三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

昭和の東西ヨーロッパ行 97 夜行列車はコンパートメント 早朝通勤の国 オーストリア No.588

県で常時1.2位を争う人気の道の駅「上品の郷(じょうぼんのさと)/石巻市」。

ちょうど平日お昼時、久しぶりに寄るアイデアがふと浮かび三陸自動車道を下車すれば、ラッキーなことに残り4個の「ちらし寿司」をゲットできた、へき地県境民です。

(地元お寿司屋さんのちらし寿司 種類豊富で食べごたえあり これで600円 お立ち寄りの際はぜひ!)

 

今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。

「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。 

 

7月4日(金)

フランススイスから東へ、小国リヒテンシュタインを抜けオーストリア滞在2日目の続きです

(地図と写真小文字の文はグーグルマップより)

 

午後、オリンピック冬季大会が開かれたインスブルック(↑↑)の街にいくつかあるユースホステルのうち、「1軒だけガイドブックに”キッチン(台所=自炊可)マーク”が載っていたところ」に電話(1AS・オーストリアシリング・14.4円)すれば「_?>~!=%%{#&===!!(ドイツ語)」で英語は通じず終了~。

17時まで待ってもう一度トライするも「_?>~!=%=!!で同じ結果でした。

 

通貨単位はオーストリアシリングで1ASシリング=約14.4円

国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 

35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipNMRd9IBF09cCY2u28EpMKOsgywcP3LPzwt9LHW=w408-h306-k-no

(現在のインスブルック駅 日本と違い低いホーム)

 

街中の”i"(インフォメーション・案内所)は17時半で閉店でしたが、駅構内に「ユースホステルセンター」なるものを発見!

”いろいろ聞ける・情報交換あり”という文言につられ入ってみれば、人少々、ドイツ語案内嬢は頼りなくつれない・・(態度)。

東南アジア人に人気がないのか、個人的なものなのか、それとも差別??・・・。

 

そこで効果を発揮したのが「3週間有効・国内列車乗り放題パス(*例外あり)」でした。

幸いなことに”夜行列車”が複数ルートあるのでトライすることにして、18時46分、20分遅れの急行に乗り元来た道をすたこらサッサ‥。

東の端、首都ウィーン行の夜行列車になるべく西(反対側)から長く乗るためでした。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMCX3YcExKhOjeNJ3oRLJsmyplXJhHXgptQ56ym=w408-h306-k-no

(途中の町 現在のランゲン・アム・アールベルク)

 

20時7分、観光地でもなんでもない途中駅、ランゲン・アム・アールベルク(*やたら長い名前が多い)は山の中、長いトンネルの先にあり、一瞬”信州(長野県)”を想い起こさせるも駅のレストランの人はオーストリア人で建物は洋造り・・・。

駅の周りには何もなく、ポツンとある”切手の自販機”は10AS・オーストリアシリング・144円用でスイスと同じものでした。

(便せんメモより)「夕暮れも早くなってきた」

「まわりに何もないのがいいところだなぁ」

 

21時3分、初めて乗る夜行列車の仕組みはよくわかりませんでしたが、「何本かの急行に”愛称”があり、時刻表が座席に配られている」ようでした。

この列車名は「West-Kurier(クーリエ・西の使者・伝令)」で国内のみの運行。

寝台車と”コンパートメント(6人掛け個室)”が基本で、なぜか”開放型(普通の)”1両だけ途中のインスブルック止まり。

幸い乗客はコンパートメントの中に二人ずついて(*座れた!)、”3人までならイスを伸ばして寝れる”メリットがありました。

 

23時9分、インスブルックからは一人でも初体験でなかなか寝付けないバックパッカーに、エアコン(冷風)が容赦なく吹き付ける==。

日本なら真夜中は通過しそうな駅でも停車して、それぞれ人の出入りがある・・・。

 

4時、ついに寒さにたまりかね”シュラフ(寝袋)”を取り出せば”暖かくいい気持ち!”

もつかの間、6時過ぎに起き(いつもの)朝食を摂ればもう乗客万来~!

