字の文はグーグルマップより)

 

この日、東部インスブルック(地図↓↓・左)の街は朝から雨でした。

昨日、入国時に壊れかけた傘を駅徒歩5分のユースホステルまで使用するも、さてこれからどうしたものか・・・(*ホームセンターはない時代・ましてや100均ショップなど)。

 

 

店が閉まる週末が過ぎ、待望の平日(月曜)が来たので今度こそはと街中へ繰り出せば、ありました!”バッタ屋さん”(*おそらく激安スーパーのたぐい)。

無造作に段ボール箱を重ね品数が少ない分安い!

・ハム(上級)200g 20AS/オーストリアシリング・240円

・麦粒入りパン500g 10シリング・120円

・ポテトチップス150g 6.9シリング・83円

・バナナ(大)4本 8.7シリング・105円

・マーガリン500g 10シリング・120円

・スライスチーズ10枚入り 17シリング・200円 

などなど・・・。

 

通貨単位はオーストリアシリング・1AS=入国時14.4円が滞在中に円高と安い手数料で12円に

国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 

35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)

 

しっかり食料を買い込み、9時55分発で東部リヒテンシュタイン(地図↑↑・左)方面に向かえば、外はにごり川・水平霧雲・雨

(便せんメモより)「寒くてセーターを着る」(*7月7日です)

 

 

約2時間、12時に着いたブルーデンツ(地図↑↑・リヒテンシュタインの”ン”あたり)も山の中でしたが、実はこの町に来た目的がありました。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMMo_SOfHeD0LsKWVtkF4blVqB_UsNcWKEQf_Gf=w408-h306-k-no

(現在のブルーデンツ駅)

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMbRaesAFdNAgXBUGOHr_xuiPFnNpC4kPjHTWk=w426-h240-k-no

(山の町 ブルーデンツ)

 

お目当ては、ここから南へ13㎞・19分の私鉄ローカル線の旅でした。

私鉄も乗れる優れもの”周遊パス”に感謝しつつ乗り込んだ1両のディーゼルカー

”旧国鉄色(*オレンジ系)で”MBS(大阪・毎日放送ではない)”と横にロゴがありだいぶ年季が入っていましたが、そのおかげで”吊り掛け式モーター(*旧型の駆動装置・江ノ島電鉄1000系でも採用とか)”がいい感じにうなり”、ローカル線の旅”を満喫できました。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipNi04-SAx1PoYFuolXg_8p1B3BFtuFJNQ2RFQpg=w408-h544-k-no

(川沿いに進んだ終点 シュルンス駅はさらに山の中 周辺にはケーブルカーやリフトが)

 

町は夏は避暑地になるのか、たくさんの人がいて思いのほか有名観光地でした。

日本とまるで違い、凝った作りの家々・いたる所に色とりどりの花・像・噴水・いろいろな旗が立ち並ぶリゾート地

思わず求めた絵葉書は最後に・・・。

 

6月から9月にかけて、毎週木曜日(*週末ではない)にこの区間を”食堂車付2両編成のSLが走る”のだそう(*本日は月曜日)。

それも小さいSLと客車が13㎞を30分かけてゆっくりと・・・(*レール幅は新幹線と同じ標準軌・1435㎜です)。

イギリスほどではないにせよ、こういった”保存鉄道”が国内に何か所かあるようですごい。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipPQQo_3q-hktOMc5gpTyPW-XM_DcIO1jurrjpoG=w426-h240-k-no

(シュルンスの町)

 

15時、標高690m・気温13度・湿度88%・気圧1037ミリバール(*現在はヘクトパスカル)の町を去り、東部をさらにドイツとの国境近くまで行ってみることにしました。

途中から北に針路をとること40分、湖畔の街ブレゲンツ(地図↑↑・左)へ着きました。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipN25iSW8J7gL_PoorspB4mzx-sBguEkb6V5J7bp=w408-h306-k-no

(山越えの先 ボーデン湖に面した州都ブレゲンツ

 

