三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

昭和の東西ヨーロッパ行 183 東ベルリンの"壁" 東西ドイツ No.674

(隣県 同地区内の無人産直トマト/規格外 100円、重さは倍以上違う、、、)

 

市の広報誌で「下水道使用料来年13.3%、5年後26.7%、9年後40%値上げの検討」を知るへき地県境民です。

40%値上げでも経費回収率は72.4%、経費を料金収入だけではまかなえない。

ならばその先どこまで行くのか・・。

 # # #

今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。目的地の

旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。

 

9月23日(火)

フランス⇒スイス⇒オーストリアから北上、西ドイツ⇒北欧4か国(デンマークスウェーデンフィンランドノルウェー)を経て西ドイツ・東ドイツ経由で西ベルリン(2枚目の地図・↓↓)へ

(地図や写真、小文字の文はグーグルマップ/Copilotより)

ハンブルクから南下し、ハノーファー/ハノーバー(地図・↑↑)乗換えで西ベルリンへ。

https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/58/0001050758/95/img22653eb6zik3zj.jpeg

(当時分かれていた東西ドイツ・上の地図と比較してみてください)

 

(33枚目の便せんメモより)「ついに東ベルリン突入の日」

 

ユースホステルから駅へ向かう道沿いにある土産物屋さん。

親父さんの”つれない態度”に買う気が失せてしまいましたが、いったい何(が原因)だったのか・・・(アジア人差別?)。

 

https://shikanai.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2019/08/05cb89d84d5c0c1a759e9fa312bd1b50-648x499.jpg

(地図は「旅するらぷる」第九回その3。ベルリンの壁を巡ります。 | しかないせんべいさんからの引用*どうぞご参照ください)

 

まずはU/ウーバーン(地下鉄)に乗り、昨日訪れたブランデンブルク門近く、東ベルリン入口のフリードリッヒ通り駅へ。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipO08KQtH1UpN4o7pNuqJ8JYqHfcaOqLXQ7NRc4-=w425-h240-k-no

(現在のフリードリッヒ通り駅)

 

観光客用入口”に並び、ビザ代5DM(ドイツマルク・410円)を払い街中へ。

通貨単位はドイツマルクで1DMマルク=約82円(現在はユーロ) 

国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 

35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)

 

通常はここで強制的に東ドイツ通貨に両替(*25DDRM・東ドイツマルク・2050円)させられるところ、”このあとポーランドに行く”と言ったのでまぬがれました。

ところがこれがかえって大変なことに・・・。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipOZYNMYfhqR0oEKkR3L6ePsHCVkoqOWDTyhHgPr=w408-h306-k-no

(現在のにぎやかなフリードリッヒ通り)

 

予定していた駅両替所はなんと!”工事中”(閉店)

そこで両替所を訪ねて何本かの通りをあちらこちらへ・・・。

やっと見つけた”仮設銀行?”(*仮の建物)

(メモより)「15DM・ドイツマルク・1230円をDDRM・東ドイツマルクに1:1で両替する」

当時、”東側”には法定レート(*正式な交換レート)”以外に闇レート(*利率がいい)”の存在があったのですが、この時点でご縁なく・・・。

 

さっそく最低区間の0.2DDRDM・東ドイツマルク・16円を払い、S/エスバーン(近郊列車)で今夜乗る列車の始発駅であるベルリン東駅へ向かいました。

さっそく”物価の違い”が・・・(*安い切符)。

高架(*高い場所)を通る列車からぱっと見る街並みは”西側”とさほど変わらない印象を持ちました。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipO39GwhKgmeNomo9AhFuFraAw8LaS9mbZpmV8w7=w408-h306-k-no

(現在のベルリン東駅)

 

ベルリン東駅に荷物を預け歩き出すバックパッカー

時折ぱらつく雨もいとわず、”夜行列車に乗るまでの短い間”にできるだけ街を見てやろうという気持ちでした。

 

やがて見つけたデパートは、”量”はあっても種類はあまりなく思ったより値段が高い(*質に比べて)。

なにより、展示スペース(品数)に比べやたら歩くスペースが広い・・・。

土産品は0.2DDRDM・東ドイツマルク・16円の絵葉書以外、観光客相手にここぞとばかり設定された値段。

今なら”インバウンド向け価格”とでもいうのでしょうか。

”ビニール袋に入った牛乳”が置いてある箱の中は複数の袋が破れ、流れ出した液体で大変なことになっていました。

(メモより)「びちゃびちゃに濡れていていつ破れるかわからなくても、買う人はいるのだろう」

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipNVsbc1gQIXAR8uwNJDPdJzNDdWxvXmFCAcS5cz=w426-h240-k-no

(土曜は食品市場、日曜はフリーマーケットが開かれる公園)

 

街を行き交う人々の服装は建物のように地味ではなけれど、西側に比べれば・・・。

(メモより)「”軍人さん”の姿が目立ち、警察官も多い」

 

広い通りで目につくのは”本屋さん”。

利用の仕方は面白く、”入口でかごを持ち入店、かごがなければ人が出てくるまで待つ”、というものでした(*入場制限)。

それは”万引き防止”のためだったのか・・・・・。

寒い冬も外で待つ、ことになるのか・・・。

取り扱っている本はドイツ語ばかりで、外国語の本は見当たらず・・・。

いずれも他の品物(物価)に比べ”割高感”がありました。

 

本屋を出て街歩きを再開すれば、建物にアルファベット(ドイツ語)と併記されたキリル文字(ロシア語)が目立ち、この場所が東側なことをいやおうなしに自覚させられました。

  • А, Б, В, Г, Д, Е, Ж, З, И, Й, К, Л, М, Н, О, П, Р, С, Т, У, Ф, Х, Ц, Ч, Ш, Щ, Ъ, Ы, Ь, Э, Ю, Я
  • ロシア語のほかに、ウクライナ語、ブルガリア語、セルビア語、カザフ語、キルギス語などに使用されている

 

19世紀の哲学者で社会主義の基礎を築いた、カール・マルクスとフリードリッヒ・エンゲルス銅像がある広場や、デパートのある駅周辺は多くの人でにぎわいを見せていました。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMsqJvA9XN7mrljpgUfdm-p0GFm1AnlhB8VX2oB=w408-h272-k-no

マルクスエンゲルスの像)

 

西側と比べ商業施設少ないこの街(東側)に買い食い(テイクアウト)できる”店頭売りの飲食店”はなかなか見つけられず、あっちをうろうろ、こっちをうろうろ・・・・・。

総じて、くすんだ同じ色の建物群は公的施設なのか、はてまた住宅なのか・・・。

とにかくお店(特に飲食店)がない・・・・・。

 

やがてやっと見つけた小さな店。

10分くらい並んでフライドポテトを買い(昼ご飯)、ほっと一息・・・。

短時間の滞在でも東西を隔てる壁(生活の違い)を感じ始めていたバックパッカーでした。

 

 

# # 西側と比較して割安な物価一例 # #

・ケーキ 2.53DDRM/東ドイツマルク・208円(*西ドイツマルクと1:1で両替したためで、実際はかなり安い

・ハガキ 0.1マルク・8円(乗り物ハガキは0.2・0.3・0.5マルク)

・ハガキの日本までの送料 0.55マルク・44円

・アルコールはそれほど安くない

・駅の荷物預かり 0.4マルク・33円

 

 つづく