後でオーストリアの朝は早い(早朝通勤ことを知りました。

現在ではなんと!金曜日は特に早く、12時には終業だそうです(#週末を楽しむ国民性)。

 

6時半、いつの間にか平地を走る列車は通勤客を寄せ、1時間後ついに首都ウィーン西駅に到着しました。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipPIOn179a8ciFqBSZmbvpQ9-8B43bX3fbr-MxqI=w427-h240-k-no

(途中 ウィーン近くの平原 まるで絵画のよう)

 

(メモより)「この大きな街は駅が分散していて乗り換えにくい」

昔の東京で言えば、行き止まり駅が東京・上野・両国・新宿等に分散していたようなものでした(駅を結ぶ山手線はない)。

現在はウィーン中央駅が玄関口になり空港や優等列車・近郊列車が乗り入れているようです。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipP5a6lbBukNJ9XzDuz1RySDCc3mLNNLEp1PlTo=w408-h544-k-no

(現在のウィーン市庁舎と広場)

ウィーンはオーストリア東部にある人口197万人の首都で、ドナウ川のほとりに位置しています。芸術的・文化的にも名高く、モーツァルト、ベートーベン、フロイトなどがかつての住民です。ハプスブルク家の夏の離宮であったシェーンブルン宮殿など、帝国時代の宮殿が複数。ミュージアム クォーターにある新旧の美術館では、エゴン・シーレクリムトをはじめとする芸術家の作品を収蔵。

 

この街での一番の目的は東欧諸国(*チェコスロバキア/現チェコスロバキアポーランド)のビザ取得でしたが、本日は7月5日、土曜日(*大使館は休み)。

 

(メモより)「トイレ・個室1回、5.5AS/オーストリアシリング・80円」(*男性の"小"は無料)

 

ならばと、一般の方なら市内観光のところ鉄道ファンは乗り放題パスを活用し”ローカル線の旅”で、またまた”車窓の人”に・・・。

ところがこの日は想定外の出来事が発生!、”車窓の人”が日中では終わらなかったのです。

 

 つづく

 

 

 

 

 

昭和の東西ヨーロッパ行 96 国境からオリンピックの街へ 山の山山 オーストリア インスブルック No.587

   

(巨大防潮堤内側 震災時津波が15m来た場所 再建築不可で住居の気配はほぼなくなり、いつの間にか不法投棄されたタイヤが・・・)

 

屋内プールで係員に"失せ物"を訪ねた際、ゴーグルですか?と言われ、"水中メガネ"が古語と知る中高年/へき地県境民です。

幸い、利用者2人の時間帯で"モノ"はすぐに見つかりました。

 

今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。

「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。 

 

7月4日(金)

フランススイスから東へ、小国リヒテンシュタインを抜けオーストリア滞在2日目

(地図と写真小文字の文はグーグルマップより)

 

この日はリヒテンシュタインに隣接する街フェルトキルヒ(地図↓↓・”テ”付近)から東方インスブルック(地図↓↓・右下)へ移動するも結局・・・。

 

680年に建てられたというユースホステルでいただいた朝食はたいそうおいしいものでした。

・ドイツ系の中身の詰まったパン

・あんずジャム

・マーガリ

・チーズスプレッド(パンに塗る)

・暖かいミルク付きコーヒー

イギリス以外”食パン”を見かけることはほとんどなく、”酸っぱい”ものやら様々なパンをこの後経験することになります。

(便せんメモより)「思わず(ユースホステルの)絵葉書を買う」

 

(絵はがき フェルトキルヒ おしゃれなユースホステル 4オーストリアシリング・55円)

 

駅のコインロッカーは10AS/オーストリアシリング・144円でリュック不可なので「荷物預かり」に行けば、「大ロッカー(20AS)を使え」とつれない応対・・。

「荷物預かり」の方が安いのに・・交渉力のないバックパッカー(*ドイツ語です)。

 

通貨単位はオーストリアシリングで1ASシリング=約14.4円

国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 

35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)

 

さっそく、オーストリア滞在中に使うオーストリアシリング(AS)を一度に両替しようと、銀行をあっちこっち探したらかえって頭が混乱し失敗・・。

種類や表示がいろいろあってわかりずらいのが原因でした。

・T/Cトラベラーズチェック受付の紙が貼ってある(*東京銀行OKとか)ところはおそらく手数料無料だった

・出発前に用意したフランスフラン両替で1AS・11.81円で両替

・ ”     ” ドイツマルクはフランより強いのに1AS・11.87円で両替

・円はここでも強く1AS・10.53円で両替

(*国境で14.4円)