目の前に大きく奥に向かって広がる湖の左はスイス右はドイツです(地図参照)。

湖に面した3つの国

(メモより)「毎日眺める山々が自国のものでないのはどんな気持ちなのだろう?」

もっとも、行き来は自由です。

 

今夜は西から東の端、音楽の都ウィーンまで夜行列車再び三たび(*所要時間は12時間)。

途中止んだ雨がまた降り出し、しばらくして止んだと思えばまた降り、そしてまた止む1日は(メモより)「女心と初夏の空みたい」

 

##慣れないで失敗##

・ホームが低い(*写真↑↑参照)ので”タラップの差(高低差)”がかなりあり、おっちょこちょいは膝(ひざ)を打ち、血まで出してしまった

 

(絵はがき 私鉄の終点 シュルンス スイスとは色彩が違い地味ながらも素朴さを感じ、、、)

 

 つづく

 

 

 

昭和の東西ヨーロッパ行 99 地味と素朴さにひかれ オーストリアの田舎 No.590

1月下旬までの1年間の各国通貨の強弱を比べると「一番下の円(JPY)がダントツで一人負け」逆に「一番上のスイスフラン(CHF)がダントツで一人勝ち」なことに、かつての「有事の円/スイスフラン」から消えた(脱落した)円(円安を実感する、へき地県境民です。

どんどん円は目減りして、どうりで海外旅行に行きづらくなったわけです。

 

今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。

「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。 

 

7月6日(日)

フランススイスから小国リヒテンシュタインを抜けてオーストリア滞在4日目

(地図と写真小文字の文はグーグルマップより)

 

ウィーン左隣のザンクト・ペルテンから周遊パスを使い夜行列車で過ごした翌朝。

6時25分、危うく寝過ごしそうになりながら西部インスブルック(地図↑↑・左)に再度降り立ちました。

気(け)だるさを抱えたまま、一昨日の台所のあるユースホステル(*ドイツ語応対で泊まれなかった)”はあきらめ”駅徒歩5分”のユースホステルへ直行すれば、朝からチェックインできたのは幸いでした(*朝から入れるのはたいへんありがたい条件)。

 

https://streetviewpixels-pa.googleapis.com/v1/thumbnail?panoid=NUsEKRKmt7uYkkeDY3gsew&cb_client=search.gws-prod.gps&w=408&h=240&yaw=278.49368&pitch=0&thumbfov=100

インスブルックの街中)

 

(便せんメモより)「ユースホステルは大学の建物か? 3階にバスケット場 寝室以外の”空間”が多い(写真下段↓↓)

 

「早速シャワーを浴び、Tシャツの洗濯までして9時に出る」

 

日曜日。

まるで土日の官庁街のごとく静かな街。

店の閉まった週末の街再びに、ならばと鉄道ファンは再び鉄道旅をもくろんでしまいました。

それは今までの”ほぼ一筆書き”の旅から”乗り放題きっぷ”に歓喜する鉄道ファンの行動そのもので、はたから見れば病的そのもの。

 

9時40分発の急行で再びウィーン方面に行けば、小型SLの起点駅では何人かの日本人が降りて行った様子に、旅行本「地球の歩き方(*たまに”地球の迷い方”になる)」の力を実感させられました。

詳しい地図があるわけでもないのに気軽に鉄道に乗れるのは”周遊パス”のおかげ。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipNsToy1FtHg-buTGOUYagU98VRTVmby8nLqBIPp=w506-h240-k-no

ツェル・アム・ゼー ツェル・アム湖

11時40分、2時間かけて着いた湖(地図↑↑中央)は観光客で一杯!町も一杯!!