12時から14時の昼休みも考えながら両替、結局6000円近く割高(損とも言う)になってしまいましたが致し方なし。

 

今と違い、トラベラーズチェック以外は米ドルやフラン・マルクなどの”現地通貨(現金・お札)”を日本出発前にあれこれ考えて用意したのですが、いざふたを開けると・・というやつです。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipOcZbgBH0AbnP4bSLph3cP95juwhg6ESEL-6io3=w408-h306-k-no

(フェルトキルヒのキャンプ場)

 

幸いオーストリアにもイギリスのスーパーSPARがあるようでさっそくのぞいてみると、(メモより)「お~安い!」「だめだ!スイスの高物価に目が慣れ過ぎた!」

 

・果汁10%ジュース 5.9AS・オーストリアシリング・85円

・ずんぐりむっくり(形)のパン250g 10.5AS・151円

・スイカ(小)半分 8.8AS・130円

・(日本と違い青菜のような)レタス 3.9AS・56円(*ロメインレタス?)

・ポテトチップス160g 8.9AS・128円

・トマト(小)3個 1.8AS・26円

・ビール330ml 4.9AS・70円

・フルーツヨーグルト250ml 6.9AS・98円

 

中世の町並みを残した国境の街フェルトキルヒを13時9分に出発。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipN10eyWP7OTxrCv-okErBXzw96Hon0CWSJsGVfx=w408-h306-k-no

(展望台から眺める 国境の街 フェルトキルヒの街並み)

 

オーストリア国鉄(OBB:チーズのような名前ですがあちらはQBB)の車両デザインはオレンジに白(又は逆)で、機関車は赤でした。

車両内部は高級感あふれる”コンパートメント(*ドアがついて向かい合わせに座る小部屋)”で、”開放型(日本と同じ)”も暖色・木目調。

 

列車は冬場スキー場と化す谷間を走り、それは山に沿って”ゆっくりうねる”感じで、スイスと違いほとんど平地がない・・・。

(メモより)「スイスの高い山山と違い”雪をかぶった山々”は少ないけれど、切り立った”谷間”がすごい」

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMbRaesAFdNAgXBUGOHr_xuiPFnNpC4kPjHTWk=w426-h240-k-no

(沿線の町)

 

複線化工事中の単線はすれ違い多く、遅れ気味の15時40分、かつてオリンピックが開催された街インスブルック(地図↑↑・右下)へ到着。

 

インスブルックオーストリア西部にあるチロル州の州都で、ウィンター スポーツの町として長い歴史のあるアルプスの都市です。また、帝国時代や現代の建築でも知られています。

標高560mの市街地から1本のケーブルカーと2本のロープウェイを乗り継ぐと、標高2334mの展望台まで行けます。

ぜひ冬の絶景をお楽しみください。

 

今は緑の山々が街の目の前まで迫り、「冬はきれいだろうなぁ」

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipOc-8lK4g5j0nwSQU5FZDU_xzwU6uQL7CXL3rRe=w408-h408-k-no

インスブルック 街の中心部)

 

当初はこの街にいくつかあるユースホステルのうち、「1軒だけガイドブックに”キッチン(台所)マーク”が乗っていたユースホステル」を狙いアタックを繰り返すも・・・。

 

 つづく

 

 

低所得の高齢者に子育て加算給付金? No.586-A

先日、県央の実家に赴(おもむ)くと、「連絡物置き場(テレビ台の上)」に封筒を見つけました。

実家は何か用があればテレビ台の上に物が置いてあり、こちらから尋ねる仕組みです(*尋ねなければ放置されたままか、いつの間にか消えていたりします)。

 

そこで訪ねてみると、高齢の親はこれなんだ〜?

見てみると、封筒の表面に「"緊急支援金"の文字が3つ!(*「市からの大切なお知らせです」)」

 

あ〜、国がコロナインフレ対策で臨時にあれこれ出しているお金(給付金)、「住民税非課税世帯への給付金」かな?と思い中身を確認すると、えっ?という意外なものでした。

 

中身は「低所得の子育て世帯への加算給付に関するご案内です。」

 

18歳未満のこども1人あたり5万円を加算して給付するということなのですが、親は高齢で子育て世帯ではありません。

 

すると文の下に、

#このお知らせは制度周知のため、こどもの有無にかかわらずお送りしております。

 

「制度周知のため・・・」にわざわざ対象者と同じ内容のものを高齢者に手間と費用(税金)をかけてお送りいただきたいへん恐縮です。

こどもの有無にかかわらず、全住民税非課税世帯に送付するとは、多大なるお手数をおかけいたしました。

 

さらに下に、

「加算給付 支給対象者」は下記4つに該当する方(*写真参照)とずらずら書いてあり、裏面は申請方法(*申請方法と書きながら、申請不要・申請が必要と分かれる)・辞退について・申請期限・封筒と同じお問い合わせ先(*フリーダイヤル)等たくさんの文字が書いてありました。

 

せっかくお送りいただいた封筒ですが、両面に文字が多数あるせいか高齢者はちんぷんかんぷんで理解できなかったようです。

 

表面にはご丁寧に「個別の問い合わせ番号」が記載されており、高齢者の問い合わせにもスムーズな対応ができたかもしれませんが、親族(自分)が「あなたは対象外」と伝えたため問い合わせることができず、せっかくの「問い合わせ番号」を生かすことができませんでした。

 

そのうち、県境に住む自分にも自治体からお知らせが届くのでしょうか?(*住民税非課税世帯で18歳未満のこどもはいないので対象外です)

それとも、自治体によりやり方が違うのでしょうか?

 

「他の市町村で支給されているこどもは対象にならない」などと書いてありますので、低能者には理解不能ながらも、こちらでもあるのかしばらく待ってみようかと思います。

 

 

昭和の東西ヨーロッパ行 95 小国リヒテンシュタインまで 徒歩で越境ス スイス オーストリア No.586

(リアス海岸に多々ある小さな港のうちのひとつ 小舟は五つ 長い防潮堤の背後の浸水域は新たに建築できず 防潮堤建設費はさて何億円?)

 

防潮堤は工事業者と地権者がこじれて、写真右奥に「1m以上のすき間」が空いたまま完成したと地元の方に聞いて見て、地権者の評判からその「わけ」がよく理解できるへき地県境民です。

 

今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。

「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。 

 

7月3日(木)

フランスから越境しスイス滞在14日目

(地図と写真小文字の文はグーグルマップより)

 

山の中の州都クール(地図↓↓右下)からこの日はいよいよスイスを抜けて、隣の小国”リヒテンシュタイン”へ。

そしてこの日のうちに隣国オーストリア(地図↓↓右)へ。

 

州都クールは感じのよさそうな街でしたが”列車時間”の関係で街歩きはかなわず、さようなら・・。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMAcjef_hevkdQxYOvAsSLxwljEHfxZ260SI5Em=w533-h240-k-no

(州都 クール)

 

9時22分の急行でリヒテンシュタインとの国境駅ブッフス(地図↑↑上・”ュ”あたり)まで35分・5スイスフラン・500円の旅はあっという間でした。

通貨単位はスイスフランで1フラン=約92.5~100円

国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 

35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)

(絵はがき 途中の分岐点 サルガンス)

 

ブッフス駅から川を越え歩くこと20分。

ついにリヒテンシュタイン入りです。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMzf2r0XvTDlZQacK_1pL-ODtQM18cU8alWehPD=w408-h306-k-no

(川/国境を国境を挟んで奥がリヒテンシュタイン、手前がスイス・ブッフス

 

リヒテンシュタイン公国は立憲君主制国家、スイスとオーストリアに囲まれた内陸国です1

首都はファドゥーツ、公用語はドイツ語1

リヒテンシュタイン公爵家の3代目当主ヨハン・アダム公が、1699年にシェレンベルク領を、1712年にファドーツ領を購入し、1719年に神聖ローマ帝国から自治権を付与されました1

1806年に神聖ローマ帝国は崩壊、リヒテンシュタイン公国は独立1

医療機器や顕微鏡などの精密機械と化学製品の輸出が特徴

観光業、金融業、切手の発行なども主要な産業2

法人税率が低く、個人には所得税なし

そのため、タックスヘイブン(租税回避地)として有名です2

人口は4万弱、面積は福岡市や名古屋市の半分以下です

 