それでも時は日曜日。

(メモより)「店はキオスク(売店とレストラン少々」

時間もかからず便利で割安な”テイクアウト”はなく・・・。

 

目的はここツェル・アム・ゼーからレールが狭軌(1067㎜・JRと同じ)のローカル線に乗り終点(地図↑↑・中央 オーストリアの”オ”付近)まで往復することでした。

 

13時21分、真新しい2両のディーゼルカーは東に向かって山の間に入り”とことこ走る、車は飛ばす/軽々と追い抜く”・・・・。

「緑の山とにごり川、しかして湖は澄んでいる」

山肌の両側にリフトゴンドラが複数走り、ウィンタースポーツのにぎわいが目に浮かぶよう・・。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMDcs1hhSLqvXYVWxh7bwYeB1e_qLGt6QVM9Qnf=w408-h305-k-no

(沿線 冬はいかにもスキー場?)

 

山国の自然いっぱいの山の中をディーゼルカーノロノロと進むうちに、”なぜオーストリアが落ち着くのか?”という想いが湧いてきました。

それは、スイスの”唯一無二の景色”と”観光客好みの舞台装置(家・店・駅)”にどっぷり浸(ひた)った後に訪れた地味な国で、”素朴さ”を感じたからかもしれません。

 

ふと目を向けると、道ばたに信州の”道祖神(石仏など)”のような”キリスト像”が祭ってある・・。

さらに、各家庭の窓際には色とりどりの花が飾られていてきれい!

 

60キロを2時間近くかかって着いた終点は、上記のような(メモより)「華麗なる田舎」でした。

そんな山の中でも近くの幹線に”複数の観光バス”の姿があると、この国もまた”観光立国”なことを実感させられました。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipPkem7L2wqiQqBCHy-y60xkxOI9MX5Z6dekJ_Xh=w408-h306-k-no

(山国の山の中)

 

滞在中に雨が降り出し”肌寒さ”を感じつつツェル・アム・ゼーまで戻り、通りを小走りしても閉店変わらぬ”日曜日”。

(メモより)「風混じりの雨が冷たく、腹が減る」

さりとて、キオスク(売店にあるはお菓子のみ・・・。

 

18時6分発の急行で腹が減ってはタバコをふかし、酔っぱらいグループを見ては時のたつのを思い出し、インスブルックまでの2時間を持て余しました。

「低く垂れこめた霧が地上10m近くまで下りてきている」

 

やっと戻ったユースホステルでパン・マーガリン・サラダ菜の夕食、は毎度おなじみ”日曜の風景(*粗食)”と化してしまいました。

この日食べたのは結局、パン200g、チーズ1片、ハム20g、リンゴ、溶けかかった苺チョコ、サラダ菜・・・。

 

この6日間、チーズやハムばかり食べていれば栄養の”SOS”を感じ、明日こそは暖かい食事を誓う節約旅のバックパッカーでした。

 

## 車内 なんとかして~ ##

地元の複数の女性はなぜか列車のシート(座席)に靴底をこすりつける、なんでかな~?

あとでたたくと白いほこりが舞い上がる~。

その光景を見たらとてもその場所にそのままでは座れない、のは日本人だからでしょうか?

 

 つづく

 

(レールが狭軌(1067㎜・JR在来線と同じ)のローカル線 終点 滞在時間30分の殴り書き)

 

 

 

 

昭和の東西ヨーロッパ行 98 ドナウ川 名も無きローカル線を行けば オーストリア No.589

県でいつも1.2位を争う人気の道の駅「上品の郷(じょうぼんのさと)/石巻市

片隅に茶色の日帰り温泉があります。

(駐車場の端にあった、”貸し切り”足湯 源泉が鉱泉のように低いので”ぬるい〜”)

 

パソコンの通信速度が遅く写真の多いブログがなかなか見れない、へき地県境民です。

 

今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。

「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。 

 

7月5日(土)

フランススイスから小国リヒテンシュタインを抜けてオーストリア滞在3日目

(地図と写真はグーグルマップより)

西部から夜行列車で東部の首都ウィーン(地図↑↑・右)到着、も週末土曜は閉店の街。

ならばと鉄道ファンは”周遊パス”で再びローカル線へ・・・。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipPWV_iuR1__ByqxpeUL8-XHrBkpihnmVQVXbjHm=w426-h240-k-no

(国際列車や近郊列車が行き交う 現在のウィーン中央駅)

 

臨時急行で来た道をウィーン左隣(西方)の街ザンクトぺルテン(地図↑↑)まで戻れば、”土曜は午前中のみ営業”の店がある”買い物通り”を発見!