(便せんメモより)「半分山のこの国は国のようで国ではない(*印象です)」

なぜなら、通貨はスイスフランで郵便バス、鉄道はオーストリア国鉄が管轄だったからです。

「残金を使おうにも、郵便を出そうにも12時から14時は昼休み」・・・。

なんとかやり過ごすしかない・・・・・。

 

たいして滞在時間が取れないうちに15時20分のバスで移動すること25分。

今度はオーストリア国境まで到達すれば、

(メモより)「不思議とスイス側からは出入り自由なのに、オーストリア側は”検問所”がある

なぜでしょう??(*今思えば係官に英語で尋ねてみればよかった)

検問所でパスポートにもらった2か国のスタンプは、そう言えば終活の一環で昨年処分してしまいました・・・。

 

さてここからが大変、国境から街の中心までバスはなし(*見逃したのかも?)。

お天気雨の中、最寄りの街フェルトキルヒの中心部まで重いリュックをしょって歩くこと90分。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipPkfd6gbkkskRqR6vLXWQLrOI5bRsIm4TXVRY09=w408-h543-k-no

(フェルトキルヒ)

 

オーストリアは人口約900万人。

面積は北海道と同じで九州の2倍ほどです。

公用語はドイツ語。

(メモより)「夕方5時過ぎの町は銀行は閉まり両替は駅しかない!

駅の両替所で恐る恐る20米ドル(3660円・1ドル183円)を出すと、305.76オーストリアシリングに変身!ではなく、手数料51.76シリングなんと!20.36%の745円)を引かれ、254シリングに変身したのでした・・・。

 

両替手数料は非常に大事で、明日こそはベストレートを目指そうと心に決めました。

 

通貨単位はオーストリアシリングで1シリング=約14.4円

国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 

35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)

 

駅徒歩15分のユースホステルは93シリング(1340円)で朝食付。

なんと”新装開店(*改築)”で3階建てでした。

(メモより)「きれいで凝ってる、木造り小屋、白い壁、すべて新品」

 

なのになのに台所はなく、「今日も野菜・肉・魚を食べていない」

この3日間、パン・ハム・チーズばかりのバックパッカーでした(*それぞれとてもおいしいのですが・・・)。

これじゃ早く老けてしまいそうでしたが、オーストリアは台所のあるユースホステルが少なく(*ハンドブック/ガイドブックにも”駅からバス”くらいしか載っていない)、付いてくる朝食は”パン・コーヒー・ジャム”のパターン・・・。

 

仕方がないので、(メモより)「手持ちの野菜、玉ねぎ・にんじん・キャベツ・ネギにドレッシングをかけて生かじりス」

「にんじんぽりぽりなどは馬のよう」

「あ~まともな飯が食いたい・・・」

オーストリア フェルトキルヒ ユースホステル 宿泊スタンプ)

  つづく

昭和の東西ヨーロッパ行 94 湖をはしご 氷河特急の出発点まで スイス No.585

(いくつもある江戸時代の墓石の脇を抜けるとたどり着く、大理石海岸)

 

2月にあった高齢の親の引っ越しで不用品を分別していたら「期限内の”きな粉”が3袋」出てきて、いずれも開封なことに親の現状を知る、へき地県境民です。

 

今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。

「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。 

 

7月2日(水)

フランスから越境しスイス滞在13日目

(地図と写真小文字の文はグーグルマップより)

 

スイス一の大都会チューリッヒから何度目かの湖・山越えで南東の州都クール(地図↓↓・右下)へ。

 

10時23分。

ユースホステルより徒歩6分のチューリッヒ○○○○○○駅から”鈍行”に乗り南下、湖岸を進みます。

有名湖(チューリッヒ)はそこかしこにがいて、他湖と比べて”大湖ゆえの大味さ”がある感じ。

 

鈍行を40分ほどで乗り換えたのは、長いチューリッヒ横断するためでした。

湖岸の反対、ラッパーズヴィル(地図↑↑中央)までの横断列車は予想に反してほとんど陸地続きで湖は見えず、途中にかかる100m(*印象で短く感じた)の橋から湖を見るか見ないうちに到着~。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMXuk_sB9DI7v3SLYxCyMZ2Ia0fDX_KuuwoVKxc=w408-h306-k-no

(路線の途中から)

 

対岸の町ラッパーズヴィルは地球の歩き方(*海外旅行のバイブルとも言われた旅行本)」にも掲載されたらしく、(便せんメモより)「人やバスが多い それに遊覧船」

ここからチューリッヒ行ほか、遊覧船にはたくさんの航路がありました。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMGg4lj_HLXKGvIlvf1G4myCIDdIWCtTsP7z3S6=w408-h306-k-no

(ラッパーズヴィル)

 

(メモより)「この町でのんびりご飯を食べたりボーっと過ごしていたら、いつの間にか残り時間が足りなくなってしまった・・・」

そうです。

本日の残り時間は”鈍行乗り継ぎ”でおしまい、途中下車ができなくなりましたが、成り行きまかせも時にまたよし・・・。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipPWnL3gY3hKyw2W0Onu84SWAdyd_enwurmHXdxl=w408-h306-k-no

(途中の乗り換え駅付近)

といいつつも、そういう時に限って”いい所”を見つけるもので、隣の湖でえらく静かな、それでいて周りは山の岩そそり立つところなどを車窓から眺めるだけで終わってしまったのは大変残念でした。

 

(メモより)「思わず3枚目の絵葉書を買う」

「(スイスの)最後のほうに来て、スイス本来の素朴さを見た気がした」

それは、自然いっぱい・眺望◎の区間を意味しました。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipPumle2P1A87qddt8O50WG4XxwpKOeo2tTl34cy=w408-h306-k-no

(隣の湖)

 

16時10分。

本日の目的地、州都クールは山国の山の中。

氷河特急”のダボスサンモリッツと並ぶ出発点(*ツェルマット行)です。

ユースホステルは駅徒歩25分。

 

(メモより)「比較的日本人には知られていないと思いきや!宿の利用者ノートにちらほら日本語が!!」

思いのほか場所がよさそうで、”比較的知られていない”は勝手なる思い込みでした。

 

宿で会った”一年間でアメリカ・カナダ・ヨーロッパを回っている邦人ご夫婦”はさすがに”栄養の偏り”が顔や髪の毛に出ているようで(*やつれているとも言う)、自分はこうなりたくないという想いを強く持ちました。

 

それでなくても、バックパッカーは”長旅では自炊をしなければ充分な栄養が摂れない”環境の中、チェルノブイリ原発事故(現チェルノービリ)”あれは食べられない・これも食べられないと言っていた二人。

自分は・・・そんなことは言っていられませんでした。

幸か不幸か、欧州の人たちからも原発事故の話しはその後ほとんど出ていなかったことも影響しました。

 

ユースホステルの”22時消灯・7時半朝食(4スイスフラン・400円)”のおかげで、手持ち(スイスフラン)は15ちょっととなり、明日は予定通り”おさらば”できそうです。

 

通貨単位はスイスフランで1フラン=約92.5~100円

国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 

35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)

 

もう少しいたい想いとうらはらに、高物価と滞在中に今度は弱含む円(約92.5⇒100円・為替レート)がその願望を打ち砕いた感じです。

 

13泊14日の旅路はほぼ直線・カーブありの一本道。

(メモより)「割高な鉄道運賃にあって”半額パス”の存在は大きい」

 

そのことをすっかり忘れた33年後の2019年。

約30年にわたり自営業を手伝ってくれた母親の希望で再び訪れた時に選択したのが、高額の乗り放題パス”ではなく同じ”半額パスだったとは、最近便せんメモを読み返すまでまったく気がつきませんでした。

 

皆さま(特に大都市部の方々)が想像する以上に安い作業賃で長時間労働する、地方の自営業者(*個人のリサイクルショップ)。

投資や富裕層を目指す行動など考えも及ばず、ひたすら目の前の作業に没頭し続けること33年・・・。

 

その結果、当時(1986年)に比べ円安(*1スイスフラン92.5円⇒118円)とインフレ(*日本は逆にデフレ)でかなり割高となった2019年の旅をやっと実現させるも、親を満足に山岳(高額)鉄道に乗せ終点まで到達することも、レストランに連れて行くことも叶わなかったのはまさに自業自得でした。

 

それから4年半後の2024年2月現在、円安はさらに1スイスフラン170.45円まで進み・・・・・。

これから先、”もっと(進む)”と言われていますが果たして・・・・・。

 

(山小屋風 クール ユースホステル 宿泊スタンプ)

 

 つづく