人混みにやっと30度はいったか?という暑さを感じながら、(便せんメモより)「Tシャツのみでノーブラの方が少なくない!」カルチャーショックを受ける、バックパッカーでした。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipNlsGZ4DBZX-fy4szJJvt80Rr11sBW6ml3QwK0L=w426-h240-k-no

(ザンクトペルテン 街中)

 

ここからローカル線で西にドナウ川沿いの平地を進めば、(メモより)「北海道か?山梨か?」

ドナウ川川下り・川上りの遊覧船が行き交う様はのんびり眺めていられます。

(メモより)「”青きドナウ”という曲はよく知らねど、目の前の川は泥の川」(*雨後だったのか?)

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipNcNu511gAWOWb8ezuTT3ZrWf0YiSlxdkwhyUkH=w533-h240-k-no

ドナウ川と遊覧船)

 

沿線は古城麦畑ブドウ畑、ブドウの蔓(つる)でおおわれた駅などが点在し、川の景色と相まっていい感じでした。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipM5ddkEHmIwvCp1Mt5HhI6CYBordRzZRY86tbO6=w408-h271-k-no

ドナウ川とブドウ畑)

 

川幅が狭い所々に海水浴ならぬ川水浴をする人々の姿が目立ちます。

名も無い駅で降り河原まで下りれば、やはり水はにごり水でした。

そして沿道に車・バイク・バス・・・(*週末です)。

それでも沿線の町や村はいたって静かな佇(たたず)まいを見せ、山肌に広がるブドウ畑は”ワインを飲みたい”気持ちにさせるには充分でした。

 

それにしてもローカル線の列車は面白く、幹線の電気機関車(電化区間)+客車からディーゼル機関車(非電化区間)+客車へ変わると、ほとんどが最後尾に荷物列車付でした。

さらにレールが標準軌(幅1435㎜・日本の新幹線と同じ)だというのに時速30㎞ほどでトロトロ・・・。

超スローカル線”を充分堪能し、幹線駅ザンクトバレンティン(地図↑↑・中央”シュタイア”上)まで行き、乗り換え30分でユースホステルのあるシュタイアへ着いたのは18時を回る頃でした。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipO8_gTl0p_iGxaGawdaEIUttzAvvssV0glJj_3L=w408-h272-k-no

ドナウ川沿線の町)

 

それなのに、目指すユースホステルガイドブックにあるはずの宿は、なんとか見つけた街の地図の住所に行ってもない!

そこでガイドブックの番号に電話するとつながったのですが”ドイツ語”で英語はだめ~。

今思えば「今日は泊まれますか?(ドイツ語)」を覚えておけばよかったのです。

そうすれば「ヤー(YES)・ナイン(NO)」くらいは聞き取れたはずでした。

(*英語が話せますか?とドイツ語で伝えても、相手は話せないので✖)

 

というわけで、”♪あ~ユースホステルは今日もだめだった~♪”、となれば今夜も”移動する宿”、”夜行列車で今度は東から西へ”・・・(*周遊パスのおかげです)。

 

始発駅ウィーンまで戻る時間はないので、本日通過したウィーン左隣(西方)の街ザンクトぺルテンまで列車を乗り継いで戻り、夜行列車に無事乗車することができました。

乗り継いだ急行は短時間でしたが、列車名はあのオーストリアの英雄”モーツァルト(作曲家)”・・・(*やはりありました)。

夜行列車は幸い前日に続き空いていたのですが、コンパートメント(6人個室)に一人寝は昨夜以上に寒さが募り、またまたシュラフ(寝袋)の出番だったのです。

 

さてさて明日はどこで降りようか?

さして深い考えもなく、あるのはすぐ来た深い眠りでした(*好きなところに行けるのは”周遊パス”のおかげでしたが、本当にこれでよかったのか・・)。

 

 つづく